その昔、『Misery』を原書で読もうとしたのですが、あまりに難解で数分で挫折した苦い記憶があります。身の程を知らずに購入した原書からは、ストーリー中に出てくる壊れたタイプライターの雰囲気が感じ取れただけでも良しとしようと、その時は自分を慰めたものでした。
本が無理だったので、せめて映画を観ようとずっと思っていたものの、なかなか観る機会がありませんでした。原作と映画ではストーリーが違うという噂もあったりしたので、いつの間にか気持ちが離れてしまったのかも知れません。
そして原書での挫折から久しく経った今、初めて映画版のミザリーを観ることが出来ました。この映画のテーマの一つは「母胎内回帰」だと誰かが言っていた記憶がかすかにあったのですが、時を経てじっくり見てみるといろいろと考えさせられるものがあります。
「三一致の法則」かと思ってしまうくらい、映画としてはほとんどのシーンが1つの部屋の中で進むというかなり制約の多いものですが、ストーリーはもちろん1日で幕を閉じるはずもなく、窓外ではかなりの月日が進んでいることが見て取れます。その環境下で「創作と生存」や「作家と読者」のバランスをどう取るべきなのかとか、そもそもそういう状況下で創作が出来るものなのかとか、素人の僕でも考えさせられてしまいました。著名な作家が生活費を稼ぐために本人の意に反する作風で物したというようなエピソードをよく聞いたことがありますが、まさに日々の生存を掛けて文章を綴らなければならない究極の状況です。
やっぱり本でも読んでみたいと強く感じたので、今度は和訳版を手にしたいと思います。
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