物欲王

思い付くまま、気の向くまま、物欲を満そう

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アフターダーク

2007-06-10 06:46:42 | 
僕にできないことは沢山あるけれど、特に問題なのは2つです。いずれも世の中の人のほぼ全員が問題なくできることでしょう。しかし、僕にはどうしてもできません。フィジカルな原因もありどうしようもないことは分かっているけれど、2つの問題は密接に絡み合い、しかしあまりに当たり前すぎることなので、それらを無難にやり果せることのできない自分に恥じ入ります。

自分に対する嫌悪感から一人になりたいと考えるのですが、いざ一人になろうとすると実は非常に難しいことに気付きます。例えば公園でホームレスになってみることを考えてみて下さい。そもそも公園は勤労者の税金によって維持されているものであり、公園でいくら一人で生きると意地を張ったところで、顔の見えない誰かに支えられているに過ぎません。仮に無人島に行くことにしたとて、無人島にたどり着くまでの電車や飛行機はいかにも無機質に定期的な運営を続けていますが、それは大勢の駅員や航空会社社員の営為の表層でしかありません。小舟で旅立つことにしても海岸にたどり着くまでには誰かの税金を原資として大勢の作業員が汗を流して作った道を通ることでしょう。現代において一人あることは大勢の人たちといることの1写像でしかありえないのかも知れません。

そんなことを考えていた折に何気なく『アフターダーク』を手にしました。かつて村上春樹氏の小説を結構熱心に読んでいた時期があったのですが、最近作という観点では『国境の南、太陽の西 』を読んだのが最後でした。『アフターダーク』『国境の南、太陽の西 』から10年以上経った小説なので、かなり新鮮な気分で読み進めることができました。

深夜から夜が明けるまでの7時間足らずに、都会では様々な人々が生活を続けています。まったく無関係な人々が深夜のファミレスに集い、各々に多少なり接点があったりなかったり、曖昧な境界を隔てたその接点に気付いたり気付かなかったりしながら、時を刻んでいきます。この前読んだ『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド 』は2極から書き進める文章でしたが、『アフターダーク』はいくつかの視座が提示されるので、より今を感じさせるものです。ただ、矛盾するようですが現代都市を浮き彫りにしながらも妙な懐かしさを感じさせてくれる話でもあります。それは2004年に刊行された小説なので3年前というちょっとした「昔」がそうさせるのか、3年前だろうが30年前だろうが人々の中にある普遍的な一体感からか、不安定な気持ちを抱えて読みながらも安堵した気持ちがわき上がってくるから不思議なものです。僕の場合はこの小説が意図するところとはまったく違う文脈で読んでしまったと思いますが、何だか自分の気持ちの穴にぴったりと何かがはまったような感覚になりました。

少し前まではハードカバーしかありませんでしたが、今では文庫本にも出ているので、村上作品にご無沙汰している方や村上作品に無縁だった方は試しに読んでみると良いと思います。


アフターダーク

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