日本とタイが来年に外交関係樹立130周年を迎える 「日タイ修好130年」 を
記念して、両国は 記念事業に使用するロゴマークを公募していますネ ・・・
応募されたデザイン案を、日タイで審査し、両国の外務省間の共同作業で最優秀デザイン案
1点を決めるとのことです。 皆さんも参加されたらどうでしょう? 応募資格は日本国籍
またはタイ国籍を持つ個人・法人なら誰でも参加できますヨ。 締め切りは9月15日ですって。
しかし、凄いですネ。 1887年 (明治20年) に日タイ修好宣言が調印されてから来年で130年!
修好国として、明治の日本政府が東南アジア諸国と外交関係を結んだ最初の条約だそうですヨ。
私が知る限り、日本とアメリカ合衆国の間で結ばれた通商条約 「日米修好通商条約」 が結ばれたのが、
158年前の1858年 (安政5年)。日本とスイスで 「修好通商条約」 が締結されたのは152年前の1864年
(元治元年)。 日本とベルギーの 「修好通商航海条約」 は1866年で、締結されてから今年でちょうど
150年目。日本とメキシコの間で締結された 「日墨(にちぼく)修好通商条約」 が、128年前の1888年
<日米修好通商条約が結ばれた安政5年>
(明治21年)。 よって、130年は世界各国との修好国としては、歴史上 ベスト5 に
入るんじゃないですかネ ・・・ 今度 調べてみましょう。
でも 日本とタイの交流は、タイのアユタヤ時代の600年前にさかのぼります。 当時、御朱印船に
よる対タイ交易を通じて、首都アユタヤには、日本人町が形成されていたことは余りにも有名です。
山田長政が活躍したのもこの頃でした。
この民間の交易の他に、徳川幕府とアユタヤ朝の間でも献上品や書簡の交換が行われていましたが、
正式な国交を基礎としたものではありませんでした。 しかし、このような交流も徳川幕府による
鎖国令により衰退していったようです。 その頃から条約が結ばれていたら凄いですけどねぇ~
<1959年(57年前)、初の日タイ合作映画として、長谷川一夫の主演で山田長政の生涯を製作>
その後、18世紀 (1700年から1800年) の間、欧米列強によりアジアの独立国が植民地化される中、
日本が明治維新により近代国家建設を開始したのと同時期に、タイ王国は、ラマ5世の下で国家の
近代化を図りつつ独立を維持しました。
まさにこの時期に、日本とタイは正式な国交を開始したわけですネ。 すなわち1887年 (明治20年)
9月26日に、「日暹 (にちせん) 修好通商に関する宣言」 (日タイ修好宣言) により、正式に
<1963年(53年前)にはプミポン国王が初来日しました>
国交がスタートされました。 「暹」とは、“太陽がのぼる” という意味があり、シャムの
音訳で、現在のタイ国のことをいいました。
同宣言は、両国が国交を結び、通商・航海を奨励し、将来の条約をもって詳細を規定する、という簡単で
抽象的な内容のものでしたが、明治政府が東南アジア諸国と外交関係を結んだ最初の条約となりました。
こう振り返ってみると、130年という年数は、改めて 凄い年月ですよネ ・・・
<お知らせ>
過日、歴史ある 「世界ジュニア選手権」 で逆転優勝を成し遂げた 立松里奈ちゃんのことが
7月31日 (11時15分) に、フジテレビの 「未来モンスター」 という番組で取り上げられます。
是非 ご覧くださいませ。