二日酔いを意味する英語の「はんぐおーば(a hangover)」
まあ“酔っ払い”の言うこと。by.NA-094
はんぐおーば
ただ揺れただけ、ただ怯えてるだけ・・・。
3月11日が近付いている。
テレビ番組で、被害が伝えられるほどの大地震が起きて、
一年目を迎えることになる。
この一年間、ニュースのような報道番組だけでなく、
ワイドショーのように話題に飢えただけの視聴者向けの番組でさえ、
連日、震災報道を行っている。
記録的な自然災害という言葉だけで伝えきれないことが多い。
個人的なことだが、周囲でも、色々なことがあった。
(昨年の記事)
現代の日本では、ある程度の労力や努力を怠らなければ、
比較的に安定した生活ができるようにはなっている。
しかし、人間には”手に負えない”ことがあっても、おかしくないのだ。
だいたい、人間は、朝、昼と食事を摂取したとしても、
夜には、空腹を覚える効率の悪い存在。
個人でも社会でも、やれることや出来ることに限界があっても、
まったくおかしくない。
そんな当たり前のことを考えもせずに、
不安感から、フラフラと不用意で不必要なマネをするものが多いことに、
かなり憤ったものです。
(関連する記事「あさましい」)
もう1つ。
”こういう人”たちの不安感につけ込んだ(・・・と思われる)
火事場泥棒の存在には、今も怒りは消えていない。
(関連する記事「火事場ドロボウに注意せよ!?」)
正直、一年目を過ぎても、何かが終わったという感じは、
ほど遠い気がするのは、”気のせい”とも思えない。
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小説「陰陽師」の舞台地を歩く:無計画、東海ロード
先日、暗くなった京都の街を歩いてみた。
夜中に見知らぬ地を歩いていくというのは、
人工照明の発達した現代でも、妙な”こわさ”がある。
夢枕漠の小説「陰陽師」には、主人公、安部晴明の友人でもある源博雅が、
羅城門(羅生門)まで、琵琶の音色に誘われるシーンがある。
この二人の登場人物と非現実的とも言える”鬼”の存在によって、
物語は、独特の歴史観と死生観を感じさせる作風になっている。
この「陰陽師」は、コミックやドラマ、映画にもなっているので、
ご存知の方は多いかも知れない。
以来・・・。
”夜の羅城門とは、どんな光景だったのだろうか?”と思うことも、何度かあった。
観光情報サービスセンターでいただいた地図を見てみる。
羅城門の跡地は、京都駅から2kmほどの位置。
九条通りにある”東寺”を過ぎた先のようだった。
東寺の開門時間が過ぎてはいたが、照明で”五重の塔”が照らし出されていた。
少しの間、それに見とれていた。
寺社や仏閣にカメラを向けるのに抵抗を感じてしまうので、画像はなし。
なんかバチが当たりそうな気がしてしまう。
パチンコ店や自動販売機の照明によって、九条通りは歩くのに不自由はなかったが、
静かな通りだった。
羅城門の跡は、小さな公園の中にあった。
かつては、ここにあった大きな城門が、”都”の内と外とを隔てていたと記されている。
公園の表側には、オートロックのアパートがあり、
その通りの手前の通りには、弁当屋がある。
季節外れの”きもだめし”や鬼退治をするような気分だったわけでもないが、
何か物足りない。
少し考えてみた。
小説「陰陽師」の主人公、安倍晴明と、友人である源博雅は、
実在の人物だが、この二人の物語は、小説ならではの創作だろう。
そう。
それくらいは分かっていた。
それに、晴明や博雅の物語の舞台を歩いてみても、千年前とは違う。
もう少し考えて、千年前の光景を思い浮かべてみた。
小説の中での情景が、脳裏に静かに浮かぶ。
やはり、現代とは違う。
インターネットも携帯電話、テレビもない。
冷蔵庫に電子レンジ。
ビールにワイン、なによりウイスキーがない。
現代の生活に戻ることにした。
宿への帰り道で、一杯、やっていこうかな。
(・・・でも、どこも満員で入れなかった。何故?)
蛇足:
安部晴明に関わる史跡なら、晴明を祀った神社もあるらしい。
それを知ったのは、もう帰ってからなのが残念なところ。
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