05/20
雨に打たれ傷つきながらも咲こうとしてる薔薇 マースランド フォーエバー デンマークのローズ フォーエバー社
株式会社 あおもり花工房、ドキッとするような赤、健気にも雨に打たれて咲こうとするのです、オナゴみたいですよ、
05/18
サニービーチ フォーエバー デンマークのローズ フォーエバー社で開発された四季咲きバラ、株式会社 おあもり花工房
きれいですね~鉢を替えて植え直したらもっときれいに見えたのは気のせいかしら?
こっちの家は坂道の途中にあって、もっと上には元社宅が沢山建ってて分譲したようよ、住んでおられる方々は退職後の
方々が多いので私らと同年代だとお見受けする、
坂道を上ってゆくのも大変そうだけど、下りてくるのも大仕事のようで、でも考えようによっては運動になる、歩くのが
困難になるよりは今のうちに歩いていた方がいいに決まってる、
昨日は買い物に行き、今日は今日で台所の掃除を始めようかなと思ってる、何かしてないと空ばかり眺めてるようになる
変化が欲しいので、せめて家の中でも動いていたい、暑いのですけど(´∀`*)ウフフ
05/16
爽やかな花が欲しかったので”松葉牡丹の白”を、黄色の蕊が可愛らしくて、その中で白いリボンのような蕊もあって珍しい
05/16
松葉牡丹の蕊がこのように神秘的だとは知りませんでした、
神秘的からは遥かにほど遠い話ですけどオトコの老いの不機嫌の大きな元は、妻よりも歳が上な分だけ身体的にも不具合が
早く身の上にくるイライラによるものと私の連れの場合は見えた、
料理も盛り付けも妻より完璧に上だ!と思っていたのに、どうも仕上がりが今までのようにきれいじゃない、色彩的にも、
付け合わせの野菜の切り方にも、衰えが見える、それを最初は写真にとるために、料理台でさり気なく直していたけど、
毎回じゃ面倒なので、つい配膳してから、隙を見て直して写真を撮る、そこはホラ私のブログですから気構えるわけ(笑)
それに動きが鈍くなって、階段をトントントンと軽やかになんて到底無理、なら何も見栄を張らないで、ゆっくり慎重に
動けばいいだけの事、なんで私なんかを相手に優位に立とうとするのかね?
こっちは気を遣ってなるべく癇に障らないように上と下に過ごしてるというのに、まだ不満があるのかい?と問いたい処、
あまりに現役当時に頭を高くさせた私が悪いというのかえ?
冗談じゃあないでしょ、どれほど細かな気遣いをしてきたのか想像もつかないでしょう?いい加減もういいでしょうよ?
子にも気遣ってるから、今は私も大人しくしてるけど、そのうち私の本来の性分がドッカ――――ン!もないじゃないよ、
潮時ということをわすれちゃならないべ(´∀`*)ウフフ
05/14
こうもすっくと立って咲かれると見とれてしまう バーベナ ピンクパフェ "輪になって咲こう" という感じが好きです、
05/14
ここにきてのお湿りがよかったのか今までで一番きれいな咲きっぷりです、やはりお手入れの成果ですよ、
John Denver - Take Me Home, Country Roads (Official Audio)
こういう感じかな~♬
05/17
子育てをしてた頃、本当は楽しかったのよ、それはなぜかと言うと、仲間内で連れの愚痴を言わなかったから(笑)
職業欄で記入する時、家庭を営み、家族を活かし、多方面で活躍してたというのに「無職」扱いはどうなの?私は頑なに
「専業主婦」と書いてた、オナゴにプライドは要らないというかもしれないけど、人間にプライドは不可欠でしょう、
自己抑止力の点でも大きなポイントだと思うけど、そういう小さなことも老いたオナゴの腹立ちの元でもあるんじゃない?
結局、老いればオナゴのチカラは必要なんだし、むしろオナゴの連れがオトコなんじゃないの(´∀`*)ウフフ
05/17
きれいよね、このバラの花の流れは、そういう薔薇の花のきれいさに比べたら老後のオナゴのモヤモヤは何なのだろう、
モヤモヤなどと言いながら食欲はないわけじゃないので、食べたいものをつくる時には一心不乱に下ごしらえだけは手抜き
しない、出来上がった時の味が全然違うので、丁寧に作ればこそ美味しいのよ、今季初の真夏日で、なら昼食は冷やし中華
まだラーメン屋でさえ”冷やし中華始めました” の看板は見てない、
一番の材料は薄焼き卵、これの出来具合では冷やし中華も上出来とはならない、子は大きめのフライパンじっくり仕上げた
”家庭内別居”でも食事は3人一緒、浮世の義理ですから(笑)
05/18 卵の焼き色といい薄さといい上出来ではないの?
05/18 具材はシンプルに、旨い!
些末なことはまあいっか~と思えるから食事は心を宥める大事な、今風に言えば”必須アイテム”であろう、
05/14
アルメリアも順調に咲き揃ってきて、手毬のような姿が気に入りました!
今、洗濯物を干してたら(主婦には何に没頭してても、家事だけは時間で熟す習性ができるもんなのね(´∀`*)ウフフ)
いつものぉ散歩の方がワンちゃんと奥様とご一緒だったので、ベランダから目礼したら返して下さった、久しぶりだった
お元気で何よりだと心底安堵した、大袈裟だとお思いかもしれないけど、世の中が素っ気ない時代になって、何もかも面倒
で片づけられるから、こんな風に小さな心配も、そういう気持ちを持てることに、あら、捨てたもんじゃないじゃない?
朝の空気は清々しくて、お日様の明るさもよくて、まあ一日の始まりとしては良いわよ、
元ママ友さく裂第3弾!!!
「現役当時、出勤前の朝の忙しい時間帯に”お~靴!”というから、出してあったはずなのに、と思って玄関に行ったら
”靴の向きを変えろ”と言う、”昨日、揃えなかったのは、あなたでしょ?行儀が悪い!靴ぐらいは揃えてって、親から
言われなかったの?”腹の中で思いながら、靴ベラの先で変えた(爆)
そしたらムッとした顔して出勤した、あーー今、思い出しても腹が立つ」だって!
これはほんの一例を挙げただけのこと、洗濯物は洗濯籠にポイッ!背広は脱ぎ捨て下着のままでテレビの前にデンと座って
出来上がってる食事に向かう、今、子らが揃う処の、ドラマで言えばいいシーンの始まりでしょうがぁ~と思いながら、
元ママ友はエプロン外しかけたというに、全く家庭の美しい流れに邪魔をする”鈍” な存在だったらしい、
今更、過去の事をとやかく言ってどうなる?時効だろうがと思うでしょうけど、オナゴは我慢した過去の事は忘れられ
ないように生まれついてるの、出産時に居なかった、子育てに協力をしなかった、些細なことだけど、若者には分かるまい
現役だということに胡坐をかいて、いかにも大仕事をしたかのように圧をかけながら暮らしてきた日々を思い返して、今の
老後のサパッとしない時の流れが、オナゴの苛立ちの原因かも(苦笑)
オトコも大変だった!と言うけれど、元ママのキレのいいエンディング、
「あなたは朝私に文句を言って出かけても、会社に行けば喋る人も笑あ合うひとも、達成感の有る仕事もあるでしょうけど
私は独りでその気分と向き合いながら、達成感のない、誰も認めてくれない、途轍もない長い時間を熟してるんだよ、
例えばお母さんも色んな事してくれるから、家族は気分のいい日々を過ごせるんだよ、とか、お父さんもお母さんには感謝
してるんだよとか洒落た言葉は言えなかったのか?私は昼寝ばっかしてたわけじゃないんだよ」(怒)
怖~~~い、その気分が、ダダ洩れの退職後のオトコの振る舞いに、言葉にイラッとするだよ、
イヨッ!と大向こうから、掛け声をかけなきゃならないほどのセリフの流れだった、
元ママ友さく裂 第2弾!!
「あなた趣味は続けてるの?」と元ママ友、私 「続けてる、ただし参加の会は変えた、モヤつきながら残り少ない日々を
我慢しながらじゃ趣味じゃない」と(^^ゞ
「会費のことで揉めてね、私会計だから、年¥暮らしが多いから色々さ」と元ママ友、私「会計はやらない、面倒な上に
それぞれ持論が違うし、ぉ他人様の¥を遣り繰りするなんて本末転倒だよ、文句言われるくらいなら会を変えた方がいいん
じゃね?」と(^^ゞ
「指導者が変わって、歴が浅いからって文句を言うオバ様がいて、管(フルート)をやめて弦(バイオリン)にすると、
そうしたら管が2人になっちゃった!しかももう1人は初心者よ」と元ママ友、私「会はたくさんあるんだからあなたが会
を変えた方がいいんでね?、あたしは変えてスッキリ!!! オーケストラが和してない(笑)」と(^^ゞ
「指導者は一生懸命やってくれてるから私は皆に諮りながら、謝礼を決めて花束を演奏家の後さし上げるという今までの
やり方は変えたくないのに、謝礼を減らせ、花束やめろって」と元ママ友、私「時間がもったいないよ~先が短いんだから
皆のご託に苦労しないで、他の会の方がいいかもよ、自分も変えられないんだし自分に合った処は必ずあるからさ」(^^ゞ
「趣味がなくて昼寝だけじゃ味気ない、ただでさえ緩くなってる私の明晰だった(笑)アタマが心配なのよ」と元ママ友、
私「それは私も心配、それじゃなくたって物忘れもあるし、新しい会を探して新しい出会いもいいんじゃないの?」(^^ゞ
とまあ悩みは尽きない 70 オナゴの愚痴は果てしなく、そりゃ焦りや読めない先のことを考えて、するわけだから明るい
未来なんて望むべくもない、とはいえ、子らのためここまで頑張って、大袈裟に言えば艱難辛苦を乗り越えてやっとホッと
していいはずの老後なんだもの、少しは楽しいことがあったっていいじゃない?
皇帝ネロに耐えてきたんだしさ、尤も皇帝が相手なら后メリッサだから、そりゃ耐えもしましょうよ、
どうしてそんなに高飛車なのさ? (´∀`*)ウフフ
05/14
ということで映画の話は前ページに移行しました、なぜって今日が清々し過ぎて眩しいくらいの日和なので、ちょっと、
別の可笑しい話を語りたいので(^^ゞ
子育てをしてた頃に近所にお住まいだったママ友(今じゃあ婆友よ)から「聞いて聞いて」の電話があった、
「聞きます、聞きますとも~」で始まってこ一時間話した、あるもんですね~同じような愚痴が!
相手のご夫婦は 80 76 で私の所と同じような成り立ち、子らも同級生で少年野球チームも同じで、毎日会ってた間柄、
神奈川県〇〇〇市で、静かな闘志を胸に秘めながら専業主婦を張っていた私たち(笑)
ご夫婦は、その夫の姉が独居になったので、近くに家を建てて貰って家賃を払って暮らしてる、建てた時の経費の分を払い
終えたら名義を変更するという口約束、92歳のその姉様は高齢で独居は難しいとなった、弟4人もいたけど、それぞれの
その連れの反対にあって同居は断念して、ちょっと離れた自立支援センターに入所した、
ぉ子がいないのでその夫婦の次男を養子とし後継者にした、はいいけど海外に派遣されて家族で転居したので独居になった
その弟夫婦と同居という手もなかったわけじゃないけど、そこはほら、元ママ友が難色を示したので仕方がない、
その夫の愚痴で元ママ友がさく裂!長くなるので箇条書き、
◎「耳が遠くなったのなら補聴器を入れたら」とその夫「あなたの大声を聞きたくないから耳が遠くなった」と元ママ友、
「そういう事ってあるよね、大声と説明しようとする努力は違うからね」と私(^^ゞ
◎「姉をセンターから連れてきて、弟たちと叔母さんを招いて食事会をと姉のオーダー」とその夫「近くのホテルで泊り
がけの食事会にして」と元ママ友、「そりゃそうでしょう、あなただって 80 近いんだから、92歳の義姉の介添えには無理
がある、ましてやもっと高齢の叔母様との外出なんて」と私(^^ゞ
◎「おーい水」とその夫「おーいお茶なら伊藤園”笑”」と元ママ友、「そんな事まで言いつけて、座ったきりなの?へーー
全然動かないの?Kさんは?変わったわね」と私(^^ゞ
「いやいや変わらないよ、外面だけはいいんだから誰にも分からない」元ママ友「あんなに庭掃除してたのに」と私(^^ゞ
◎「俺の親族には冷たいなぁ」とその夫「私の親族への言動のお返しですよ」と元ママ友「黙って言うことを聞いてきた
結果、オトコは”おらおら俺様”になっちゃった!そしてぉ他人様から操縦の間違いだった!と言われ踏んだり蹴ったり」
と私(^^ゞ
◎”座ったきりだから、先に黙食し始める”その夫「並べた食事を先に食べ汚れた食器はそのままで、頂きますもご馳走さま
もない」と元ママ友「そんなこと言うわけがない、うちは食べたいものを作って子が帰る前に孤食、黙食」と私(^^ゞ
◎「相変わらず作ってくれるの?いいわね~」と元ママ友「台所はごちゃごちゃにしたまま、後片づけするのに腹が立つ、
後片づけまでが料理でしょ?それに私の口には合わない”笑” 子と私は好きな酒の肴をさり気なく追加~~~」と私(^^ゞ
まあ笑い話だけど、今まで黙って従ってきたのは子らがイヤにならないようにしてただけ、積もり積もってアルプスよ
今じゃ何処のお宅も家庭内別居が洒落てるライフスタイルという時期かもね、
「あなたは2階?1階?」と聞かれたから「私は2階」と応えたら「私は1階、だって台所が1階だし~」と元ママ友が言う
「そうなんだよね~私も1階がいいなぁ」と言ったら「だって料理する人が1階でしょ!」と叱られた(^^ゞ
「あ!義姉の家から帰ってきた!」と元ママ友が慌てたので、私は「早く切って~私の声がもれると(´・д・`)ヤダ」
だって左耳だけが遠くなった友は電話はオープンにして喋ってると言うから、
長電話も自由にできないなんてなんて、不自由なんでしょね?陰口だから聞かれちゃまずいし~へ? (* ´艸`)クスクス
雨の日なので”揚げ出し豆腐” の話、
”東京には空がない智恵子は東京に空が無いといふ、ほんとの空が見たいといふ、”👈 引用
高村光太郎センセは昭和3年5月にそうお書きになった、智恵子さんは心からそう思ったと私は読んだ、
E ちゃんは”北国の空はいつもグレイ、東京の空が本当の空だわ」と言った、私はといえば詩心もないので「どっちも本当
の空だと思うけど」と味気ない返事だったよ、その時の日本酒の当てが揚げ出し豆腐だった、懐かしいわ、
さて E ちゃん、東京生まれの東京育ちで、およそ北国には縁がないのに、SJ でまさかのオトコとご学友となった(笑)
のが運の尽きとばかりに何も知らずに北国の、あろうことか長男の嫁になった、なぜ私が知り合いになったかというと、
その夫が私の高校の同級生だった、それだけの縁でしたのよ、でも気が合って時にはオトコを抜きにしても飲んだりはした
だって愉快なオナゴだった、ウマが合ったというような、
「あーーあ、寡黙だと思って顔に見惚れてつき合ったのに、単なんるボキャ不足だったのよ!それに長男だから親と同居が
当たり前だなんていうシステムは知らなかった、東京じゃそんな暗黙の了解みたいなものはない、しかも、親だけじゃなく
その姉たちも、ぉ嫁にいかずに同居だった、聞いてない、姉が3人いるとしか(笑)
それって契約違反じゃないのよ、家は建てるからぉ嫁にきてと言ったのに、一向に家は建たない、建った!と思ったら、
姉たちも一緒に転居した、分かる?この時の絶望感を?」酒の勢いかとも思ったけど、40過ぎてからの話だから、まあね
揚げ出し豆腐が気に入ったようでお代わりをしてたのが印象的よ、
私が嫁にきて里帰りをすると待ってました!とばかりに誘い合った、その夫は私が相手だと知って安心するようで「E の話
を聞いてやってくれ~~」と都合のいいことを言っては笑ってた、しかしなあ「好きで東京嫁を貰ったのに、何で放ってお
くのよ?」と訊いた事もあったけど有耶無耶、元から決断力はないオトコだったね、そう言われてみれば、
それなのに見栄っ張りで転校生の私には積極的で、要するに目立ちたいけどチカラ不足というような(失敬!)
「分かりますとも、都合の悪いことはすっ飛ばしちゃうのよ、そういう時のオトコってなるようになれ~と思うんじゃ
ね?面倒くさがりだから、ありがち」と私、
「それに嫁にきちゃってから何だかんだと言っても始まらないと諦めちゃうのがオナゴよ、子らが可愛いから、子育てに
熱中してると、舅姑、小姑なんてどうでもいいと思えてくるから不思議なもんね」とオナゴは呟いた、
オトコを責めてるのではないのです、オナゴは産み育てるという性分をもってこの世に生を受けてるのですよ、オトコは
産んで貰っての性分なのですから、自ずと違うのです、
もしオトコがオナゴ(母)に産んで貰ったという感謝の気持ちが少しでもあるならば、自分の子らを産んでくれた連れに、
感謝こそあれ、文句の言えた義理じゃないのです(苦笑)
それを黙って、いずれは分かってくれるだろうとオナゴはオナゴの道を歩むのですけど、残念ながらオトコは気づかないの
ですよね、母親に感謝することはあろうけれども、連れに感謝の気持ちはあるのでしょうか?
あるとしても言葉にしたことはないでしょう、そこが夫婦の大きく隔たってゆく兆しなのですけど、考えたこともないので
はないかしら? ちょっと美味しい🍹を飲んじゃったので、記事は明日にしますね~
今日はそれ程日も照らず微風がここち良くて過ごしやすい、網戸越しの風は部屋の開け放したドアを通り抜け、下の階へと
吹いてゆく、このシステムっていいじゃありませんか?やはり自然の風ですよ、なんたって、
さてオトコとオナゴのすれ違い、やはりどう考えてみても子を持った母親は、子らを一番に考えて、自分の心は時に蔑ろに
しちゃうので、オトコとはそこが違うのよね、そりゃあオトコも子らのことは考えるでしょうが、自分の次じゃないかしら
だから優先順位が違うとまでは言いませんけど、
子を産めば自ずと価値観や存在の意義をオナゴは知り、自分の出産の番では自主的に採りしきっていかなければなりません
そこで強くなるという仕組みができあがり、自立してゆくのです、
オトコは子は産まれたと認識はするでしょうけど、経済面でのバックアップですから、その手をもて子を育てるわけじゃ
ないので、どうしても温度差はありましょうよ、
オトコとオナゴは何時まで経っても夫婦になればなおの事、心が通いあわない立ち位置になっちゃんうんだよ~と辿り着く
全てがそうだとは言いませんけど、
東京のオナゴの話ね、E ちゃん「私はね、ここにぉ嫁にきてつくづく思った事がある、どうしても埋められない価値観があ
って、それは私が努力したって、相手がのってこなきゃどうにもならない、あんなに乞われてぉ嫁にきたというのに、子ら
が生まれたら、もう目的は果たした!と言うように相手は家庭には目もくれず、付き合いだの商談だのと一端の事を言っ
て、小規模商業の家に商談なんてあるのかね?
家を空けるようになった、まあそれはそれでいいけど、私はこのエリアで孤軍奮闘してるのに、相手は妙に楽しそう過ぎて
腹が立つのよね、
そんなこと誰に言ってみた処で、というより言う人もいない、友達がいなんだから、口を閉ざせば実家に行って来たら?と
言うし、口を閉ざせば「俺の家を建てることにしたから」と機嫌を取ってくる、そういうことじゃないんだよと言っても、
何だか分からないけど避けられてるような気がする日々だった」と、
そこで E ちゃんは考えた、子らが大学生になったら実家の近くに住む!東京に帰ると、孤独の坩堝のような処で年老いて
ゆくのは御免だと、上の娘が大3(東京)で、下の息子が高3(北国)の卒業と同時に上京した、
上京したからと言って直ぐに自宅を持てるわけもなく、嫁に出たオナゴは実家帰りもままならない、独りならともかく、
息子と娘が一緒じゃ話はややこしい、その実家には兄嫁もいて、その子らもいて同居はご免だ!(笑)
兄嫁が言うのはご尤もですもんね、それでその親は不憫に思ったのか貸家を借りてくれた、ひとまずその家からその子らは
大学へ、出戻ったオナゴは資格を持ってなかったからパートに出ることとなり、子らの授業料はEちゃんの元連れが支払い
慰謝料として渡した(名義をEちゃんにした)北国の家に元連れが住んで、その家賃を払うというシステムをEちゃんの
父親が(ヤリ手の不動産屋)決めて暮らし始めた、
思えば東京育ちのお嬢さんがパートに出ることも初めてで、描いてた結婚暮らしがアッという間に厳しい現実に晒された、
それでも、その方がいいと思ってたらしい、それほど北国の空は灰色だったのだ、
北国じゃ独りになった元連れが相も変わらず遊び呆けてて、社長とは名ばかりで二代目にの憂き目を味わってた、親が甘い
からということもあり何とかなっていたけど、
両親とも相次いで呆気なく亡くなってしまうと現実は手厳しい、亡くなった初代の社長の人望と仕事への意欲と努力は並々
ならぬものだったということよ、
両親が亡くなったのに葬儀は社葬だし、その姉たちも次々と嫁にいったり自立したりして殆どEちゃんの元連れは見放され
仏の供養もその長女が引き受けて位牌を護ることになったのだから、哀しいを通り越してなんだか情けない始末だと、
それでも実直な社員たちが、会社の隣接地を売り(銀行が押さえた)裏の大きな倉庫も人手に渡り、両親が住んでた家も
貸家にして少しばかりの¥を東京の元妻親子に渡してた、
嫁は婚家にいても実家に戻ってもあまりいいこともなさそうだ、けど、後継者が居ない家の娘は、ちょっと古くても実家を
持ってれば何とでもなるという強みがある、持ってて大変だ!ということもあろうけれども、それが連れの家じゃあ話に
ならないのよ、所詮オナゴに三界に家無し!というじゃあありませんの?(´∀`*)ウフフ