CONTAX G2 28mm 絞りF2.8 1/15秒 ISO400
もう桜の季節はおしまいですが、せっかく撮ったのでもう少しお付き合い下さい。
かくれんぼをしている子供たちです。
NHKテレビの「昭和が終わった日」というドキュメンタリーをみて、いろいろと考えさせられました。
途中からでありましたが、まず昭和天皇が亡くなられた昭和64年1月7日に撮ったという2作品の紹介がありました。
ひとつは原爆ドームをシルエットで捉えた作品で、どんよりとした空と暗い太陽がまるで原爆が投下されたあの日を連想するようでした。
もうひとつは日の丸が掲げられた田舎道を三輪車にのった子供が進むところを撮った作品で、懐かしさと平和のありがたさを感じました。
また、仲田千穂という写真家を初めて知りました。
19歳で「特攻花」という写真集を出し、今回は元特攻隊員にインタビューをしていました。
まだ20代そこそこというのに元特攻隊員に「昭和天皇が亡くなられたとき何を思いましたか」と尋ねたところは一瞬驚いてしまいました。
最後に彼女が撮った元特攻隊員の後ろ姿が印象的でした。
遠く海を見つめている姿は死に切れなかった沖縄の空を思い浮かべているのでしょうか・・・。
特攻隊でなくなられた方たちは、まだ20代前半の若者たち…。彼らが書いた遺書を読むと涙がでます。彼らが運命を受け入れたのは、教育も大きいのでは…。今、果たして、国を守るために命を落とすという考えが受け入れられるか…。自分に置き換えても自信がありません。
これは御殿桜ですね。オイラのカメラライフで撮りたい大きな一本桜です。
地元のエドヒガン・蒲桜を毎年のライフワークとしてますが、風景としての撮り方をもっと撮りたいです。
夜明け前に特攻出撃する若い隊員たちに、娘たちは野の花を贈っていました。
隊員たちはその花を握りしめ沖縄に向い、途中の島の滑走路に、 何かを願うように、そっとその花を置き、再び沖縄に向け飛び立って行きました。
その花の種が風に舞い・・・ 60年たった今も毎年、滑走路周辺に花を咲かす、この天人菊を、 島の人たちは、「特攻花」と呼び、平和を願う花として大切にしています。
戦後60年余り、今の人たちはオイラも含めて、この時期の人たちに感謝しないといけないですね。
平和が恒久かつ永遠のものであってほしいと説に願います。
私もこの特攻花の写真集の紹介をwebでみましたがとても綺麗でしたね。
漫画家松本零士さんの作品のなかにも特攻隊を描いたものがあります、何度も見るたびに感じることはその悲惨さとこの人たちは死ぬ必要があったのだろうかという思いです。
戦後60年となっているのですね。
すでに戦後どころか昭和の記憶ですら風化しようとしています。
この時代の人たちに感謝しなければいけませんね。
こんにちは。
私の両親は、昭和世代の真っただ中でありました。特に母親の場合、現在の黒竜江省(中国)の戦地で最前線にいた祖父が、終戦後数年経ってもなかなか帰国せず、もしかしたらもうダメかもしれないと思い始めていた頃、通っていた小学校の教室で窓ふきをしていたとき、兄姉が
「帰ってきたよぉ~」
と叫びがら入ってきたそうです。
祖父は、帰国後に金沢で裸一巻から工場を立ち上げ、その工場は、叔父が継いで、今も金沢の伝統的な和菓子屋さんや郷土料理屋さんと取引が続いています。
自分には想像の世界でしかない話です。
今我々が綺麗な桜を眺めることができたり、自由にいろいろなところに旅行に行けるのも、両親の世代、そのさらに前の世代の皆さんが頑張ってくれたおかげという気がします。
ポチッとさせてもらいました。
お恥ずかしい話ですが大陸(中国)からの帰還者の話は、「岩壁の母」の唄の中でしか知らないのです。
でも父の実家に行くと戦死されたご家族の写真があります。
この人たちの尊い犠牲の上に今の平和があるのかもしれません。
子供の配置がきれいにまるように何枚も撮りました。
なかなか上手くいかないものです。