ふーだお通信

2010年までは中国での生活日記。2010年以降は福島(中国語でfudaoと発音)での事。

繰り返して読む

2008-05-29 06:46:23 | 本の活動(~2010年3月)
今年の4月から無錫イートンハウス校に場所を移して開催している文庫、無錫図書館に比べて便がいい事、幼稚園という子どもが自由に動ける環境、そして日本人の先生が協力してくれる事、蔵書が増えた事などで、無錫図書館時代とは比べ物にならない程の毎回の盛況。
特に土曜日は幼稚園もお休みで、0歳~7歳くらいの子ども達が20人前後来てくれるのだが、子どもを連れておでかけできる場所が少ない無錫、楽しんでもらえればそれでいいのだが、やっぱり本を借りるだけというのではなかなか人は集まらないんだなあ、と実感している。

木曜日の貸出日は幼稚園に就園前のチビちゃん達が主、土曜日は幼稚園の子も小学校の子も来て、私は下の娘を連れて行くが、上の息子は土曜日補習校があるので行けず。
息子も連れて行きたいのだが、それはそれで仕方ない。

私がこんな風になればいいな、と思い描くのは、少し大きくなった中学年以上くらいのおにいちゃん、おねえちゃん達が、チビちゃん達に自分がしてもらったように絵本を読んであげる風景。
文庫で自分が読んできた本を、「これおもしろいんだよ~」などと言いながらチビちゃん達に読んでくれたら、’文庫をやってて良かった・・・’と心底思うだろう。

息子が生まれて、新米ママの私は何をしていいのかわからず、それでもこれだけは続けよう、とやってきたのが夜寝る前の読み聞かせ。
たまには眠くてさぼったが、結構頑張って続けられた。
娘には相変わらず続けているが、今はもう息子は’読んで’と絵本を持ってこない。マンガや彼のお気に入り「学研のかがく」を自分で読んで寝る。

私としてはもうちょっと児童書を読んで欲しいのだが、先日息子が

「本はよくわからない時に何回も繰り返して読めるからいいよね。テレビだとわかんなくても先に進んじゃうけど、本を読むといろんな事がわかるんだ。」

と言っていたのを聞いて、本のおもしろさを語るようになったか・・・、とビックリしたし、嬉しくもあった。

本を読む子になってもらいたかったので、読み聞かせを続けたからかどうかはわからないが、やっぱり続けてよかったなあ、と思う。

小さいうちは家での読み聞かせ中心になるが、大きくなると学校や図書館などで友達や先生と話しながらの読書活動に移っていくのだろう。
私も小学校時代、友達に勧められて読んだ本がずいぶんある。
うちの息子もそういう時期になってきたのかもしれない。

日本人学校があれば図書もたくさん借りられるのだが、ないのだから仕方ない。
多くはないが補習校でも本を借りているのでまだマシかなあ・・・。

文庫でも、子ども達同士で’本ともだち’を作ってほしいな。

6月21日(土)は文庫の本を購入する資金源、古本市を開催予定。
もう6回目、前回からも5ヶ月経って、子ども達も大きくなる訳だよ、と思ったり。
詳しくは、さくらんぼ文庫ブログにて!




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募金

2008-05-23 12:16:52 | 生活(~2010年3月)
四川大地震から10日以上が経ったが、まだまだたくさんの人の捜索が続いている。
そして今後は家を失った人たちの今後について、考えていかなければならない時期に移っていくのだろう。
まだまだ復興は遠く、お金もまだまだかかる。

会社や学校での募金活動も、現在集まったお金が集計され、現地に送られる時期に入ってきたようだ。

その募金、息子・娘の学校ともに、すごい!

息子の小学校では、各クラスごとに集計されて額が発表されたようだが、息子のクラス、30人で約7千元!一人200元以上持って行った計算。200元、日本円で三千円、学校の募金で3千円はあんまり持っていかないだろう。
娘の幼稚園でも古本バザー&募金活動、額と名前を書いての募金だったのだが、100元以下のお金が箱に入ってない!

子どもの学校の募金も親のメンツが関わるようで、募金としてはたくさん集まるのだから良いとしても、いやいや、これはタイヘンだ・・・。

友達の子どもが通う小学校では、学校で一番多く募金した子どもの名前と金額が発表されたそうだ。その額なんと2万元!一人の小学生がする募金額とは思えない・・・。

ニュースを見ると、有名人や企業の募金額についていろいろと報道され、’ケチくさい!’とか’さすがだ!’とか言われているようだが、募金なんだからさあ、その気持ちが大事なんだよ、と思う。
日本では街頭募金などで100円でも’有難うございました’と言われるが、中国だと10元では’ケチくさい’なのかなあ??
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あれから1週間

2008-05-19 21:50:28 | 生活(~2010年3月)
先週の月曜日に起こった四川大地震から1週間経った。
次々入る現地の情況や毎日何千人単位で増える死亡者数に、ニュースを見ては地震の恐ろしさを改めて感じる。

そして今日から3日間は中国全土での哀悼日だそうで、地震が起こった14:28から3分間黙祷しましょう、という事だった。

私はこの時間、日本語の授業の合間の休憩時間で、生徒達が「今何時だ?」「もうすぐだ。」と会話していたものの、この日インターネットのニュースを見ていなかった私、なんだろう??と思っていると、突然’ウーッ’というサイレンが鳴り響き、生徒達が立ち上がって黙祷を始めてビックリ!
説明を聞いてやっと納得、一緒に黙祷したが、生徒達の真面目にキチンと黙祷する姿に結構感動した。
今日は「四川の人の為に献血してきます」と言う生徒もいて、今回の地震に衝撃を受けた中国人は本当に多いようだ。

募金活動も会社関係や学校関係で盛んで、街で買い物をしていると「募金したか?」と聞かれたりするが、すでに何度もしているのに、更に「募金を!」とお願いされるのがなかなか辛い・・・・。募金も気持ちな訳だから、その時にしなくても’ケチな日本人だ’と思わないで欲しいなあ・・・。

それから、あれから1週間、といえば、うちの息子の1針縫うケガから1週間が経ち、今日はめでたく抜糸。
ケガのあとが残るかもしれないが、このケガのあとを見るたびに、四川大地震を思い出すかもしれないな、と思う。


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忘れた頃にやってくる・・・

2008-05-13 11:18:08 | こども関係(~2010年3月)
昨日の夕方、スクールバスで帰って来る息子を迎えに行くと、先生からバスの中に手招きされる。
何だろう?とバスに乗り込むと、息子が額から出血!先生がティッシュペーパーで傷口を抑え、息子は少し泣いたのか、頬に涙の後を残しボーッとしている。

聞くと、バスの中で隣に座った子とふざけていたのか、隣の子がシートベルトを投げたようで、その金属部分が息子の額に当たり、出血・・・。

傷口を見ると、切れた箇所は1cmもないが、傷口が深い。これでは血がなかなか止まらないだろう。
先生や他の親に「大丈夫か?」「早く病院へ連れて行け。」など言われながら、そして相手の子の親に「本当にごめんなさい。」と言われながらバスを降り、相手の子の親が「一緒に病院へ行こう」というのを「大丈夫。」と言って別れ、娘を幼稚園のバスから下ろし、マンションのお友達の家へ娘をあずけ、息子を連れて病院へ行った。

息子の額の傷を見て、ああ、あの時と同じだな、と思う。
それは2005年の娘の怪我。(2005.6.29「娘、4針縫う」ブログ参照)
娘の怪我の経験から、縫った方が早く直ると思い、近くの病院へ。

案の定1針縫う事になる。息子はビビッたようだが、娘は4針縫ったが今度は1針。すぐに終わるよ、と息子に言い聞かせる。
そしてあっという間に処置完了。息子も「思ったより痛くなかったよ。」と言い、「偉かったね。」と褒める。
そして娘の時と同じように破傷風の予防接種を受けなければいけない、と言われ、これも相変わらず同じなんだな、と思いながら待合室で待っていると、テレビではこの日の午後起きた四川省の大地震のニュースが流れていた。

CCTVのニュース映像は、地震が起きた後外に飛び出したたくさんの人を映すだけで、日本のように地震発生直後どんな揺れか(テレビ局の電気がどれだけ揺れたかとか、お店の商品がどれだけ倒れたかというような)わかるようなものは何もなく、この時点での発表は死者数人との事。(これが一夜明けると数千人になっているのだけれど)

テレビを見ていた人達も「無錫は何もなかったな」とか言いながら見ていたが、そのうち点滴を打ちながらテレビを見ていた小学生か中学生の子どもがチャンネルを変え、番組が抗日映画に変わってしまい、それを見ながら待合室の人たちが笑っているのが(日本人の兵隊がこてんぱんにやられる内容)なんだか私はとても腹立たしかった。

娘を迎えに行き(Mさん、ありがとう!)家に帰ると、なんだかとても疲れてしまい、この日は子ども達と早めに就寝。

息子は1週間後に抜糸。傷口は小さいので今日は傷口の上にガーゼをテープで留めて学校へ行ったが明日からはばんそう膏を貼るくらいで大丈夫だろう。

最近子ども達は病気もせずに元気だったが、病気やケガは(そして地震も)忘れた頃にやってくるなあ、と思った一日だった。

*地震で被災した方々、心よりお見舞い申し上げます。地震や大雪、台風など、まだまだ自然災害で大きな被害が出る中国。比較的都市圏で生活する私達は、そのリスクを忘れがちになりますが、しっかり心しておかなければいけないのかもしれません。




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先生になる

2008-05-09 10:13:46 | お仕事(~2010年3月)
3月から中国人に日本語を教えている。
今、私は’新米日本語教師’なのである。

無錫で築いてきたご縁から私にお声がかかった訳なのだが、外国人に日本語を教える、という初めての経験に、(私にできるかなあ?)という気持ちと、(何でも経験だ!)という気持ちと半々、(とにかくやってみよう!!)と結局はあまり深く考え込まない自分のポリシーに沿って、まずは3月から6月までの初級者クラス会話部分を担当する事になった。

私の初めての教え子達になるこのクラス、約20人の生徒のうち、無錫の日系企業から派遣されて通学している生徒もいれば、今後の職探しに役立てようと来ている生徒もいる。
午前は中国人の先生が文法をしっかり教えてくれるので、午後の部を受け持つ私は、とにかく生徒に日本語をしっかり聞かせて話させる、というのが大切なのかな、と自分で勝手に解釈している。

学校が始まり、最近はやっと授業のペースもつかめてきて、いろいろと反省する点はたくさんあるのだが、
「やってるうちにだんだんおもしろくなってきますよ。」
という、私を誘い込んだ先生の言葉をなんとなく実感し始めている。

そして今まであまり接する事のなかった中国の若者ウォッチングがおもしろい。

クラスの中で、殆どが20代の男女なのだが、会社から派遣されている3人が30代の男性。
最初見たとき
「うわっ、おっさん!」
と思った彼ら、しかし全員自分より年下だと判明して衝撃を受けた。

最近の中国の若者、女の子はかなりオシャレになり、原色好きというのもあってかなり華やか。対して20代の男の子、こちらはかなり個人差があるが、クラスの何人かの男の子は髪型もメガネも靴も洋服も結構凝っていて、聞くと洗顔もちゃんと洗顔フォームを使って洗います、という。
しかし30代になると、服は黒か茶色、靴はいつでも革靴、若者はたいてい知っている「浜崎歩」も「PS3」も’???’の世界。彼らと話していると、「あなた達は本当に私より年下なんですか?」と聞きたくなる。

この学校の生徒は他と比べて真面目、という評判通り、熱心に授業を受ける生徒達。日本語を勉強する動機は様々なようだが、さてさて、この学期が終了する頃には生徒達も私も、どこまで成長しているやら。自分でも楽しみだ。

コメント (2)
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5・1労働節に旅行

2008-05-04 10:48:55 | 生活(~2010年3月)
今年から法改正された中国の休日。今まで7日間だった労働節休みは今年から3日間で、1~3日が休み、4日は日曜なのに会社&学校!
4・5・6月と3ヶ月続けて3連休があるという今年からの中国の休日、果たして根付くのかどうか・・・。

4月の3連休は上海1泊旅行に出かけたが、この3連休は蘇州1泊旅行へ。
蘇州はバスで1時間なので買い物がてらよく行くが、やっぱり1泊すると夜ものんびり、行ける場所も違うしね~。

前日に無錫9時発のバスチケットを買い、朝タクシーでバスステーションへ向かう。
するとタクシーの運転手さん、「今、駅の周りは渋滞だよ。」と言うではないか。
無錫汽車駅(バスステーション)は火駅(鉄道駅)のお隣、鉄道を利用する人とバスを利用する人で朝7時から周辺道路は渋滞が始まったそうで、私達がたまたま乗ったこのタクシーは無線付きで、運転手さん、道路状況を無線で確認しながら裏道を進んで行く。
途中、太湖大道も太湖方面は渋滞、駅へ向かう興源路も途中から渋滞、普段は15分程度で着く駅へ裏道を通りながら、駅の真ん前には近づけず歩いて5分の場所に25分で到着。

すごいね~、と言いながら、間に合ってよかった、とバスステーションへ行く。
しかしすごいのはここから・・・。

9時発の蘇州行きのカウンターが開かず、カウンター前は押すな押すなの人だかり。周辺道路が渋滞で、蘇州から来るバスがまだ無錫に到着していない模様。
他のバスもそんな状況で、待合室構内にどんどんバスに乗れない人が溜まってきて、まるで写真で見た大雪で電車が動かず人で溢れる広州駅みたいになってきた。
ここで誰かが転んだら将棋倒しになるよな・・・、と恐怖を感じ始めた頃、カウンターがとりあえず開いて、構内待合室から屋外のバス乗り場に誘導される。

しかしここでも行き先別にバスを待つ人の列・・・。
屋外なので息苦しくはないが、今度は太陽が照りつけて暑い。
子ども達は水を何度も飲んで「もう帰ろうよ~」。
私とダンナさん、「まだ1時間は遅れてないからなあ」。

しかし、バスステーションの状況説明は一切なし。これが日本だったら、なんで遅れていて、あと何分くらいで到着予定、とかアナウンスがあるだろうに。
カウンターの電光掲示板も、ずっとバスが出発していないのに、’何番カウンター、何時発どこ行きのバスの改札開始’という案内が自動的に流れているので、自分の乗るバスのカウンター前に人を掻き分けて進む人が後を絶たず、これが混雑の原因のひとつ。

そろそろ来るかな~、と思っていた頃、やっとバス到着。45分遅れでの出発!
そして案の定、駅を出発してから高速に乗るまでがまた渋滞していて、通常1時間の蘇州までの道のりが1時間30分、無錫9時なら10時に蘇州、と思っていたのが11時半になってしまった。

そして蘇州では、タクシーが全っ然捕まらず、移動手段が輪タク、しかもタクシーより高い値段をふっかけられる。

なんだか疲れるばかりの今回の旅行だった。連休に観光地に行くもんじゃなかったな~。

それでも、今回の旅行の目的の一つ、園区にある沖縄料理屋さんに行けたのは良かったかな。
このお店に来るのを楽しみに無錫から来たんです、と言ったら、店長さんから泡盛をサービスしてもらったし♡(有難うございました!!)

園区や新区はタクシー拾えたのに、市中心地が全然ダメだった。
やっぱり中心地に観光客が大勢来てたって事かな。

中国では車を持つ人がどんどん増え、そして車を持たない人でも旅行をする余裕が出てきて、連休はこれからますます人の移動が多くなるのだろう。
もうちょっと、どうにかしてほしいよ、この交通事情・・・。

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