忘れもしない、6年前のスマトラ島沖地震 (2004年12月26日) での南部タイへの津波・・・
被害地となったプーケット・エリアで、12月26日に犠牲者を追悼する式典が執り行なわれましたネ。
ちょうど その頃、タイにいる親しい先輩とあるビジネスを行なう為 プーケットによく行き来しており
日本に帰国した 一時の出来事でした。 東京のレストランで食事をしていた時に、バンコクから一本の
電話が入り 「今 プーケットは大変なことになっているぞ」 との知らせ! 驚きましたねぇ~
思い起こせば、一つ間違えば 自分も犠牲者になっていたかも知れませんでしたから・・・
<これはイメージ写真です…>
このスマトラ沖地震で、25万人以上の死者と行方不明者が出て、タイのプーケットとパンガー県を中心に
犠牲者の数は外国人旅行者約3,000人を含む約8,400人が被害に遭い、日本人も28名の死亡が確認され
今でも一人が行方不明だそうです。 また プミポン国王のお孫さん (ウボンラッタナ王女のご長男) も
この津波で亡くなっています。 26日のその慰霊式典では、被災地となったタイやスリランカなど、
<大変なことが起こりました…>
各地で一斉に追悼する式典が行なわれた模様。 プーケットでは、現地の日本人会が主催した慰霊祭も
行なわれ、遺族など約150人が参列し、日本人僧侶らによる法要が営まれたとのことです。
プーケットのビジネス・パートナーを見舞う為 プーケットを訪れたのは津波に襲われた、一年近く
経ってからでしょうか… 散々たる光景で足が震えたのが、昨日のように覚えています。
特に被害が大きかったパンガー県には、避難民が住む仮設住宅ができていても、まだ 多くの人が満足に
避難生活を続けられていない人も多く、復興は はかどっていない状態でした。
<タイで初めての津波…>
海岸は殆んど 以前のままらしく、地元の人たちは ようやく、ガレキに絡みついた漁網を解く作業に
取りかかった、なんて言っていましたねぇ~ プーケットの病院には、未だ行方不明の人たちを探す
張り紙が、まだ一部 壁に貼り付けられていて、日本人の尋ね人もありました。
幸い 私たちのパートナーのファミリーには犠牲者が出ませんでしたが、家や経営にタッチしている
レストランや船は全滅でした。 決して 他人事とは思えませんでしたねぇ~
実は、今まで 同ブログに、このプーケットの津波被害のことを何度か書込む機会はありましたが、
なかなか詳細は書けませんでしたが、見舞いに行ってから 5年経って ワタクシも ようやく
このプーケット津波に触れられるようになりましたネ。
来年12月の追悼する式典には、ワタクシも参加しようかと考えております… 合掌!
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マレーシアでゴルフ合宿?
その時私は 病後のリハビリで ペナン島 ゴルフ
ショートスティを予定していました。
急遽 タイ パタヤに変更~タイのゴルフに嵌まる
現在 レムチャバンICCゴルフ合宿 続行中です。
大満足な シラチャーの生活、タイゴルフ
取引先のタイ人とウインドミルでゴルフでしたが、朝から全く前が見えないくらいの濃霧。
友人が道を間違え、冗談で何かの前兆かな?って話してました。
ゴルフが終わってからその友人に電話があり、プーケットが水浸しと・・・・
実はその際に私たちは津波と判らず笑っていたんです。
バンコクに戻り、レストランで見たライブ中継で現実を見てしまい、足が震えたのを覚えてます。
色々想いはあり、書き込むのが難しいですが、犠牲になられた方々の安らかな眠りを祈るだけです。
人間、ホント どうなるか わかりませんねぇ~
私に友人は、この日 ロイヤル レイクサイドのゴルフ場で、
やけに蚊が多く発生し、プレーを中止するぐらいだったそうですよ。
いろいろあるるんですねぇ~