★ベトナム・ハノイは「こんなとこ」★

コネなし、金なし、能力なし。50を過ぎて、単身ハノイで会社を作り10年目。毎日「こんなふうに」すごしています。

ベトナムハノイ「今日はWOMENS’Day」

2023-03-08 15:28:36 | ベトナム・ハノイ

3月8日今日は「国際婦人デー」 ベトナムでは「Womens Day 」である。

前にも記したが「このWomens Day 」はベトナムでは1年に2回、春と秋にあるのだ。

この日は「女性に感謝を表し、花やプレゼント」を送る。

街の花屋の値段は2-3倍に跳ね上がる。 年間で最も「花の値段が高い日でもある」

職場などでは、アオザイを着て、記念写真などを撮る。結局この日は女性はあまり仕事はしない。

(弊社のような中小企業はこういうことは無い、国家公務員や銀行など「大きな会社ではこのようなイベントがある)

確かにベトナムでは「女性の社会進出は日本よりも多い」今回、ベトナムで国のNO4が女性になったニュースをやっていた。

かくいう弊社も女性が60%を超える会社である。弊社は「女性が支えていると言っても過言ではない」

何もしてあげられないが「感謝している」

さてプライベートでは「5歳友人も女性、母上、その妹さんも女性だ」

先程「妹さんの彼氏からzaloが送られてきた。

「今日はバーベキューで女性の日をお祝いしましょう」「花とケーキは自分」「バーべキューの準備は彼」

と取り決めた。彼は2度目のコロナでつい先日まで「家で療養していた」元気になってよかった。

1年2回の「女性の日」そしてバレンタインや誕生日、等々「ベトナム男性もなかなか大変である」

弊社が入るオフィスビルの入り口で「銀行のスタッフ」が記念写真を撮っていた。

ベトナムならではの「光景である」

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ベトナムハノイの「こんな日もいいかな?」

2023-03-08 13:54:47 | ベトナム・ハノイ

 昨日「ベトナムの日経歯科」で歯を抜くはずだった。しかし隣の歯と、周辺が炎症を起こしており

少し「抗生剤」を飲んで落ち着かせた方が良い。との判断で「かみ合わせ調整」しただけで終了になった。

 ちょうど「5歳友人母上」から「洗濯したものをブンカーのお店に持ってこれるか?」ラインが入った。

家に居たので「承諾し持って行った」 本日は会社は休むつもりでいたので時間には余裕があった。

 荷物を持って行き、その後は「久しぶりに客として、ブンカーハイサンを店で食した」美味しかった

その後、気管支炎で店にいた5歳友人のために「日本食レストラン」から「肉うどんを出前し、5歳友人に食べさせた」

その後、少々遊んでいると「ビンコムセンターのボールハウス(子供たちが遊ぶスペース(有料)」に行こうということになった

今日は歯を抜き一日休むつもりでいたので「時間があった」いつものメンバー(5歳友人、母上、母上妹)でボールハウスで遊んだ

有料なのでボールハウスには「5歳友人のリクエストで」自分と5歳友人で入場した。

時間も時間で、結局二人で「貸し切り状態」だった。色々遊び(1時間くらい)5歳友人が飽きたころ

退場した。すぐ前は「アイスクリームショップ」、母上と妹はそこで「アイスクリームを食べていた」気管支炎だった

5歳友人はアイスクリームは「止められていた」が、結局「食べることになり」自分んも久しぶりに「アイスクリーム」を

店内で食べた。5歳友人も「アイスクリーム」を食べながら、とりとめのない会話をして「だらだらと過ごした」

 こういうことはしばらくしていなかった。無駄な時間が過ぎていく。・・・その後「5歳友人の洋服を買いにユニクロ」へ行った。

もう5歳友人も「いっちょ前に洋服を選ぶのである」最近21キロになって前の下着などが小さくなったらしい、それらを買って

時計を見ると17:30、会社も終わる時間だ。自分も「夕食は久々、外食しよう」という意見に賛成した。

母上推薦の「中華料理店」に行ったw。「美味しい中華料理だった」(特におかゆといんげんとひき肉の炒め物が美味しかった)

のんびりと食事をし「2台のバイクに分乗して」帰ってきた

久々に「何もしない、無駄な一日だった」

家に帰り、シャワーを浴びて「バイク故に飲めなかったビールを寝る前に飲んだ」

ベッドに入り「今日を思い出した」・・・何もしなかったが、

「たまにはこんな日もいいかな?」  そんなことを考えた。

ボールハウスで「5歳友人と本気で遊んだ」ボールの中に「5歳友人をうずめた図」である。

たまには「こんな一日もいいかな?」と思った。

 

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ベトナムハノイの「接待三昧」

2023-03-06 17:22:06 | ベトナム・ハノイ

 近々「ベトナムで一緒にビジネスを始める友人」から「タイからのお客様」アテンド依頼があった

土曜日午後来て月曜朝にはタイに戻るという。予定を立案し「対応した」

 その友人は木曜日にはハノイに移動してきた。木曜日の夕食は「キノコ鍋」を食べた。

これが大当たり「非常においしい夕食だった」

二日目は「たまにはフレンチ」でもということで「ホータイ湖畔のフレンチレストラン」で

夕食を食べた。「それなりには美味しく」ワイン通の友人が選んだ「ワインを飲んで」

美味しくいただいた。

「接待の前哨戦」ということで「新会社役員3名」で「ハノイの日本語カラオケ」に行き、3人で

休むことなく「歌い倒してきた」

そして翌日「いよいよお客様の出迎え」、その前に「ノイバイ空港近くのベトナムアンティーク村」のような場所に行き

「ちょうどよい気候の中、ベトナムの小豆ぜんざいとお茶を飲み、散策してはまた併設カフェで

蓮のお茶などをに見ながら「のんびりと過ごした」、昼食は「すぐ近くのローカルレストラン」で食した。

ローカル食堂の自家製焼酎などをちびりちびりやりながら「のんびりと鶏料理」を堪能し「タイからの

お客様を待った」 空港でピックアップし「旧市街近くのローカルミニホテルへチェックイン」徒歩で

ベトナムローカルビール通り「ターヒエン」のにぎやかな道端で「ローカル屋台料理」を食べながら

ベトナムビールを「ビアガール」に注文し楽しんだ。

そののち「ベトナム料理高級店」に移動し「一通りのベトナム調理」をふるまった。

 満を持しての「カラオケ」、結局0:00過ぎまで「歌ってお開きに」

翌日日曜は「7:30にチャーター車でハロンベイに」 自分は恐らく「20回近くハロンベイに行っているが」

上位3に入る「気温とコンディション」そして「込み具合であった」(非常に空いていた)

 お客様は「非常に感激し、これこそ世界遺産」と絶賛していた。

4人で「借り切った舟で」ワイン好きの友人が持参した「赤白ワインを飲みながら」海産を食した。

ハロンベイを堪能し夕方渋滞の「ハノイに戻った」

 当初から予定していた「ちょっと特殊なマッサージ」に行った。

ここでは「五右衛門ぶろのような風呂に入り」その後「薬草の入ったジェットバス」その後「ミストサウナ」

その後「普通のサウナ」そして「シャワーを浴びて」その後「全身のマッサージ」を行うという

超健康マッサージをしてから「食事、カラオケに行こうということにした」

しかし「食事の店を探しているとかカラオケのの女性に取り囲まれ」食事は

カラオケで「出前しよう」ということになった。

結局このカラオケに行き、近くの日本料理店から「出前」を取り

からいけないで食事をしながら「カラオケを楽しんだ」

こういう流れに「お客様もいたく感心し」2泊3日の「ベトナム旅行」を堪能したようだった。

友人からの依頼で「すべてをアテンドし付き合ったので、さすがに少し疲れたが?」

楽しい週末だった。

フレンチレストランのサラダ(ほかの料理は食べるのに忙しく写真をとらなかった)

貸切船からの「ハロンベイの景色」

 何もせず、ビールを飲みながら景色を堪能し「ワインを飲みながら海産物」を食し

ただボーと過ごす。これが「本当の観光」なのだと感じる。

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ベトナムハノイの「いろいろあるね!」

2023-03-01 15:17:12 | ベトナム・ハノイ

 円安、日本の自動車産業の衰退、ベトナム若者気質、健康問題、採算性、やる気、

最近の自分の(嫌な)状況を表した「言葉だ」

 一時期の円安まで行かないが、相変わらず「130円ほどで推移」

日本の自動車業界は「EVでの世界の自動車メーカから、仲間外れにされ、いじめにあっているような状況」

だから、日本の自動車メーカは「思い切った新車開発などできなくなっている」仕事は減少だ。

会社設立時の「社員気質」と10年たった「社員気質」は明らかに違う。(はっきり言って扱いにくい)

そして、「大病を患い」「大病再発へ不安」「会社経営の難しさ」「採算性」も含め

「大小問題が山積」である。そういうわけでそんなことが、何もかもの「やる気にも影響」している。 

まずは「健康第一」・・・精神的なプレッシャーも含め「それなりの検査や対処」で仕事のできる「体」と「精神」を維持しないと。

このままの状態じゃ「ちゃんとした仕事や私生活なんでできるわけない」これは、どっかで「あきらめたら」

そのままになっちゃうんだろうと思う。(早く水泳と筋トレを再開しなくては、)

そして「積極的に動いて、採算性を向上させて、心配なく業務出来る環境」を構築しなくては?

それには「昨今のベトナム人気質をうまくコントロールしなければならない」 はたして、そこまで「健康と意欲」がもつかどうか?

「昔は、割り切って精神状態を保てたけど」 だんだんいろんな外的要因から「不安先行」の「精神状態だ」

恐らく「再発したら長くはない」と思う。再発しても「治療ができるのかどうか?」

そういう「判らない不安な内容が年を取るとどんどん増えていく」

間違いなく「終わりに向かって加速して行っているのだから」

最後の最後まで「いい人」「頑張る人」でいられれるかなんて「判らない」

 

そんな時、「自分のべトナム語の先生だった優秀な国家大学の生徒、国費留学で日本の東京外語大に在籍し、今年の受験で

【一橋大学の商学部に合格しました】と連絡があった、日本で会いたいと桜の写真と一緒に

、、、そして【かの5歳友人は、現在の幼稚園関連の小学校予備校に、あの寝坊助が、7時に通い始めた】と知らせてきた。・・・そんなことだけど これからの人生を歩んで行っているんだな? ・・・

朝早く出勤して「今月の社員の日本派遣の書類を作り」

新会社の「段取りや」「明日の面接の準備」全て整えた、さすがに「肉体的にも精神的にも疲れて」

「日暮れのお茶は馬鹿が飲む」と言う「母の言葉」を思い出しながら「久々にインスタントで美味しいコーヒー」

を「もうすぐ午後4時」に飲み切って、、、「そんなことを考えた」・・・

 

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