日本のカレーを食べたくなると、タニヤ プラザにある “カレー屋・青りんご” に
お邪魔しては、オーナーの橋本明己さんとゴルフや野球の話をして帰ってきます。
私の元上司であったKさんから、大阪外語大学の野球部後輩である橋本さんを紹介頂き、
以来 時折 お邪魔しては、タイのことを教わったり いろいろとご教示願っている次第です。
<オーナーの橋本さん…>
先週お邪魔したちょうどこの日は、大阪外語大学OBの懇親会があり、面識がある方も
いらっしゃいましたので、図々しくも 一緒せてもらい 楽しいひと時を過ごしました。
橋本さんは、大阪外語大のペルシャ語学科を卒業後に安宅産業に入社。非鉄金属部に配属され、同社の
所有するイランの銅山の業務でイランに赴任する予定でしたが、折しも経営が破たんし、伊藤忠商事に
吸収合併されてしまいます。当時、中東アジア、東南アジアでは日本及び欧米企業による電話網・通信網の
拡張工事が急速に進められていた時代です。イランのテヘラン市内で電話網拡張工事を手掛けていた
協和電設(現・協和エクシオ)からペルシャ語のできる橋本さんに誘いがかかり、入社を決めました。
<テヘラン市内…>
テヘランでは、イラン革命(1979年)とイラン・イラク戦争(1980年)を体験し、度々の工事中断の
憂き目にあいながらも1982まで同工事に従事しました。その後、協和電設が海外工事の主体をそれまでの
中近東・アフリカから東南アジアにシフト。84年、タイに現地法人が設立され、初めてタイに足を
踏み入れることになります。 2002年に社長に就任し61歳の定年を迎えた08年まで勤務しました。
橋本さんが大変なバイタリティーを発揮したのはそれからです ・・・
いろいろな場所で、美味しいものを食べ歩きするなど食通でもあった橋本さん。もしレストランをやるなら、
専門職の少ないカレー屋と決めていました。店舗をオープンするにあたり、九州でレストラン修行し、赤坂の
料理学校にも通いました。そして自らカレーの仕込みなどを基礎から学んで独自のカレー・レシピを作り上げ、
2008年5月 ついにタニヤ・プラザ2階にカレー屋「青りんご」をオープンしました。カレーのベースに
なっている特製のチキンブイヨンは、鶏ガラを丁寧に洗い、じっくりと時間をかけて抽出する仕込み方法です。
そのため、雑味が無く日本風の上品なカレー味に仕上がっています。 店はオープンして7年目に入りました。
今では昼時など、タイ人と日本人のお客で一杯になりますが、ここまで来るのに紆余曲折もありました。
長くなりますので明日に続きます ・・・
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます