そうだったのか… 「スラムの天使」 こと プラティープさん、日本に居たのかぁ~
知りませんでした。 あえて 公表しなかったのでしょうねぇ~
タイ政府から逮捕状が出てから 消息を絶っていましたので、どうしたのか心配していましたが…
いつでしたか、非常事態令違反でUDD幹部 (反政府デモ隊) 、65人の内の一人だとして、
プラティープ・ウンソンタム・秦(58)さんにも逮捕状が出たのは? そう、そう、 昨年5月の事でしたネ。
<無事でした、プラティープさん…>
今だ 記憶に新しい 「流血強制排除事件」。 バンコク中心部に銃声が響き、黒煙を上げながらアピシット
首相の退陣と総選挙を求めて、二カ月にわたって現場を占拠していたタクシン元首相の支持者たち。
その彼らに対して、軍が強制排除に着手し 血を流し倒れこむ人、いや 逃げ惑う人に交じり、武装して
応戦するグループもあり 現場は混乱の一文字でした・・・ わぁ~ 今でも記憶が蘇ってきます。
占拠地にいたタクシン派の多くは、都市部や地方から集まった貧困層でしたが、プラティープさんが
活動拠点にしていたクロントイ・スラムは、現場から数キロの距離でした。 実弾を撃って包囲網を
狭める軍に追われて逃げ出した人たちが、助けを求めてクロントイに続々と集まりました。
<どうなることやら、と不安だらけでした…>
「こんなことが、今の時代に許されるのか」 と、プラティープさんはクロントイで抗議集会を開き
武力行使に出た軍の中止を求め、また 批判もしました。 しかし 占拠やデモに加わらなかった
彼女でしたが 「非常事態宣言の下で5人以上の集会を禁じ条項に違反した」 という容疑で、逮捕状が
出たのは 確か 八か月前のことでした。 丸一日続いた軍の排除作戦が終わった数日後の出来事です。
そこで 逮捕状が出されたプラティープさんのその後を、どうしたのか案じていたワケです!
<どれだけの子供達が助けられたか…>
でも 私が知らないこんな事情があったようです。 プラティープさん、ご主人は日本の方なんですネ。
日本の社会福祉活動家でもある秦辰也さんとは、スラム支援が縁で お二人は結婚され、今 泰さんは
近畿大学にお勤めです。 そこで ご主人の勧めもあり 政府からの拘束を免れる為に、あの事件後
すぐ 日本に逃れたようです。 良かった、良かったご無事で・・・
昨年12月22日でしたか、政府は非常事態宣言を八カ月ぶりに解除しましたが、プラティープさんは
1月4日にハラハラ ドキドキしながら、祖国タイのスワンナプーム国際空港に入りました。
空港職員に 「もう、逮捕のリストに名前はありません」 と告げられ、喜びを満面に表したそうです。
そりぁ~ そうでしょうとも! 永い、永い八ヶ月でしたねぇ~
長くなりますので明日に続きます。
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