< 昔話 >
昔といっても、40年位前でしょうか。当時はデスクワークでしたから、運動不足になるのでボディビルのジムに通っていました。
個人経営のジムの経営者、「会長」と呼ばれていましたね。
その会長は仕事柄プロレスが好きで、地元で試合があると見に行くのです。
「ある時、試合後に表敬訪問をしに控え室に行ったところ、足技でギブアップして負けた選手が、兎跳びをしていたのでびっくりした。」
と言うのが会長のいつもの話でした。
プロレスはテレビ放映がない試合は、まあそういうものでしょう。言い方を変えれば「興行」ですから。
旅の劇団の一座の様なもの。お互いに仲間なので、ある時は高速のサービスエリアでキャッチボールをしていたりします。
移動に使うのも観光バスを改造した大型バス。試合がある時は、そのバスの前部の方に腕組みをした選手たちが立って市内を一巡していました。宣伝ですね。
仕事の後輩がある時、プロレスの試合中継のテレビを見ていたら「この野郎! 本気でやりやがったな!」という音声が入ってしまったことがあったそうで。
たまにはエキサイトして本気を出して見せ場を作る様です。まあ、怪我をして試合に出られなければ収入に直結ですからね。
昔といっても、40年位前でしょうか。当時はデスクワークでしたから、運動不足になるのでボディビルのジムに通っていました。
個人経営のジムの経営者、「会長」と呼ばれていましたね。
その会長は仕事柄プロレスが好きで、地元で試合があると見に行くのです。
「ある時、試合後に表敬訪問をしに控え室に行ったところ、足技でギブアップして負けた選手が、兎跳びをしていたのでびっくりした。」
と言うのが会長のいつもの話でした。
プロレスはテレビ放映がない試合は、まあそういうものでしょう。言い方を変えれば「興行」ですから。
旅の劇団の一座の様なもの。お互いに仲間なので、ある時は高速のサービスエリアでキャッチボールをしていたりします。
移動に使うのも観光バスを改造した大型バス。試合がある時は、そのバスの前部の方に腕組みをした選手たちが立って市内を一巡していました。宣伝ですね。
仕事の後輩がある時、プロレスの試合中継のテレビを見ていたら「この野郎! 本気でやりやがったな!」という音声が入ってしまったことがあったそうで。
たまにはエキサイトして本気を出して見せ場を作る様です。まあ、怪我をして試合に出られなければ収入に直結ですからね。