今日は2025年3月11日、そう14年前の今日「あの忌まわしい東日本大震災」が起こった日だ。
14年前の「あの時」 自分は「転職したディズニーランドのエレクトリカルパレードのスポンサー企業」の
CAD部門の「太田支店」で前職の会社の先輩と打ち合わせを行っていた。・・・すると突然「大きな揺れが?」
社内のモニターなども落下し、会社もそれなりの被害は有ったが「そんなに大きな被害ではなかった」
自宅でも「食器や花瓶などは壊れたが大きな被害はなかった」しかし「報道を見て愕然とした」
その日はもう「仕事にならず、帰宅しテレビにかじりついた」・・・しかし、この時自分は既に
この会社を辞し「ベトナムに行こうと決めていた」そう2011年11月自分はベトナムハノイで「無謀にも」(52歳)
個人の力だけで「ベトナムハノイに今まで携わってきた【自動車用プレス金型製作用CAD/CAMデータの制作およびサポート」
の会社を立ち上げたのだ。つまり「この震災の年に起業し、この日が来るたびにあの時を思い出す」
あれからもう14年がたった、まだベトナムに居る。個人で起業した故、14年を振り返ると「苦しかったことばかりが思い出される」
社員い給料を払えず「現在は1株3600円ほどになっている勤務先だった株を740円で手放した」 ベトナムでの生活も苦しく
「日本の家族に仕送りすると、自分の生活費が苦しく一時期はローカルの1か月$110の部屋に住んだ」
バイクで通勤し、朝は「おこわ」か「バインミー」(今も変わらないが?)昼は「コムビンザン」夜は
「社員寮で社員と一緒に社員の作った夕食」を食べた。
会社事務所も「以前の勤務先ベトナム子会社のオフィスにいたが、家賃支払いも苦しく冬は寒く夏暑い雑居ビルに引っ越した」
それでも数年後「会社が軌道に乗り」「新築のA級オフィスビルにも移った」
しかしそんな矢先、「未曽有のコロナ不況と円安が会社を襲った」仕事無くても「2、3年は耐えられる内部留保をためていたが?」
結局は「内部留保は都合4年間のコロナと円安」で毎月の赤字を補填し「使い果たすどころか、会社の根幹であるソフトウエア
会社(何のことはない、前職の会社)に多額の借金をして、その後は「社員の70%を在宅勤務にして」事務所は「小さな古く安い
場所へ移り」現在に至っている。借金は「先方のご厚意で毎月支払える分だけを支払っている」
なんとなく考えると「人生は山あり谷あり、なんとなく得た利益も失った損失も結局は同じくらい」
生まれた時には「±0」そして終える時にも「±0」になるような気がする。その間、どんな風に過ごしたのか?
「自分は、自分の思うがままに好きなことをさせてもらった」(家族には幸い金銭的な苦労はさせなかったことが幸いだ。)
何が普通かわからないが?「世界中をまわり」(全部仕事がらみだったが?)韓国に200回以上、そして次に訪問回数が多かった国
ベトナムに現在は住んでいる。最初の会社に23年、そして45歳でヘッドハンティングされて移った会社に7年、そして
52歳で無謀にもベトナムで起業して14年目。もう44年も働いているのだ。(52歳でベトナムで起業するなど無謀と言えば無謀
だったが? 自分らしいとおもう。(れから何かしようと言う人もまだまだ遅くなないと思う。頑張ってほしい)
経験から「考える⇒とにかくすぐにやってみる」これを実行したほうが「後悔は少ないのかもしれない?」・・・
そして現在は「この空気の悪いハノイから脱出しよう」と考えている・・・(すぐに実行できればいいのだが?)
本日、YOUTUBEの日本のニュースで「3.11」のニュースを見て「この14年間の、そんなことを事を考えた」
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます