こんにちは!
日本の峠は約3773件存在するそうです
かつて、山登りでいったいどのくらいの峠を越えていったのでしょうか?
よっぽど印象に残った峠道以外は>ほとんど素通りして記録に残っていないのが現状です
年のせいでしょうか 人生の峠道 苦労しながら越えて行った峠道、
車に乗り難なく越えて行った峠道、人生の岐路にさしかかり思い出しております
峠(とうげ)とは、山道を登りつめてそこから下りになる場所
山脈越えの道が通る最も標高が高い地点である
今回の記事は飯田市、木曽郡南木曽町への最短経路の
大平峠(おおだいらとうげ)を掲載してみたいと思います
南木曽側より大平峠(おおだいらとうげ)を眺める
別の名は木曽峠
大平峠(おおだいらとうげ)は、
長野県の飯田市と木曽郡南木曽町の間にある
標高1,358mの峠 別名「木曽峠」とも言う
通り峠はトンネルであるが、まるで土管のようである
飯田市から木曽郡南木曽町へ抜ける最短経路である大平街道
(長野県道8号飯田南木曽線)に二つある峠のうちの一つで、
飯田市・南木曽町境にある 県道8号線上で最も標高が高い峠である
霧の深い峠としても知られており、明け方や雨天時には注意が必要である
冬季は路線が閉鎖されるため通行できない
木曽郡南木曽町へ抜ける峠道
飯田市(いいだし)と木曽谷南部の南木曽町(なぎそまち)妻籠(つまご)を
結ぶ通称大平街道
木曽郡南木曽町側 大平峠/木曽峠にある東屋
木曽郡南木曽町側 峠道
大平峠(おおだいらとうげ)飯田市側トンネル出口
飯田市側より眺める大平峠(おおだいらとうげ)
飯田市側に設置されている大平峠(おおだいらとうげ)看板
長野県南西部、木曽山脈(きそさんみゃく)の南部を
東西に横断する峠 木曽峠ともいう
標高1358メートル
飯田市(いいだし)と木曽谷南部の南木曽町(なぎそまち)妻籠(つまご)を結ぶ
通称大平街道の峠で、近世初期以来、
中山道(なかせんどう)の宿場(しゅくば)妻籠で荷を積み換え
木曽山脈を横断した物資の輸送路で、
多くの物資運送の馬が通り、
中央本線や飯田線が開通したのちも盛んに利用された
1919年(大正8)には定期バスも運行されたほどである
しかし、昭和40年代初めからは急速に交通量が少なくなり、
バス運行が廃止されただけでなく、
峠の東にある大平街道の宿駅であった
大平集落28戸も1970年(昭和45)には全戸離村し廃村になった
近年大平集落の保存運動がおきている
街道には茶屋がいまなおあり、峠からの眺めはよく、
道標も残されている
大平峠(おおだいらとうげ)周辺の案内図
二つの名前を持つ峠 周辺の案内図にも記載されている
大平峠/木曽峠
最後まで御覧頂きありがとうございます
今回の掲載記事にも紹介している全戸離村し廃村になった
大平集落について次回記事にふれてみたいと思います
次の投稿までご機嫌よう
日本の峠は約3773件存在するそうです
かつて、山登りでいったいどのくらいの峠を越えていったのでしょうか?
よっぽど印象に残った峠道以外は>ほとんど素通りして記録に残っていないのが現状です
年のせいでしょうか 人生の峠道 苦労しながら越えて行った峠道、
車に乗り難なく越えて行った峠道、人生の岐路にさしかかり思い出しております
峠(とうげ)とは、山道を登りつめてそこから下りになる場所
山脈越えの道が通る最も標高が高い地点である
今回の記事は飯田市、木曽郡南木曽町への最短経路の
大平峠(おおだいらとうげ)を掲載してみたいと思います
南木曽側より大平峠(おおだいらとうげ)を眺める
別の名は木曽峠
大平峠(おおだいらとうげ)は、
長野県の飯田市と木曽郡南木曽町の間にある
標高1,358mの峠 別名「木曽峠」とも言う
通り峠はトンネルであるが、まるで土管のようである
飯田市から木曽郡南木曽町へ抜ける最短経路である大平街道
(長野県道8号飯田南木曽線)に二つある峠のうちの一つで、
飯田市・南木曽町境にある 県道8号線上で最も標高が高い峠である
霧の深い峠としても知られており、明け方や雨天時には注意が必要である
冬季は路線が閉鎖されるため通行できない
木曽郡南木曽町へ抜ける峠道
飯田市(いいだし)と木曽谷南部の南木曽町(なぎそまち)妻籠(つまご)を
結ぶ通称大平街道
木曽郡南木曽町側 大平峠/木曽峠にある東屋
木曽郡南木曽町側 峠道
大平峠(おおだいらとうげ)飯田市側トンネル出口
飯田市側より眺める大平峠(おおだいらとうげ)
飯田市側に設置されている大平峠(おおだいらとうげ)看板
長野県南西部、木曽山脈(きそさんみゃく)の南部を
東西に横断する峠 木曽峠ともいう
標高1358メートル
飯田市(いいだし)と木曽谷南部の南木曽町(なぎそまち)妻籠(つまご)を結ぶ
通称大平街道の峠で、近世初期以来、
中山道(なかせんどう)の宿場(しゅくば)妻籠で荷を積み換え
木曽山脈を横断した物資の輸送路で、
多くの物資運送の馬が通り、
中央本線や飯田線が開通したのちも盛んに利用された
1919年(大正8)には定期バスも運行されたほどである
しかし、昭和40年代初めからは急速に交通量が少なくなり、
バス運行が廃止されただけでなく、
峠の東にある大平街道の宿駅であった
大平集落28戸も1970年(昭和45)には全戸離村し廃村になった
近年大平集落の保存運動がおきている
街道には茶屋がいまなおあり、峠からの眺めはよく、
道標も残されている
大平峠(おおだいらとうげ)周辺の案内図
二つの名前を持つ峠 周辺の案内図にも記載されている
大平峠/木曽峠
最後まで御覧頂きありがとうございます
今回の掲載記事にも紹介している全戸離村し廃村になった
大平集落について次回記事にふれてみたいと思います
次の投稿までご機嫌よう