子どもとうさぎとねこと音楽のある風景

息子いっちゃん(2006年3月生)と3匹のうさぎと3匹のねこのいる歌と琴が好きな主婦の記録

豊かな年に

2010年01月09日 | サンキュー日記
明けましておめでとうございます。
本年もよろしくご交誼お願い申し上げます。

年末年始は実家、雪の北陸で過ごしました。
母が昨年、公の章を受け、身内でお祝いの会も開き、小さな子どもたちもたくさん集まって、よい機会になりました。
母の受章についても少し書き記しておいた方がいいのかな・・・。

母は看護に定年まで心血を注いだ人生でした。
夫婦仲に恵まれずに苦労の人生でしたし、家族もいろいろと大変な思いをしてきましたが、立派に仕事をやり遂げたというだけでも充実していたと思っています。
定年後、嘱託として公の仕事をしているのですが、主に看護婦時代の功績を認められてということのようです。

気質の違いからも、母とはきついやりとりをすることが多かった娘の私です。
でも、つらい状況の中にもいつも片手には本を取り、勉強を続ける母の姿がまぶたに残っています。

私の職場のトイレにあった言葉。
「伸びる人は人の見ていないところで努力し、行き詰まる人は気づかぬところで手を抜いている」
なぜか、胸に残る言葉です

母にこの言葉を引用して受章について聞いたところ、
「目標がある人にはすべてが勉強、成長の糧になるし、特に目標を定めない人には楽をしたいときには手を抜きたくもなるだろう。目標があるかないかの違いや。」
そんな言葉が返ってきました。
確かに・・・。

看護では、いったい何をやってきたの?と具体的な評価の内容を聞いたら、
看護の仕事は、患者さんの身の回りのお世話が中心で、一見おばさん的というか、素人でもできそうに見える。
でも、その中で看護の専門性をもって仕事を行うというのはどういう違いがあるのか、それに取り組んだということのようです。

今もって私と母とでは人生観や重きを置くことが違うのですが、母には母の立派な人生の道があり、何かを成したといえる人生に違いはありません。
幼少のころからの苦労や学生運動で弁舌をふるった青春時代、とにかく並々ならぬハングリー精神の持ち主です。
激しい気性ゆえに困難を払いのける強さがあり、また反面、周りにいる人も巻き込んでしまうのが難点でもあります・・・。
私は母には実績を評価されたことを大事にし、そこから今後は穏やかな家族との生活も大事にする視点を持ってほしいと願っています。

今年は私も四十才。
親から離れてお金を自分でもらうようになって久しく、子どもも育て、死もいくつか知り、いろんな人の人生の流れも見て来ました。
そして、母の受章も近くで見て、さて私の今年はどう送ろうかと考えます。

小さいころから、他の人がどう考えているとか、どうしているとか、あまり気にならなかった私。
子どものころはほわーんとしていたのですが、大人になって負けず嫌いになり、協調性よりも自主性、という感じで仕事もやってきたようです。
アラフォーで始めた今の仕事ですら、負けず嫌いの気持ちで周りとの協調より自分ががんばることしか頭になかったぐらいです。
(まあ、余裕がないということもありますが

今年は・・・
自分の道も貫きながら、調和もはかれる年にしたいです。
私はあれこれやりたい人でありながら、かといってやりくりは至って下手です
家庭の主婦が仕事であれ趣味であれ、何か自分のやりたいことをやろうとなると、やりくり上手でなければならないですよね・・・。
それが課題です

豊かな年に・・・
豊かさとは?
私にとっての豊かさとは、頭でっかちではない生き方と言えばいいでしょうか。
理屈先行、という面だけでなく、自分の狭い視野にとらわれることも豊かさではありません。

頭でっかちで、自分のことばかり考えていた二十代。
そこから、結婚し、出産し、動物とも出会い、いろんな人間関係も増えた今、少しは自分の周りを思い遣ったり、見渡したりもできるようになったと思います。
細々と始めた声楽の練習。
音楽も豊かな世界を見せてくれます。

豊かな年。例えるなら、お箏みたいなものでしょうか。
糸はまっすぐぴんと張られているけど、音色は様々波打つ広がりを見せるとでも言うか・・・。

年始、事始めにお箏を実家で弾きました。
子どものころ、初めてお爪をはめて弾いていたような「わらべうた」を歌いながら弾いてみました。

音楽というのは、いろんな気持ちや感覚を表せるものですね。
強さ、激しさも表わせば、やさしさ、穏やかさ、かすかさなども表現できます。
今までは思ったことがありませんでしたが、自分のそのときの気持ちを表現できるだけでなく、自分もこうあることができたらいいのに、という憧れや自省も出せるということです。
子どもを怒って、それを激しさの感情で表して心にあるものを取り出すこともできれば、怒ってしまってはいけないと反省し、もっと穏やかに接してあげよう、とあるべき姿もなぞってみることができます。

私が技巧を凝らした作品として弾ける箏曲があります。
「子守唄変奏曲」といいます。
これは技を見せる曲としても有名ですが、基調は
「♪ぼうやは よいこだ ねんねしな~」という短調のあの子守唄です。
子どもをあやす歌です。
これも若いころは自分のテクニックを披露する曲、という気持ちが強かったですが、今弾くときっと違った味わいが出せると思います。

社会人としての毎日を送るには、やらなければならないこと、日々こなさなければならないことが沢山あります。
毎日、長時間働いている人たちにとってはなおのことでしょう。

会社でもこれをやらなければ、あれを終わらさなければ、ということは多く、子育てでも、数え上げてみれば、意外と多いものです。
洗濯、掃除、料理、片付け、子どもの着替え、歯磨き、食事、トイレ、寝かしつけ、しつけ・・・
会社の仕事の方がいろいろ量も多そうですが、子どもという自分じゃないちびちゃんも相当に手ごわい相手です

どんな生活を送っていても、豊かに毎日を味わいたいものです。
上手な人の歌は、おいしそうに物を食べているような口をしていると先生に聞きました。
新聞読んだり、書類読んだりしながら、忙しい時間の合い間に事務的に食べてるような歌い方はよい歌ではないそうです。

人生も同じだと思います。
忙しくて仕方ない人も世の中には多いです。
でも、事務的なことだけこなす毎日は、おいしそうに人生を味わってるとは言えないでしょう。

子どもに向き合うときも、仕事でお客さまに向き合うときも、うさぎとつきあうときも、いろんな瞬間瞬間を大切に味わって、事務的にならないようにしなければ。
もちろん、旦那と連絡のやりとりするときもね

時計を見て朝だと知り、急がなくちゃと通勤路を走り、と朝を行く人と、今日は快晴、いや雲の合い間から太陽が、と朝を知り、通勤途中の花に春を見つける人、その違いのようなものですね。

過敏になる、何事も気にしすぎる、というのはマイナスかもしれませんが、自分の生活を囲む人々、自然、変化に鮮明に気づくというのは、とても豊かな人生だと思います。

四十を前に、いろんな環境が教えてくれたことに感謝して、今年も地道に生活して行きたいと思います。

お箏を弾くぞ!新聞、本も読むぞ!
私の弾き初めは、お箏の鉄橋でいっちゃんが車を走らせ、糸を押さえると車が落ちるからやめろと曲の途中で言われ、最後には左の肩にいっちゃんをかついで弾いてました
それでも負けないぞ!!!

みなさまに幸多かれと願っております
写真は新幹線の車窓から見た富士山です。


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