こんにちは!
今回の掲載記事は11月6日~8日にかけて訪れた中山道、木曾路、
飛騨路の旅の風景を数話に分けてお届けしたいと思います
今回の記事は長野県飯田市に1970年(昭和45年)迄 存在した宿場町
江戸時代末期の風情を残す廃村の南信州大平宿を掲載してみたいと思います
廃村の南信州大平宿
大平宿(おおだいらじゅく)は、長野県飯田市に存在した宿場町
中山道と三州街道(伊那街道)を結ぶ大平街道のほぼ中間地点、
標高1150mの大平高原と呼ばれる山中のわずかな平地に
建物が点在している
廃村の大平宿は
現在「いろりの里 大平宿」として保存され、
不定期で各種イベントが行われている
また一般開放されているので、協力費を添えて申し込めば、
古民家一軒を借り切って宿泊(すべて自給による)することも
可能となっている 2017年4月以降、大平宿の宿泊の問い合わせは、
飯田市からの指定管理者となった南信州観光公社が行っている
江戸時代末期の古民家が立ち並ぶかつての宿場風景
ここは2004年(平成16年)春 - 山田洋次監督作品
「隠し剣 鬼の爪」最後の決闘シーンが撮影されたロケ地
江戸時代末期に旅人が行き交った風情が残る旧街道
江戸時代末期に旅人が行き交った風情が残る旧街道跡
江戸時代末期の古民家
大八車が置かれている江戸時代末期の古民家
江戸時代末期にタイムスリップしたような風景が残る大平宿
かつて最盛期を迎えていたころ、戸数70を超える賑わいを
見せたと言われる日本の原風景
大平宿 紙屋
この古民家は唯一設備が整っている宿屋
寝具から調理器具、お風呂(自動)まで揃っている
南信州観光公社以外の管理宿屋
大平宿シンボル的な石仏群
江戸時代末期の原風景が残る大平宿
大平宿案内図
大平宿集団移住記念碑
昭和30年代に清内路村(現阿智村)の清内路峠を越える
国道256号が開通すると大平街道の交通や物流は減少の一途を辿った
また、高度経済成長によるエネルギー需要の変化により
村の中心産業であった林業(炭焼き)が成り立たなくなり、
昭和35年の戸数は全盛期の半数以下の38戸にまで減少した
1970年(昭和45年)、住民の総意として集団移住を決定し
、同年11月末、大平宿は約250年の歴史に幕を下ろしたが、
現在でも有志によってその維持が続けられている
また、2017年(平成29年)に大平宿をのこす会は解散したが、
引き続き宿泊体験は南信州観光公社を窓口として行われている
大平街道の石碑
大平宿から飯田市方面の飯田峠に立つ石碑
飯田市中心部の三州街道(現・国道151号線中央通り三・四丁目)を起点に、
長野県道8号飯田南木曽線、飯田峠と大平峠(木曽峠)を経て、
木曽郡南木曽町南部の吾妻保神地区で国道256号線となり、
南木曽町吾妻地区で中山道(旧中山道)と合流する街道である
なお、街道のうち長野県道8号飯田南木曽線は冬季閉鎖となっている
最後まで御覧頂きありがとうございます
次の投稿までご機嫌よう
今回の掲載記事は11月6日~8日にかけて訪れた中山道、木曾路、
飛騨路の旅の風景を数話に分けてお届けしたいと思います
今回の記事は長野県飯田市に1970年(昭和45年)迄 存在した宿場町
江戸時代末期の風情を残す廃村の南信州大平宿を掲載してみたいと思います
廃村の南信州大平宿
大平宿(おおだいらじゅく)は、長野県飯田市に存在した宿場町
中山道と三州街道(伊那街道)を結ぶ大平街道のほぼ中間地点、
標高1150mの大平高原と呼ばれる山中のわずかな平地に
建物が点在している
廃村の大平宿は
現在「いろりの里 大平宿」として保存され、
不定期で各種イベントが行われている
また一般開放されているので、協力費を添えて申し込めば、
古民家一軒を借り切って宿泊(すべて自給による)することも
可能となっている 2017年4月以降、大平宿の宿泊の問い合わせは、
飯田市からの指定管理者となった南信州観光公社が行っている
江戸時代末期の古民家が立ち並ぶかつての宿場風景
ここは2004年(平成16年)春 - 山田洋次監督作品
「隠し剣 鬼の爪」最後の決闘シーンが撮影されたロケ地
江戸時代末期に旅人が行き交った風情が残る旧街道
江戸時代末期に旅人が行き交った風情が残る旧街道跡
江戸時代末期の古民家
大八車が置かれている江戸時代末期の古民家
江戸時代末期にタイムスリップしたような風景が残る大平宿
かつて最盛期を迎えていたころ、戸数70を超える賑わいを
見せたと言われる日本の原風景
大平宿 紙屋
この古民家は唯一設備が整っている宿屋
寝具から調理器具、お風呂(自動)まで揃っている
南信州観光公社以外の管理宿屋
大平宿シンボル的な石仏群
江戸時代末期の原風景が残る大平宿
大平宿案内図
大平宿集団移住記念碑
昭和30年代に清内路村(現阿智村)の清内路峠を越える
国道256号が開通すると大平街道の交通や物流は減少の一途を辿った
また、高度経済成長によるエネルギー需要の変化により
村の中心産業であった林業(炭焼き)が成り立たなくなり、
昭和35年の戸数は全盛期の半数以下の38戸にまで減少した
1970年(昭和45年)、住民の総意として集団移住を決定し
、同年11月末、大平宿は約250年の歴史に幕を下ろしたが、
現在でも有志によってその維持が続けられている
また、2017年(平成29年)に大平宿をのこす会は解散したが、
引き続き宿泊体験は南信州観光公社を窓口として行われている
大平街道の石碑
大平宿から飯田市方面の飯田峠に立つ石碑
飯田市中心部の三州街道(現・国道151号線中央通り三・四丁目)を起点に、
長野県道8号飯田南木曽線、飯田峠と大平峠(木曽峠)を経て、
木曽郡南木曽町南部の吾妻保神地区で国道256号線となり、
南木曽町吾妻地区で中山道(旧中山道)と合流する街道である
なお、街道のうち長野県道8号飯田南木曽線は冬季閉鎖となっている
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