来年6月のワールドカップの対戦相手もカメルーンと決まり、日本は これから暫く サッカー、サッカーで
盛り上げることでしょうネ・・・ (ワタシは野球派ですから そうでもありませんが…)
タイのサッカー熱も高く盛んです。日本と比較しますと、相撲がムエタイ(キックボクシング)に当たり
野球がサッカーに当たる と表現すれば、いかにタイ国のサッカー、人気があるかお判りでしょう。
そもそも タイのサッカーの歴史は古く、まして、タイのサッカー協会の創立は16年(93年前)と、日本の
創立より、5年も(21年)前から設立されているんです。が、タイはワールドカップに出場できていません。
これは、組織だった学生サッカーの違いのように思われます。そして 指導者も育っていないのかも?
例えば 日本の高校サッカー選手権は88回を数えるのに対し、タイの高校サッカーの選手権は数年前に
スタートしたばかりです。日本代表がワールドカップに初めて出場できたのは、選手権初開催から
80年後(98年)のフランス大会ですものネ、ワールドカップへの出場は容易なことではありません。
タイのサッカーは盛んでも 世界的レベルに到達しないのは、こんな処に理由があるのかなぁ~ なんて
勝手に思っています、、、 あくまで ワタクシの見解ですヨ・・・ 悪しからず、です。
さて、そんなタイのシラチャーで、「Yutaka Football Academy」と云うサッカースクールを開校している
日本人、相原豊さん(30歳)が、最近 タイの日系メディアにたびたび紹介されていますネ。
相原さんは、神奈川県藤沢市の出身で小学2年からサッカーを始め 高校では県大会ベスト16まで進み
その後 半導体会社に就職し、プロサッカーの夢を持って横浜の社会人チームでプレーしていたそうです。
また海外でのサッカーに興味を持っていた相原さんに、勤務先の知人からタイでプロチームを紹介する
と云う話が舞い込み、03年夏にバンコクに降り立ったとの事。そこでタイリーグ 「たばこ公社FC」 の
入団テストに挑戦し、月給2万バーツ(当時 約6万円)で採用され、念願のプロ選手になったそうです。
その後 初の日本人プロとしてバングラデシュ、ウガンダのプロリーグで活動している中、知人から
「子供のコーチを手伝って」 と声をかけられ、06年に帰国し指導者の道を歩み始めました。が、
デビューしたタイの国で指導をしたい、という気持ちになり5年ぶりに原点であるタイに戻りました。
実は、相原さんは左手首から先がない障害を持ち ハンデを抱えながらのサッカー選手なんですが、
「前に出れば、必ず道は開ける」 をモットーに サッカー・スクールを通して、ハンデがあっても
諦めない精神を伝えたい、と・・・ また 「チャレンジする子供の背中を押してあげたい」と・・・
タイには 良い意味で、様々な日本人の方が活躍していますヨ。
「タイでゴルフ友達になりましょ」 のホームページです
タイ・ゴルフを何でもランキングで紹介する情報サイト
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます