お昼は1時がちょうど良い

在宅療養生活で見たこと、思ったこと、を伝えます。

回顧録 16

2015年12月02日 | 回顧録
後から聞いたのですが、高校合格時の成績は私の科が2クラスあって1クラス46人で、計92人中14位だったそうです。1クラスに換算すると7位ということになり、スタートとしてはいい方だと思います。


部活は空手を1学期までやったのですが、合わなかったのと、新聞配達に影響する(怪我・捻挫・骨折したら周囲の人全部に)ので退部しました。後に放課後の時間は夕刊配達・集金・チラシの組み込みに充てることになりました。


という事で私の高校生活は、朝は新聞配達に始まり、夜はチラシの組み込みで終わるという他の生徒とは少し異なったものでした。新聞の業務の間に高校生活があるという、ある種、運動部の特別な練習メニューみたいです。


当時の新聞の休刊日は、1月2日と5月に1日だけの年2日だけでした。当然新聞配達の休日も年2日しかありませんでしたので今ならブラック企業ですかね。


配達の仕事は予想したよりもきつく感じました。雨・台風・雪これらの日は必ず時間が多くかかるのですが、学校に遅れる理由にはなりませんから天気予報にはいつも細心の注意を払っていました。


ましてや、区域のお客さんにしてみれば大人が配達しようが少年が配達しようが関係ありませんので甘えは許されません。


バイクの免許がなかった当初は自転車で配達、16歳になり免許取得してバイクで配達。それでも結構体力を使うものでした。例として、冬は配達の始めは寒いのですが終了する頃は汗をかく程でしたから体育会系の部活並に体が鍛えられたと思います。


給料はアパートの家賃・学校の授業料、残りは自分の小遣いになりました。


なんとか3年間やり通したので、新聞店から推薦されて、高校3年の終わりに県の新聞少年の表彰を受けることができました。県内の他の初めて見る配達仲間達と共にメダルを受け取れたのは嬉しかったです。私にとっては貴重な遺産(体験)となりました。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 回顧録 15 | トップ | 回顧録 17 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。