<記憶を辿る②>
さて、保育園を卒園の次は小学校に入学です。
保育園と目と鼻の先にある小学校、高崎市立北小学校に通うことになりました。
現在の小学校
写真中央にある古木。これは「榎(えのき)」と言います。
校歌にも「庭の榎のあの梢(こずえ)」、「嗚呼、高崎北小、我らの学舎」と歌われており、相当古い。最近は枯れてきて朽ちそうだと言う話も。
ここは卒業迄ではなくて、4年生終了迄通いました。4年生の途中で引越したのですが、その残りの期間は民間の路線バスで学校の近くの停留所で降りて通学したのです。
当時は木造2階建。4年生の時に「新潟地震」があり、2階の一番端、市道に近い教室での出来事で、その時は休み時間でした。
立っていられないほどの揺れは初めての事なので、たまげたのを覚えています。思わず机にしがみつくのがやっと。
あと、この学校の卒業生として有名なのは故中曽根康弘氏。総理大臣を経験された方です。
親の話によれば、中曽根さんは北校(当時は北校『きたこう』と地元では呼んでいました。今は高校で高崎北高校というのがあり、これが北高『きたこう』と一般に呼ばれている。)にプールや体育館などを寄贈したというのです。