2006年9月のクーデターでタクシン政権を失脚させた軍部暫定政権も、去る22日に最後の会合で解散を発表し、また
昨年12月の下院選挙で、タクシン派系パランプラチャーチョン(国民の力)党が勝利を収め、党首であるサマック氏(73)が
28日下院議会で第25代の首相に選出されました。
これでプミポン国王の首相承認後にサマック氏が首相に就任し、来週中に新内閣を発足されればクーデターから約1年
5カ月ぶりの民政復帰となります。めでたし、めでたし、といきたい所ですが、皮肉にも、またもやタクシン派政権の復活です。
政府、軍部からすれば、折角 タクシン氏を失脚させたのに、この1年5ヶ月何をやっていたのでしょう? これといった政策、
経済、外交の実績も残せず、世界各国からはクーデターの非難を受け、国民からは信頼をされず、結局 またタクシン氏の
お出ましです。既にクーデターに加担した軍幹部は、タクシン氏の復讐に怯える日々だそうですヨ。
しかし タクシン氏はあえて、党首にサマック氏になることを許したのか、この人の評判が芳しくありません。
バンコク週報、タイ英字新聞などの報道によりますと、都知事として業績を残せなかった、放言癖がある、感情を
コントロールできず、リーダーとしての資質に疑問、73歳と高齢である(タクシン氏は59歳) ・・・等々。
趣味が「料理づくり」ということで、つい最近までテレビの料理番組に出演しており、自ら料理に腕を振るうなど、
政治家というより料理人のイメージが強く、民政復帰後の初代首相として、タイの国政をどう「料理」するのか、
と皮肉がられ、あまり歓迎されていないようです。しかし この不評がタクシン氏にとっては好都合なのかも知れません。
“やっぱり、タクシンよ。お前がやれ!”という国民の声が聞こえてきそうです。もう筋道が出来ているのでしょうか。
タクシン氏の5月帰国が噂されています。
ワタクシら、外国人がタイ政府に対して、とやかく言うのは良くはないと思いますが、まだまだ一悶着も二悶着もありそうです。
ここに、ニュース・クリップ社からの抜粋ですが、お二人の略歴を掲載しておきます。
〈タクシン・チナワット〉
1949年、北部チェンマイ生まれの客家系華人。中国名は丘達新。警察士官学校を首席で卒業後、米国に国費留学し、
刑法学博士号を取得。帰国後、警察に勤務するかたわら、官公庁へのコンピュータ・リース、不動産開発などを
手がけ、1987年に警察中佐で退職。携帯電話サービスのAIS、通信衛星のシン・サテライトなどからなる
通信大手シン・グループを育て上げた。1995年に政界に転じ、1998年に愛国党を創設。2001年の総選挙で
大勝し首相。2005年2月の総選挙も圧勝、首相に再選された。2006年9月のクーデターで追放され、英国、中国に滞在中。
〈サマック・スントラウェート〉
1935年、バンコク生まれ。貴族の家柄。タマサート大学法学部卒。1975年に副農相として初入閣し、1976年に
右翼団体がタマサート大学を襲撃し多数の死傷者を出した事件で右翼暴徒を扇動したとされる。1970―90年代に副内相、
内相、運輸通信相、副首相などを歴任。当初は民主党所属だったが、後にプラチャーコンタイ党を設立し、長く党首を務めた。
2000年のバンコク都知事選で過去最高の100万票を得て圧勝したほか、2006年の上院選でも最多得票で当選。
自らフライパンを握るテレビの料理番組などを通じ、お茶の間に人気がある。
サマック氏自らがホストを務めるテレビの料理番組とトークショーは今後も続ける考えだそうですよ。
タイ・ゴルフを何でもランキングで紹介する情報サイト
昨年12月の下院選挙で、タクシン派系パランプラチャーチョン(国民の力)党が勝利を収め、党首であるサマック氏(73)が
28日下院議会で第25代の首相に選出されました。
これでプミポン国王の首相承認後にサマック氏が首相に就任し、来週中に新内閣を発足されればクーデターから約1年
5カ月ぶりの民政復帰となります。めでたし、めでたし、といきたい所ですが、皮肉にも、またもやタクシン派政権の復活です。
政府、軍部からすれば、折角 タクシン氏を失脚させたのに、この1年5ヶ月何をやっていたのでしょう? これといった政策、
経済、外交の実績も残せず、世界各国からはクーデターの非難を受け、国民からは信頼をされず、結局 またタクシン氏の
お出ましです。既にクーデターに加担した軍幹部は、タクシン氏の復讐に怯える日々だそうですヨ。
しかし タクシン氏はあえて、党首にサマック氏になることを許したのか、この人の評判が芳しくありません。
バンコク週報、タイ英字新聞などの報道によりますと、都知事として業績を残せなかった、放言癖がある、感情を
コントロールできず、リーダーとしての資質に疑問、73歳と高齢である(タクシン氏は59歳) ・・・等々。
趣味が「料理づくり」ということで、つい最近までテレビの料理番組に出演しており、自ら料理に腕を振るうなど、
政治家というより料理人のイメージが強く、民政復帰後の初代首相として、タイの国政をどう「料理」するのか、
と皮肉がられ、あまり歓迎されていないようです。しかし この不評がタクシン氏にとっては好都合なのかも知れません。
“やっぱり、タクシンよ。お前がやれ!”という国民の声が聞こえてきそうです。もう筋道が出来ているのでしょうか。
タクシン氏の5月帰国が噂されています。
ワタクシら、外国人がタイ政府に対して、とやかく言うのは良くはないと思いますが、まだまだ一悶着も二悶着もありそうです。
ここに、ニュース・クリップ社からの抜粋ですが、お二人の略歴を掲載しておきます。
〈タクシン・チナワット〉
1949年、北部チェンマイ生まれの客家系華人。中国名は丘達新。警察士官学校を首席で卒業後、米国に国費留学し、
刑法学博士号を取得。帰国後、警察に勤務するかたわら、官公庁へのコンピュータ・リース、不動産開発などを
手がけ、1987年に警察中佐で退職。携帯電話サービスのAIS、通信衛星のシン・サテライトなどからなる
通信大手シン・グループを育て上げた。1995年に政界に転じ、1998年に愛国党を創設。2001年の総選挙で
大勝し首相。2005年2月の総選挙も圧勝、首相に再選された。2006年9月のクーデターで追放され、英国、中国に滞在中。
〈サマック・スントラウェート〉
1935年、バンコク生まれ。貴族の家柄。タマサート大学法学部卒。1975年に副農相として初入閣し、1976年に
右翼団体がタマサート大学を襲撃し多数の死傷者を出した事件で右翼暴徒を扇動したとされる。1970―90年代に副内相、
内相、運輸通信相、副首相などを歴任。当初は民主党所属だったが、後にプラチャーコンタイ党を設立し、長く党首を務めた。
2000年のバンコク都知事選で過去最高の100万票を得て圧勝したほか、2006年の上院選でも最多得票で当選。
自らフライパンを握るテレビの料理番組などを通じ、お茶の間に人気がある。
サマック氏自らがホストを務めるテレビの料理番組とトークショーは今後も続ける考えだそうですよ。
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しかし、タクシン系政党はかつては75%の議席を有しましたが、今回は過半数はとれませんでした。
バンコクでは30%しか取れず、バンコクの中間層がタクシンを拒否している姿勢は従来同様です。
タクシン系を支持しているのは、北タイと東北部(イサーン)の農民です。
プミポン国王が懸念している「国民の分裂=都市の中間層と地方の農民の対立」状況は何ら変わっていません。
「バンコクで集めた金をイサーンに配る」ことでタクシン系政党は選挙で勝利してきましたが、バンコクや地方都市の中間層は、今度も同じ事をやったら、国民の力党政権は短命に終わるでしょう。
イサーンの農民については、こういう言い方がされます。
『村人は選挙で自分の意思で投票する事はない。買収されるか、村内での実力者の意見に従う、のどちらかだ。
自分の意思で、投票する者は限りなく少数だ。
これに対し、バンコクの中間層は、誰の話にも耳を傾けて、それから自分の判断で投票する。
バンコクの中間層は、国民の力党は私利私欲のために政治を利用しようとしている、という事はすでに気づいている。
でも、それについて村人にいくら説明しても、何の疑問も感じないし、状況を何も理解する事はできない。
いつの時代も、バンコクの中間層が国を動かしてきました。
国民の力党は、タクシンを見捨てて延命を図るか、それともタクシンからお金をもらい短命に終わるか、のどちらかを選択することになるでしょう。
国民の力党は、タクシンを政治的に助けようと計画をしていますが、それをやったら、国王の暗黙の支援のもとに、再度クーデターが起きない保障はありません。