< 親は戦中派 >
私の同級生の親は戦中派が多いです。
中学の時に仲が良かった友達のお父さんは、霞ヶ浦で飛行訓練(予科練)を受けていた時に終戦。終戦後、電電公社(今のNTT)に勤務。
私の母は、女子挺身隊。軍需工場で働いていました。航空機などのエンジン部品であるピストンリングを作っていたそうな。休暇で家に帰る時、鉄道がアメリカ軍機の機銃掃射で不通になって、かなりの距離を歩いて帰ってきたとか、終戦間際の休暇の時は家に戻っている時に工場が空襲に遭い、難を逃れたとか。
その母がまだ現役で働いていた時の話。同僚の男性たちは年代が近いせいか、何かと戦争の話になる様で、その人は陸軍の前線にいたらしく、「よく皆が天皇陛下万歳と叫んで突撃しているって言ってるけど、本当は突撃の時には誰も天皇陛下万歳なんて言っていないぜ」という話をよくしていたと。
陸軍の突撃(肉弾戦)は、戦闘機の特攻と同じ。
母親曰く、「戦争は懲り懲りだ」と。
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