何から書いたら良いのか判らないほど、たっぷりと感動と事件のあった29日、30日。
拓哉(どうも、LIVEの話を書こうとするとこうなってしまう)のすばらしさと
拓哉愛のお友達の楽しさ、心強さ!!
ほんとうに、いっぱいの届け物ありがとう、
それるかと思った台風が、東海に上陸し、その後お江戸に向かうという
帰り道は大きな不安だった、30日。
それでも、一緒に新幹線で帰る名古屋組4人は、「拓哉を見ないでは帰れないよね!」と、ここは揺るがない。
というか。きっと大丈夫だよ。私たちツイてるもの。
それに、究極の晴れ男のfanだものと、30日は予定通りの行動。
まあ、新幹線が途中で止まったら、4人で拓哉君の話をしてたら楽しいよ。
(ただし、これには、夜遅く周りが”おねむ”になった頃には静かにしようねの確認付き)
最悪新幹線が動かなかったら、ベンチでしゃべって動き始めた新幹線に乗れは帰れるよ・・・と考えるも
台風の進路と速度からして、いったん止まっても絶対に今日中には帰れると、心の中ではどこか強く信じてた。(笑)
LIVEの後、いかに早く確実に東京駅に向かうことが出来るかという方法を話し合って
少し風が出始めたかなという状態でドームへ。
(この時点でもWアンコがあったら、そこまではいたいという確認も。大丈夫か?)
始まったら、そこは、パーティ。
5日目という”未知の領域”も物ともせず、全力で駆け抜けてる人からの届け物を
楽しく受け止めて、愛を返す幸せな時間。
まずは、その中での拓哉君の言葉。
最初の挨拶では、
「このドームの中は台風なんか関係ない。今日も最後まで思いっきり行くぞ!!」
MCでは、
「不天候(不安な天候って言いたかったのだと思う)の中、
きっと、遅れて来る人も多いだろうと思ってたけど、
開けてみたら、スタンドも全部上までぎっしり人が入っていて。
他のアーティストのLIVEをドームに見に来ることがあるけれど、
こんなにいっぱい席が埋まるのはSMAPだけ。」
「一番上の一番後ろまでいっぱいで、ほらあそこ、黄色いしんつよのうちわを持って・・・」
と、拓哉君が言う方向もカメラと照明さんが抜くと、
ほんとに、見事最上階の最後列に拓哉君が言ったとおりの人。
1人が一つのうちわに一文字、4人で、し・ん・つ・よ・。
目が良いとは知ってたし、上の人の顔も見えるとは言ってたけど、
ここまですごいとは。驚異の視力、
だから、少し高い席って思っても、拓哉君がこっちを見ているなってって時には
うちわも、ペンラも判ってくれてるんだね。
会場のどの席にいても、拓哉君に思いは届いてるんだねと、嬉しかった。
そして、だからこそ、彼の目には、みんなの幸せな様子が写りますように、
悲しい行いをする人の様子が写りませんようにと祈る気持ちになりました。)
ソロの後、花道を吾郎の方に向かって歩きながら
「5日目になると、さすがのどにも来る。
でも、会場のみんなの声が背中を押してくれる。」
「全力でとどけるから、代わりに、思い切りの笑顔を見せて欲しい。」
もうね、拓哉君の言葉を聞きながら、胸が熱くなりました。
ここにいて拓哉君を見ていられることの幸せ。
仲間と一緒に、赤いペンラを降ることの出来る幸せ。
30日は、今までで一番赤い光が多かったような気がします。
ー・-・-・-・-
東京ドーム最終日。
Wアンコがありました。
拓哉君の麗しい上半身も会場を後にする際に、歓声に振り返って目にすることが出来ました。
このWアンコまで、拓哉君の最初の挨拶にあったように、
”ドームの中は台風なんかに関係ない”という、幸せな時間を作ってくれていましたが
Wアンコも含め、コンサートの進行自体拓哉君達は、ずいぶん話し合っていてくれたんだと思う。
たぶん、随時台風の進路や交通機関影響などチェックしながら。
私たちが会場を後にした後に、
「Wアンコをやるかやらないか拓哉君達とスタッフともめたそうです。
スタッフはやらない、でも拓哉君たちはやりたいと・・・それで1曲になったようです。
退場のときに説明がありました。」と、お友達から教えていただきました。
モニターの線まで色っぽい綺麗な背中を見せてはけるとき、
最後に振り返って「また遊ぼうな・・・」まで、出来る限りの愛を届けてくれてた。
ー・-・-・-・-
お江戸でお会いできた、拓哉愛のお仲間のみなさま。
逢う度に、みなさまのあたたかさ、拓哉愛の深さにふれ、幸せな想い出が増えていきます。
ありがとうございました。
拓哉(どうも、LIVEの話を書こうとするとこうなってしまう)のすばらしさと
拓哉愛のお友達の楽しさ、心強さ!!
ほんとうに、いっぱいの届け物ありがとう、
それるかと思った台風が、東海に上陸し、その後お江戸に向かうという
帰り道は大きな不安だった、30日。
それでも、一緒に新幹線で帰る名古屋組4人は、「拓哉を見ないでは帰れないよね!」と、ここは揺るがない。
というか。きっと大丈夫だよ。私たちツイてるもの。
それに、究極の晴れ男のfanだものと、30日は予定通りの行動。
まあ、新幹線が途中で止まったら、4人で拓哉君の話をしてたら楽しいよ。
(ただし、これには、夜遅く周りが”おねむ”になった頃には静かにしようねの確認付き)
最悪新幹線が動かなかったら、ベンチでしゃべって動き始めた新幹線に乗れは帰れるよ・・・と考えるも
台風の進路と速度からして、いったん止まっても絶対に今日中には帰れると、心の中ではどこか強く信じてた。(笑)
LIVEの後、いかに早く確実に東京駅に向かうことが出来るかという方法を話し合って
少し風が出始めたかなという状態でドームへ。
(この時点でもWアンコがあったら、そこまではいたいという確認も。大丈夫か?)
始まったら、そこは、パーティ。
5日目という”未知の領域”も物ともせず、全力で駆け抜けてる人からの届け物を
楽しく受け止めて、愛を返す幸せな時間。
まずは、その中での拓哉君の言葉。
最初の挨拶では、
「このドームの中は台風なんか関係ない。今日も最後まで思いっきり行くぞ!!」
MCでは、
「不天候(不安な天候って言いたかったのだと思う)の中、
きっと、遅れて来る人も多いだろうと思ってたけど、
開けてみたら、スタンドも全部上までぎっしり人が入っていて。
他のアーティストのLIVEをドームに見に来ることがあるけれど、
こんなにいっぱい席が埋まるのはSMAPだけ。」
「一番上の一番後ろまでいっぱいで、ほらあそこ、黄色いしんつよのうちわを持って・・・」
と、拓哉君が言う方向もカメラと照明さんが抜くと、
ほんとに、見事最上階の最後列に拓哉君が言ったとおりの人。
1人が一つのうちわに一文字、4人で、し・ん・つ・よ・。
目が良いとは知ってたし、上の人の顔も見えるとは言ってたけど、
ここまですごいとは。驚異の視力、
だから、少し高い席って思っても、拓哉君がこっちを見ているなってって時には
うちわも、ペンラも判ってくれてるんだね。
会場のどの席にいても、拓哉君に思いは届いてるんだねと、嬉しかった。
そして、だからこそ、彼の目には、みんなの幸せな様子が写りますように、
悲しい行いをする人の様子が写りませんようにと祈る気持ちになりました。)
ソロの後、花道を吾郎の方に向かって歩きながら
「5日目になると、さすがのどにも来る。
でも、会場のみんなの声が背中を押してくれる。」
「全力でとどけるから、代わりに、思い切りの笑顔を見せて欲しい。」
もうね、拓哉君の言葉を聞きながら、胸が熱くなりました。
ここにいて拓哉君を見ていられることの幸せ。
仲間と一緒に、赤いペンラを降ることの出来る幸せ。
30日は、今までで一番赤い光が多かったような気がします。
ー・-・-・-・-
東京ドーム最終日。
Wアンコがありました。
拓哉君の麗しい上半身も会場を後にする際に、歓声に振り返って目にすることが出来ました。
このWアンコまで、拓哉君の最初の挨拶にあったように、
”ドームの中は台風なんかに関係ない”という、幸せな時間を作ってくれていましたが
Wアンコも含め、コンサートの進行自体拓哉君達は、ずいぶん話し合っていてくれたんだと思う。
たぶん、随時台風の進路や交通機関影響などチェックしながら。
私たちが会場を後にした後に、
「Wアンコをやるかやらないか拓哉君達とスタッフともめたそうです。
スタッフはやらない、でも拓哉君たちはやりたいと・・・それで1曲になったようです。
退場のときに説明がありました。」と、お友達から教えていただきました。
モニターの線まで色っぽい綺麗な背中を見せてはけるとき、
最後に振り返って「また遊ぼうな・・・」まで、出来る限りの愛を届けてくれてた。
ー・-・-・-・-
お江戸でお会いできた、拓哉愛のお仲間のみなさま。
逢う度に、みなさまのあたたかさ、拓哉愛の深さにふれ、幸せな想い出が増えていきます。
ありがとうございました。