
変なタイトルにしてみました
このごろ思うことです。
徳永英明の番組を見ていて、ボーっと・・・。
みんな、徳永さんの歌に癒されるとか、励まされるとか、感動したという感想が寄せられていました。
「もしも、私が徳永さんみたいな歌が歌えて、曲が作れたら・・・どうなんだろう・・・。」
片や、株券が電子化する。伝統工芸の透かしの入った和紙を作り続けてきた福井の和紙産業は全滅か・・・。
そこで、定額給付金を地元の商店街で使える商品券に変える試みが全国で持ち上がっている、この商品券として和紙を使ってもらおうと奮闘する和紙組合のみなさん・・・。
不況やピンチも工夫次第で乗り越えようとする人々・・・。
いろんな道路やダム建設、高架橋を作る人々、土木建築士・・・。
考えてみれば、これってどうやって作ってるんだろう?と思える数々の建設物。一歩外に出てみれば、知らないことだらけ・・・。
歌手の活動から、土木建築まで、人々の取り組みにとても興味が湧いてくる今日このごろです。
不況を乗り越える人も、科学の力で難しいことをやってのける人も、そこにはいろんな困難や工夫があって、知恵をふりしぼって一生懸命生きる過程には、様々なドラマがあります。
昔から、芸談というものが好きでした。
音楽やお芝居など、芸術の世界に生きる人たちの語る話。
でも、土木工事のやり方に興味を持ったことはありませんでした。
そんな私も今は、「つり橋ってどうやってかけたんだろう・・・」
なんて、なぜかアンパンマンによく出てくるつり橋を見ていても興味が湧いてきます。
私も変わったなあ、と思います
だから、何をしていてもおんなじ、人々の営みは尊いなあと感じる今日このごろなのです。
学生時代をあたたかい人々と過ごした大阪を離れ、東京に出て暮らした時期があります。
知り合いもほとんどいない大都会にポツンと放り出されたような気持ち。
言葉を交わす人も少なく、東京の下町の商店街のおじさんやおばさんに励まされました。
そのとき、閉鎖された世界で生きている人々のこころがぐーっと胸に響いてくるような気がしました。
言葉も通じない世界で生きる外国人、孤立して子育てする主婦、ひとり暮らしのお年寄り・・・。
世の中、人々は対流してこそ意味があると感じました。
難民救援団体で働いたのも、日本語教師をしたのも、老人福祉施設にお琴でボランティア活動したのも、そんな考え方からでした。
どんなに厳しい状況にあっても、質だけは落とせないと考えてなんとか新しい策をひねり出す、ピンチをチャンスに変える人と、鉄骨を減らして偽装したり、料理を使いまわしたり、産地を偽ったり、悪事を働く人と、この差は大きいですよね。
悪事を働かないにしても、世の中、病気も降りかかってきたり、不運に見舞われる人々はどうしても出てくるもの。
だから、健康な人間は自分の力量の1.2倍とか1.5倍とか、できる人なら2倍とか、自分の領域を広げてがんばらなきゃいけない、そうすれば、世の中ちょっとはよくなるんじゃないか。
そんなことをときどき考えます。
今の世の中で一番心配で気がかりなのは、子どもたちのこと。
虐待や精神疾患で養育能力がない親の子どもたちを預かる乳児院という施設に最近、就職した友だちがいます。
あまりにつらい境遇の子どもたちの親代わりとなって日々育てる役目です。
そんな心配な子どもたちを愛情深く見守る仕事は私にはできないけれど、とても大切な役割です。
でも、その境遇を考えればつらさも先立ち、その友だちも無理をしないでほしいと思います。
なんとかがんばって行きたいと言うならば彼女を支えたいと思うし、つら過ぎるようなら無理しないでと思っています。
今の私にできること。
私は公園で出会うママたちに人見知りは全くしないタイプです。
でも、かと言ってみながみな私と話したいわけでもありません。
それはわかった上で、でも、自分はいつもこころは開き、オープンマインドで接して行きたいと思います。
仕事では、クレームを言うお客さまにも大きなこころで接し、いつもより一歩楽しい会話を添えて少しでもお客さまによい時間を過ごしてもらるように努力する。
そんな小さな努力を重ねて行きたいと思っています。
目に見えて明らかに人の役に立つことがなくても、気持ちを明るくもって人に接する、挨拶を交わす、それだけでもいつでも門を開いている、そこに大きな意味があると思います。
いっちゃんにも、そんなことを伝えて行きたいですね・・・。

このごろ思うことです。
徳永英明の番組を見ていて、ボーっと・・・。
みんな、徳永さんの歌に癒されるとか、励まされるとか、感動したという感想が寄せられていました。
「もしも、私が徳永さんみたいな歌が歌えて、曲が作れたら・・・どうなんだろう・・・。」
片や、株券が電子化する。伝統工芸の透かしの入った和紙を作り続けてきた福井の和紙産業は全滅か・・・。
そこで、定額給付金を地元の商店街で使える商品券に変える試みが全国で持ち上がっている、この商品券として和紙を使ってもらおうと奮闘する和紙組合のみなさん・・・。
不況やピンチも工夫次第で乗り越えようとする人々・・・。
いろんな道路やダム建設、高架橋を作る人々、土木建築士・・・。
考えてみれば、これってどうやって作ってるんだろう?と思える数々の建設物。一歩外に出てみれば、知らないことだらけ・・・。
歌手の活動から、土木建築まで、人々の取り組みにとても興味が湧いてくる今日このごろです。
不況を乗り越える人も、科学の力で難しいことをやってのける人も、そこにはいろんな困難や工夫があって、知恵をふりしぼって一生懸命生きる過程には、様々なドラマがあります。
昔から、芸談というものが好きでした。
音楽やお芝居など、芸術の世界に生きる人たちの語る話。
でも、土木工事のやり方に興味を持ったことはありませんでした。
そんな私も今は、「つり橋ってどうやってかけたんだろう・・・」
なんて、なぜかアンパンマンによく出てくるつり橋を見ていても興味が湧いてきます。
私も変わったなあ、と思います

だから、何をしていてもおんなじ、人々の営みは尊いなあと感じる今日このごろなのです。
学生時代をあたたかい人々と過ごした大阪を離れ、東京に出て暮らした時期があります。
知り合いもほとんどいない大都会にポツンと放り出されたような気持ち。
言葉を交わす人も少なく、東京の下町の商店街のおじさんやおばさんに励まされました。
そのとき、閉鎖された世界で生きている人々のこころがぐーっと胸に響いてくるような気がしました。
言葉も通じない世界で生きる外国人、孤立して子育てする主婦、ひとり暮らしのお年寄り・・・。
世の中、人々は対流してこそ意味があると感じました。
難民救援団体で働いたのも、日本語教師をしたのも、老人福祉施設にお琴でボランティア活動したのも、そんな考え方からでした。
どんなに厳しい状況にあっても、質だけは落とせないと考えてなんとか新しい策をひねり出す、ピンチをチャンスに変える人と、鉄骨を減らして偽装したり、料理を使いまわしたり、産地を偽ったり、悪事を働く人と、この差は大きいですよね。
悪事を働かないにしても、世の中、病気も降りかかってきたり、不運に見舞われる人々はどうしても出てくるもの。
だから、健康な人間は自分の力量の1.2倍とか1.5倍とか、できる人なら2倍とか、自分の領域を広げてがんばらなきゃいけない、そうすれば、世の中ちょっとはよくなるんじゃないか。
そんなことをときどき考えます。
今の世の中で一番心配で気がかりなのは、子どもたちのこと。
虐待や精神疾患で養育能力がない親の子どもたちを預かる乳児院という施設に最近、就職した友だちがいます。
あまりにつらい境遇の子どもたちの親代わりとなって日々育てる役目です。
そんな心配な子どもたちを愛情深く見守る仕事は私にはできないけれど、とても大切な役割です。
でも、その境遇を考えればつらさも先立ち、その友だちも無理をしないでほしいと思います。
なんとかがんばって行きたいと言うならば彼女を支えたいと思うし、つら過ぎるようなら無理しないでと思っています。
今の私にできること。
私は公園で出会うママたちに人見知りは全くしないタイプです。
でも、かと言ってみながみな私と話したいわけでもありません。
それはわかった上で、でも、自分はいつもこころは開き、オープンマインドで接して行きたいと思います。
仕事では、クレームを言うお客さまにも大きなこころで接し、いつもより一歩楽しい会話を添えて少しでもお客さまによい時間を過ごしてもらるように努力する。
そんな小さな努力を重ねて行きたいと思っています。
目に見えて明らかに人の役に立つことがなくても、気持ちを明るくもって人に接する、挨拶を交わす、それだけでもいつでも門を開いている、そこに大きな意味があると思います。
いっちゃんにも、そんなことを伝えて行きたいですね・・・。
タイトルからは、否定的な感じを受けたのですが、
内容は、とても前向きで、説得力のある事をお書きくださいました。
そうです、そうです、と、あいづちを打ちながら拝読したのでした。
私も同じ考えです。私の行動範囲は狭いのですが、
せいいっぱい頑張って生きたいです。
ただし、無理はしないようにして・・・
良い記事、ありがとうございました。
ウッシーさんはまさに人の2倍がんばっていらっしゃる方ですね・・・。
ウッシーブログで励まされる人も多いです
いろいろがんばらなくちゃ、と思いつつ、昨日取り込んだ洗濯物の山をいっちゃんにバラバラにされ、片付けてなかったりする私なのでした・・・