最近、子育てによい本を読んでいます。
一冊読んだ本は「センス・オブ・ワンダー」という自然の素晴らしさと子どもについて語られた本、もう一冊読んでる途中のは「子どもへのまなざし」という本です。
前者は科学者であり自然をこよなく愛する人のエッセーのような文章、後者は七十代の児童精神科医が子育てについて語った本です。
何かにつけ、「昔はよかった・・・」「昔はこうだったのに・・・」という言葉を聞くと、紀元前から「最近の若い者は・・・」という言葉があることを思い出したり、「今だっていいところはあるさ」と思ってみたりしていました。
でも、戦時中も知っているおじいさん先生が時代を振り返る中で書かれた文章を読むと、「本当に時代は変わったんだ・・・。子育て環境も大幅に変わったんだ・・・。」と実感します。
私の親は戦後すぐに生まれた世代です。
また、七十代の方のお話しを聞いても、昔は大半が貧しかったんだな、と思います。
戦後は第一次産業に就く人が多かったということと、今は大半が第三次産業、主にサービス業に就いているという社会の変化も本当に大きいと感じました。
漁業、農業、工業で作業をする人々は、何かを作り出すということを知っています。
また、電子機器を日常的に使う今の生活との違いも感じます。
私自身、電子機器は苦手だし、好きじゃないつもりですが、自分が毒されていることを時々感じます。
昔は年始の挨拶、お中元、お歳暮、いろんな折に直接ご挨拶に出かけていましたが、今では電話一本で済んだり、メールでやり取りして終わることもあります。
簡単に言うと、昔は物事がそうすんなりとは進まなかったようです。
時間もかかるし、手間もかかったんです。
それが当たり前だったときは、子育ても子どもがどう育つか、のんびり、ゆったり構えて見ていたようです。
今は、ゲームでは汗をかくことも体を使うこともなく英雄になれたり、スイッチひとつでご飯を炊いたり、お風呂を沸かしたり、洗濯だってできます。
会わずしても人と携帯やパソコンでやりとりしたり、外に一歩も出ずにインターネットで買い物したりもできます。
便利な生活に慣れて、私自身、子どもが自分の思ったように行動しないとイライラしたりします。
これが電子機器に毒されていると感じる点です。
このごろ、そんな気がしてきました。
便利にはなったものの、今の世の中、昔より忙しくなったようにも思います。
便利なものに頼りながら忙しく暮らしていると、子どももいつもせかしがちになります。
テレビやゲームなどの電子機器に子どもたちがこれだけさらされている国も例が少ないらしく、これを大規模な人体実験、と皮肉った表現を見たこともあります。
人間の本質は変わらないにしても、やっぱり時代はあきらかに急激に変わっています。
それを、この本を読んで改めて感じました。
「センス・オブ・ワンダー」、とても文章が美しく、科学者というより詩人の文章でした。
夜の嵐を子どもに見せたり、森を歩き、海を歩き、自然物の豊かな表情をともに発見する。
素敵な文章でした。
子どもは自分の置かれた環境、空気のようなものを「世界」だと感じるんですよね。
いつも人がひっきりなしに出入りしているお家に育てば、多くの人とともに生きるのが「世界」だと思うし、いつも森や海を歩いて動植物と親しんで育てば自分は多くの生き物と同等に「世界」に生きる一員だと感じる。
親がいつも疲れた顔をして働いてる家庭に育てば「世界」は疲れるところだと感じる。
子どもが包まれている「世界」はその子によって様々に違うんだろうと改めて思いました。
「子どもへのまなざし」では、乳幼児期は記憶には残りにくいが、一番大切な時期だとありました。
とかく、ひとはどんな大学を出たとか、留学したとか、高等教育に目が向くが、そこで失敗したことは、いくらでもやり直せる、実際におじいさんになって大学に入る人や夜間の高校に入る人もいる。
でも、それは建築で言えば、外装や内装など、いつでもいくらでも変えられるもので、乳幼児期は建物の基礎、土台、だれの目にも見えないけれど、やり直すことも難しいし、本当は一番大切な部分だとありました。
最近の教育は「協力」することより「競争」することに重きを置いている。本当に大切なのは「協力」することなのに・・・。
そんな一節もありました。
健康な育ち方、健康な人のあり方、健康な社会との係わり方・・・。
そんなことを作者は指摘していないけど、冷静に考えると、「病気」という名はつかなくても知らず知らずに陥っている不健康な状況について気づかされたり、自分の狭い視野からはわからなかった大きな時代の流れや、それを見てきた先生の見方から気づかされることが多いです。
子どもにとって「世界」が素晴らしいところであり、「人」は信頼できるものであると思えるように育ってほしいものです。
蟻んこひとつ見てもいろんなことを感じ、たくさんのお友だちと助け合いながら育ってほしいです。
いっちゃんにとって「世界」はどんなふうに映っているのか、ときどき考えながらゆったり構えて子育てして行きたいものです。
写真は、ぼやけてますが、竹林のある公園で切られた竹の大きな枝を持って歩くのがとにかくうれしいらしいいっちゃんです。
こんな子どもの姿を見ると、ほほえまずにはいられませんね
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