昨年12月 タイ国の騒乱で、国を追われた形のプラティープ・ウンソンタム・秦 (58) さん、日本での生活は
大阪のご主人のもとで、祖国を想い 一日も早い騒乱の解決を夢望んでいたそうです。(昨日からの続き)
大阪市内にある神社を、近所の女性と毎日 境内を掃除することを日課として、片言の日本語ながら
すっかり 地元に馴染んでおられたようです。 祖国から逃亡しているようで辛かったでしょうねぇ~
<スラムの天使と呼ばれて何十年?>
「スラムの天使」 と呼ばれるプラティープさん、自らも貧困層に生まれ 6歳の頃から路上で物売り
として働き始め、16歳の彼女は 「教育こそが生活を大きく変える原動力になる」 と確信し、姉と
共に 両親たちが働きに出ている子供達を預かって、ものを 教えることを 始めました。
当時 親たちからは文房具代として一日一バーツを出して貰ったので、住民たちからは 「一日一バーツ
学校」 と呼ばれました。 こうした活動が世に認められて、1978年にアジアのノーベル賞といわれる
「ラモン・マグサイサイ賞」を、80年に傑出した若者に送られる 「ロックフェラー賞」 を受賞し、
それらの報奨金でバンコク最大のスラム、クロントイ地区にて 「ドゥアン・プラティープ財団」 を 設立、
その後 一貫して貧困層の子供達の教育に力を注いできた人です。
<33年前にラモン・マグサイサイ賞を受賞…>
確か 2000年の上院議員選挙で、バンコク区の初当選から任期が終わるまで6年間、国会を通して
教育や福祉などの貧困問題と麻薬問題に取り組み、地方を含めた貧困層の支持を集めました。
その時の首相がタクシン氏でした。 米同時多発テロが起きた2001年、実業界で成功した財力を背景に
タクシン政権が誕生しました。 タクシン元首相も麻薬撲滅や貧困救済の政策を支持し、地方の貧困層から
大変な信頼を勝ち取りました。 ここにプラティープさんがタクシン派とみられる理由があります。
政府の役職にも就きましたからねぇ~ そう判断されますよネ。
<タイへ帰国したプラティープさん…>
プラティープさんは 「クーダターを起こした反タクシン派による政権は支持できないが、タクシン派になった
つもりもない。 人の死が許せなかっただけ。 だけど今のタイでは、味方でなければ敵と見なされる」と…
マグサイサイ賞の賞金で財団を作り、貧困地域で教育と福祉の向上に努めてきた
「スラムの天使」 も、タクシン派とみられるのに 例外は無かったんですねぇ~
「帰って来られて幸せ。 だけど 国民の和解がなければ、嬉しさは半分」 とも仰っています。
今のタイに必要なものは 「対話」 と力説するプラティープさん。 これからの道のりは遠いようですが
「まずは自分から、対立する二つの勢力の指導者たちと対話をしていきたい」 と、願っているそうです。
頑張って下さい、プラティープさん。
「タイでゴルフ友達になりましょ」 のホームページです
タイ・ゴルフを何でもランキングで紹介する情報サイト
とらねこサンのようか方がいて、タイの子供達も救われているワケですねぇ~
頭が上がります。これからも宜しくお願いします。