「 志よ人と時とを経て実れ
雀瓜の種ゆずり受け咲く 」
つらい境遇の子どもを支援する活動をしています。
大人はなかなか変わってくれません。
その中で耐え続ける子どもを見守ることがこれほどつらいとは。
助けたい気持ちだけでは助けられません。
行き詰まり、八方塞がりと感じ、自分の力のなさに打ちひしがれて、寝込んでしまいました。
家の中のことは少しできます。
朝、庭の水遣りをしました。
2年ほど前に沖縄雀瓜という、ピンポン球ぐらいのスイカの縞を白くしたようなかわいらしい実をいただいて、私も育てて実をつけさせたいと思いつつ、天候不順などでうまくいかなかった去年。
今年は見ず知らずのご近所さん宅を訪ねて、お願いしてもらってきた雀瓜の種がこの秋の暑さでようやく花までに至りました。
幾人かの人、幾年かの時を経てようやっとです。
この雀瓜の花に勇気をもらいました。
自分の力は小さくても、いつか、誰かにこの気持ちが伝わって、花や実をつけてくれるのだ。
それが人間の営みであり、志の「種の保存」でもあるのだ、と。
自分の一生でやり遂げられなくても、何か小さな種がどこかで息づくことがあるんだと信じられる気がしました。
人間の営みなど大したことはない。
自然の営みはすべてに勝る。
なんだか雀瓜を見ていて救われたような気がしました。
だから、この短歌が駄作であったとしても、私にとっては明るい発見です。
子どもがより一層、虐げられているコロナ禍です。
小さな小さな希望の種を蒔いてゆきたいです。
小さな小さな雀瓜、かわいい実をつけてね。
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