タイと米国に関わっている関係者は、ホッとしていることでしょうネ。訪米した
プラユット首相は2日、ホワイトハウスでトランプ米大統領との会談が実現しました。
両国の関係は、タイで2014年に軍事クーデターが起きて以来(当時はオバナ大統領)、冷え込んで
いました。オバマ前政権はタイの軍事政権を批判し、プラユット首相をホワイトハウスに招待する
ことを拒否していたくらいです。 それをトランプ氏は方針を転換し、今回の会談で
かなりの関係改善がなされたようです。両者の思惑はどんなところにあるんでしょう?
戦中・戦後のタイ米関係について振り返ると、ワタシは こんな認識を持っています ・・・
第二次世界大戦中、タイは大日本帝国と同盟を結び、欧米諸国に宣戦布告をしていました。
一方、タイ自由運動と呼ばれる抗日団体があり、そこに日タイの情報収集入手のため、
米国政府は支援。その代償として、米国政府 連合軍は重要な軍事情報を入手していました。
タイは日本と一緒に敗戦国となりましたが、同団体と連合軍の関係のおかげで、戦争責任を
課されることなく、その後米国の軍事的位置づけとしてアジアにおける米国外交の中核になります。
“タイの八方美人外交” と言われる所以です。その後、ベトナム戦争の際は北ベトナムへと飛んだ
米国の戦闘機のほとんどが、タイ・パタヤ近郊にある軍のウタパオ空港のから飛びたっています。
第二次世界大戦後にあったタイの米国に対する大きな借りはベトナム戦争で返した形となります。
タイは大戦後から1973年まで、ほぼ軍による独裁政権が続きます。その後は軍政と民政が
ぶつかり合いながらも、民主化が始まりました。この間には、政府の汚職や民主主義を唱える
学生たちへの軍による鎮圧など、情勢が安定しない時期も たびたび ありました。
タイで民主主義が叫ばれ始めた頃、米国とコブラ・ゴールド(東南アジア最大級の多国間共同訓練)を毎年
開催するようになったのも、ベトナム戦争が起因しているのでしょう。開始から30年以上が経ち、現在では
世界最大級の軍事訓練になっており、日本の自衛隊も毎年、コブラ・ゴールドに参加しています。
しかし14年、民主主義から軍事政権への転換で起きたタイ軍によるクーデターをきっかけに、
米国との関係性は悪化し、オバナ大統領時代に亀裂が生じてしまいました。米国は民主主義の
早期復帰を呼びかけますが、軍事政権を握るプラユット首相は米国の介入に反発していました。
それからは中国との関係を深め、中国と反発しあう米国とは更に疎遠になるかと思われていました。
そんな矢先のトランプ大統領とプラユット首相の会談でした。 長くなりますので明日に続きます。
「タイでゴルフ友達になりましょ」 のホームページです
タイ・ゴルフを何でもランキングで紹介する情報サイト
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます