ふーだお通信

2010年までは中国での生活日記。2010年以降は福島(中国語でfudaoと発音)での事。

日々の仕事を

2011-03-30 10:34:28 | 震災
日に日に営業再開するスーパーやコンビニ、銀行や病院などが増えてきているこの付近。

私も月末なのでちょっとお仕事関係の手続きをしようとしているのだが、市内唯一の都市銀行(田舎なので・・・)、今システムトラブルで大騒ぎの「み○ほ銀行」が、いつまでたってもいわき支店を再開してくれないので非常に困っている。

地元の地銀は先週からほとんど再開していて、津波被害でやもなく閉店せざるを得ない場所以外はほぼ通常通り。年度末なので地震も原発も大変だけど、会社はそれなりにやらなきゃいけない事がある。
み○ほ銀行の店舗は市街地で、建物が壊れたか何かしたんですかね?そんな話は聞かないけれど、やっぱり原発が近い(約45km)から営業再開してくれないのだろうか?

上場企業などの大きな会社は、聞くところによるとリスク回避で、このあたりに勤務する社員を他県に移すところもあるという。
保険会社もいわき支店は閉鎖、機能を郡山などに移すところもあるという。

会社としての危機管理として、そういう事もあるだろうとは理解できるが、今地元で日々の生活に少しでも戻ろうと活動を始めた人間としてはちょっと悲しい。

ブログを読ませて頂いているpeaさんが、以前中国でSARSが流行った時、御主人の会社だけが外資系企業の中で唯一社員が残って操業した、という事で地元政府に感謝された、と書いた記事を読んだ事があったが、その気持ち、今はよくわかる。

銀行は特別な事態という事で電話やFAXで対応してくれているのだが、対応が遅い!

原発の事は、そりゃいろんな見方があるし、いろんな対応もあるのだけれど、長期化するのはもう必至らしいこの状況、それならそれなりに私達はやっていかなければいけないんじゃないでしょうか。
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水が出た~!

2011-03-26 10:11:09 | 震災
ずっと断水していた水道が今朝出た。15日ぶり!

市では給水復旧計画を作成し、3日ほど前からHPに公開しているのだが、それによると我が家の近辺は来週初め頃になっていた。
それが前倒しで復旧したので、作業員さんが頑張ってくれたお蔭だ。

市の水道復旧率は未だ40%。そして津波がひどかった地区は復旧の見通しは立っていないという。

我が家は井戸水をもらったり、地震の後でも断水しなかった家が近かったりして、そしてガソリンがそこそこ入っている車もあった事で断水中も水を運ぶ作業は、大変といえばそうだけど、それほどではなかった。
でも、車を持たない高齢者世帯などは毎日とても大変だろう。
自転車にペットボトルを積んで運ぶ高齢者の方を町でたくさん見る。

ライフライン復旧に向けて、頑張っている方々に感謝。
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少しずつ、少しずつ・・・

2011-03-24 12:19:52 | 震災
今週に入ってから、少しずつ町が活動し始めた。

銀行が再開し、町のパン屋さんやお肉屋さんが再開し、ガソリン不足で止まっていた新聞の配送も再開し、今日は郵便局が再開。配送のバイクで走る郵便局員さんを見て、なんだか心強くなった。

一時期ものすごく行列しなければ入れなかったスーパー、並びたくなくてずっと行っていなかったが、今日から市内の系列スーパーが新しく5店舗再開したそうなので、どんなものかと自転車で行ってみると結構普通に入れた。物は少ないながらも、牛乳や豆腐なども買えて満足。
店内にかかっていた音楽は「♪は~るよ こい はーやく こい」。
切実に’春’を待っているみんなの気持ちに寄り沿うナイスな選曲。

帰り道、相変わらず並んでいるガソリン給油待ちで整理券を配っていた店員さんに声をかけると、当日給油の整理券をすんなりもらった。家に帰ってまた車で列に並んで、30分待ちで20L給油。ちょっと前は前日の夜から並ばなきゃ給油できなかった状況が、少しは改善してきているようだ。

我が家はまだ断水中だが、それも少しずつ水がでるようになったという場所が近づいてきていて、給水も前よりかなり楽になった。
お風呂に入れてもらうのに、水が出るようになった親戚の家などに何度か行っているが、ガソリンが入ったのでこれもちょっと心強い。

原発事故で、水や野菜や牛乳に基準値以上の放射性物質が検出され始めているが、ここいわきでは、事故の影響をとっくの昔に受けているからか、ここで今生活している人たちは至って冷静。

「そりゃ心配ですが、大人は長期間飲み続けなければ大丈夫との事です。今は我慢しましょう。」
といわきの情報を掲載しているHPで誰かが言っていたが、私も同感。

地震から約2週間が経って、原発はまだ収まっていないけど、他地区に避難していた人たちが仕事開始などでだんだん戻ってきた。
でも、ここは原発が解決しないと本格的な復興はできない。

今日も朝からヘリコプターが何台も飛んでいく。
現場で作業している方々、どうか頑張って!!
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この辺りの被害について

2011-03-21 11:23:29 | 震災
我が家は家も家族も被害を受けず、本当に幸運だった。

我が家からちょっと先の海側の家は津波で流されたらしい、という話は聞いていたが、通行止めになっていて、そしてこんな状況でとても様子を見に行く訳にもいかず、どうなんだろう?と思っていた。

そして、徐々にネット上で様子を知らせる写真などがアップされている。

いわき市の情報誌のカメラマンが撮影した被災地の写真がUPされているサイト


いわき市の海岸沿いの、津波がひどかった地域を中心に、今の状況を知らせてくれている。
知っている風景のあまりの変わりように、言葉もでない。

そして、この中に私の家のすぐ近く、歩いて10分程度の地区の写真もあった。転載させて頂く。



奥に見える煙突は、常磐共同火力勿来発電所。我が家は煙突よりもうちょっと山寄り。



本当に堤防が決壊している。



この地区でも死者・行方不明者が出ている。家がなくなった方はいまも避難中。

自分の本当に身近な場所で、こんな被害がでるなんて・・・。
当たり前だった事がどんなに幸せだった事か、こんな事になって改めて思い知らされる。

いわきは今、原発で大変だが、震災の被害も大変なものだ。
原発は、市の北部ちょこっとが30Km圏内の屋内避難指示の地域に入っているが、市の一番南端は原発から60Km以上離れている。
目に見えない放射能を恐れ、市北部の人が市の南部に避難してきて、それなのに市の南部の人は関東地方へ避難、そして日本にいる外国人は海外に避難。いったいどこまで避難しようというのだろう。

その中で、震災の復旧作業に従事している人々や自分の業務に忠実に励んでいる人々。本当にすごい。

不安に負けないで、冷静に時間の経過を見守っていこうと思う。
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3月12日

2011-03-21 10:50:27 | 震災
小学校での朝、外が明るくなるにつれて、テレビ画面にヘリコプターからの中継映像が映った。
福島県南相馬市の海岸沿いの風景は、家の土台のみを残してすべてが流された後が。
こんなにきれいに流されちゃうんだ、と呆然・・・。

小学校では先生方が泊り込みで対応。
夜遅くまで、校長先生をはじめ事務方の先生方の放送での子供や避難してきた方々の呼び出し、給水車が来たとの情報など、本来の業務とは全く外れているのに、本当に頑張っていた。
校長先生が先生方へ何度も
「私たちの役割は、子供たち全員を親御さんの手に確実にお返しする事です。」
と呼びかけていて、仕事場所が離れていて、夜遅くにやっと再会できた親子もたくさん。朝まで再会できなかった親子もいたかもしれない。親も子も、どんなに心細かったことだろう。

校内のタンクの水もなくなり、先生方と子供たちでトイレの水用にプールの水をバケツに運ぶ姿もみられた。

9時ころになると、自宅の様子を見にちょっと戻ってみようという人も出始めて、私たちも見に行くことにした。

昨日コンビニの駐車場に止めた車は無事。そこまでは水は来なかった。
でも、家の近くに行くにつれ、ガスボンベや材木、タイヤなどいろんなものがゴロゴロ転がっている。地面は泥だらけ。

家の中まで水が入ってきているかもと心配だったが、家は無事だった。
玄関前まで水が来たようで、いろんな物が流れ着いていたが、本当に良かった。
昨日慌てて家を出たので、洗濯物がそのまま干しっぱなし、窓も半分開いていた。

余震は相変わらず多いし、大津波警報も出たままだし、また避難所に戻ろうかとも思ったが、結局2日目から私たちは家に戻った。
水は出ないが電気とプロパンガスは使えたし、灯油もまだある。
いつでも避難できる用意をして、夜寝る時もすぐに外に飛び出せるようにジャージで寝ている。寝ている間に状況が変わったら心配なので、ラジオはつけっぱなし。

2日目の夜は、余震で何度も起きたけれど、それでも十分眠れた。

避難所では寒さと寝心地の悪さでなかなか眠れないだろう。今も避難所で生活するたくさんの人達が、早く、本当に一日でも早く、ぐっすり眠れるようになる事を切に願う。

*そういえば、この日は私の誕生日だった。前日の昼間に、子供たちにケーキを作ってもらおうと、スポンジケーキといちごと生クリームを買っておいたが、そのスポンジケーキは2日後に昼食がわりに食べてしまった。
娘はどうしてもケーキを作りたいと言ったが、水が出るようになったらまた買おうね、と納得してもらったが、未だ水はでない。

今年の誕生日は一生忘れられない。
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3月11日

2011-03-20 22:03:54 | 震災
3月11日の午後は家にいた。買い物に行こうかなあ、と思いながらパソコンを開いていたのだが、子供たちが3時過ぎには学校から帰ってくるので、ああもう買い物はいいか、家で待っていよう、と思っていた頃だった。

初めは、2日前に起きた宮城の地震の余震がまたきたなあ、と思うようなカタカタの揺れ。
けっこう大きいぞ、窓を開けとこうか、と台所の窓を開けて様子を見ていると、どんどん大きくなる揺れ。
何?この揺れは??

東京などでも結構揺れたそうなのでわかってもらえると思うが、普段の地震とは全く違う、どんどんどんどん横揺れがひどくなる長い揺れ。
家の中のものがどんどん落ちてきて、目の前に屋根から瓦が何枚も落ちてくる。
私は開けた窓を手で押さえながら、絶叫マシーンに乗っているように「キャー!キャー!」と外に向かって叫んでいた。

やっと揺れがおさまって、ドキドキしながら(子供たちがもうすぐ帰ってくるのに、外を歩いていたら大変だ!)と思い、慌てて今まで見ていたパソコンのスイッチを切る。気が付いたら靴下がたった今まで飲んでいたコーヒーがひっくり返ってこぼれて濡れていた。

バックをひっつかんで玄関に向かうと、廊下に置いてあった本棚がひっくり返って本が散乱。それを乗り越え外に出ると、近所の人たちが外に出ている。
100M位先に何かがひっくり返っているのが見えるが(近所の家の物置だった)、その時は、(子供が倒れてきたブロックの下敷きになってるんじゃないか?)とすごく心配だった。
近所の人に「子供が帰ってくる時間なんで見てきます!」と言って、通学路を走った。

途中、塀が倒れている場所は何か所もあり、陥没している場所も何か所もあり、私と同じように学校へ子供を迎えに行くらしい車に乗った親の姿もたくさん見かけ、それでも子供達の姿は見えない。
どうやらまだ学校から外に出てないらしい、と思いながら学校へ急ぐと、私と同じように歩いて学校へ向かう親が増えてきた。
学校近くになるにつれ、親が乗った車で渋滞。それに学校へ向かう坂道が大きく陥没していて車が中に入れない。
歩いてきて正解、と思っていると、校門のすぐ近くで子供達が先生達と一緒に並んで座っていた。

息子も娘も無事。良かった~!!

先生の話によると、下校の時間で校門を出てしまった子も数人いたようだが、そんな子達も地震でびっくりして学校に戻ってきたようだ。
息子と娘のクラスは幸い下校前で、息子は教室で、娘は校庭で地震にあったそうだ。
半分くらいの子が泣いていたが、うちの子供たちは泣いてはいなかった。

手をしっかり握って急いで家に戻ったのだが、家の近くに来ると海の方から車がどんどん来る。消防車も遠くの方で何か言っている。
息子の同級生のお母さんが車の窓から顔を出して
「津波警報がでてるよ。もう水が見えるから早く逃げて。」
と知らせてくれた。

そういえば道路の側溝がやけに増水している。遠くの方に水らしきものがしみ出してきているように見える。
でも家に車があるし、急いで帰らないと側溝の水があふれてきて渡れなくなりそう、と慌てて家に戻り、車に子供達をのせ出発。

こんな時は小学校に行けばいいのか、と考えていると、避難する車の渋滞。
裏道を通ろうとしたら、すでにタイヤ半分くらいつかるほどの水が道路に広がっている。
町に出る方の道が渋滞しているので、比較的空いている反対方向の道を選びながら小学校に向かおうとしたが、やっぱり途中で止まってしまった。
もうこれは歩いた方が早いと、コンビニの駐車場に車を止める。コンビニはすでに営業を中止していて店員さんが水がくる方向を眺めていた。

学校に戻る事になり子供たちはなんだか嬉しそう。まだたくさんの子供たちが残っていて、先生たちは親に子供達をしっかりと引き渡す事を第一に、点呼をしっかり行っていた。
子供たちの先生に「津波がきてます。水が見えました。」と話していると、地区の人達もどんどん避難してきた。

どんどん暗くなって、寒くなると、校庭や体育館にいた私達に校長先生は、
「体育館は寒いですから教室を解放します。ストーブをつけますから移動してください。」
と言ってくれた。

学校は断水はしていたが、電気はきていたので各教室のテレビが見れ、初めて地震の大きさを知った。
大津波警報がでて、10Mの津波がくるという報道を、そんなばかな、せいぜい数メートルでしょ、と思った。

夜8時頃に外にいた母が小学校にやってきて、道路が大渋滞で大変だった話を聞いた。
やっと家の近くにきたら家に曲がる道が津波で通行止めになり曲がれなくて、それで小学校に来たという。近所の堤防が決壊したという噂も聞いた。

テレビの映像が燃えるコンビナートや三陸の様子を伝えている。

あとから避難してきた人はみんな準備よく毛布など持参していたが、私は何にも持たずに来てしまい、防災用の毛布とお隣の多めに毛布を持っていた方から貸して頂いた。
乾パンが一人1缶配布されて、教室の床に毛布を敷き詰めて座った。

余震が何度もあり、そのたびに窓近くに座る人が窓を開ける準備をしたが、あまりの余震の多さにそのうちちょっとの揺れではみんな動かなくなった。

子供たちは「寝ない」と言っていたが、やっぱりそのうち眠ってしまった。
私は結局寝ないでテレビを見ていた。他の人達もほとんど起きていた。
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原発 早く終息を

2011-03-17 14:25:09 | 震災
11日の地震から7日が過ぎた。
被害の状況が明らかになり、徐々に、徐々に電気や物流状態など回復しつつある。

そんな中で、原発。

こちらは、徐々に、徐々に深刻になりつつある。

私の住む場所はいわき市の南、茨城県近く。原発から約50km。
屋内退避の30km圏内に市の北側の一部が入っている。
近くの中学校には20km圏内の町から避難してきた方がいる。

自主的にいわき市からすでに避難する人もたくさんいる中で、私と同じように、事態が長期化する可能性がある中で、貴重なガソリンを使って混雑している道路を避難するリスクを考えると、今の段階ではなるべく外にでないようにするのがいいという考えで残る人もいる。

無錫にいる夫も心配して、いろいろな情報をメールで知らせてきてくれたりしている。
夫の友達で原発関係の仕事をしている人からは、日本の原発の構造はチェルノブイリのような事には絶対にならない、50km離れていれば大丈夫だ、と話しているという。

それにしても、いつになったら事態は終息に向かうのだろうか?

家の上空を何度もヘリコプターが飛んでいく。自衛隊か報道関係のヘリかな?

どうか、どうか現場で行われている復旧作業が効果的に良い方向へ作用しますように。

ニュースで報道を見るたびにドキドキしているのだが、うちの父母や近所のおばさんなんかが、全然のんきでいつもと変わらないのになんだか安心する。
やっぱり人生の先輩達は偉大だ。
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地震

2011-03-13 10:36:24 | 震災
11日の地震、我が家は大丈夫です。
電話・ネットと繋がりにくく、今やっと接続できてメールを開くとたくさんの方からメール頂いていました。
ご心配おかけしました。有難うございます!

津波で我が家は家の前まで水がきましたが幸い家の中までは入りませんでした。
ちょっと離れた海のすぐ近くの家は倒壊したところもあります。
原発はここから50km程度離れています。
今はいつでも避難できるようにしていますが、果たしてこの状況いつまで続くか・・・。

詳しくはまた後日。
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久しぶりの年度末

2011-03-04 12:15:32 | 思う事(2010年4月~)
3月に入り、日本の年度末の雰囲気を久々に味わっている。
卒業式やら年度末の移動やら、やっぱり日本は4月からが新生活が始まるんだなあ。
中国にいるとこの感じは味わえない。

そんな私も年度末で、今年は息子の学校のPTA役員だったので、来年度4月からの新役員さんを決める根回しに振り回される毎日。
皆さん引き受けて下さらなくて、毎日誰かに電話してお願いしている。ふぅ・・・。

そして来年度は子供会の役員。引き継ぎやら総会やらが3月末にあるそうだ。

他のお母さん達とお話していると、子供が小学生になってから働き始めるお母さんのなんて多い事!
皆さん毎日本当に忙しく過ごしていて、PTA活動なんてとても手が回らない、という方が多いけど、それでも’できる事には協力します’と言ってくれる方も多い。
そうなんだよなあ、役員ばっかり仕事が多いような感じだけど、もうちょっと分担していろんな事を進めていければいいんだろうなあ・・・。

なんだか忙しいなあ、と思いながら、久々の日本の年度末の雰囲気に自分も少し乗ってるような感じでちょっと嬉しかったりして。

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