歳を取るって好きなものが増えてステキ・・・。最近のお気に入りの作家、葉祥明氏の詩の本を図書館で見つけました。シュタイナーの本で出会った感覚にとても近い詩だと思います。
《 神さまが心に・・・・》
小鳥や仔猫や仔犬など
小さく幼いものを見る時 悪いことをしようとして
野の花や青空や夕焼け雲 どうしてもできない時
それに月や星に我を忘れる時 だれかの助けになってあげた時
神様が僕の心の中に そして、苦しむ人を見て
すっと入り込むような気がする 心がちくちく痛む時
そんな時 やはり
神様がふっと心の中に入り込んだのだと思う
葉祥明さんのエッセイ詩集 『ありがとう そよ風』 より
私はどうも嫉妬深い人間だったようです。
才能のある人間が羨ましいです。
歌手や作家など自分の世界観を表現できていいなぁと憧れます。葉氏も絵も詩も素敵で憧れます。
下は彼のことばです。
上の詩の本のあとがきにありました。
「ある日ある時、詩の神様がやって来て、私を通してこの世に生まれたもの。
作品は私のものではなく、それを書かせたものたちのものなのかも知れません。
雨や風や木々や草花。彼らが私に詩を書かせ、絵を描かせる。
人間である私は、そのために存在している。
この地球は彼ら自然に生きるものたちの物で、私たち人間はそれを少し借りるだけ、
その御礼に自然を賛美し、歌う。
これが、人間と芸術の存在意義ではないかとも思うのです。」
謙虚で心が綺麗な方だからこその作品なのだとうなずけます。人に良く見せたいが為に才能を欲する気持ちでいる自分が恥ずかしくなりました。
以前読んだ小説に主人公である生徒の子供時代にその担任の教師が言ったという説「名前は一生をかけて全うするべき目票となるので、その正反対に生まれるのだ。」というものがありました。
職業柄、いろんな人間に会い、その説は正しいのではと思うことしばしばです。
たとえば、『優』という字の入ったお子さんは大抵、性格がきつい・・・。
『翔』は落ち着きが無い、『太』は体が細い。巌男とい
う本名のオカマが多い。『強』は弱い・・・など。
いい意味の字を使って素敵なお名前だと感心する
名前もあれば、あまりに高大な字を用い、いわゆる「名前負け」になってしまうと可哀相な気がします。
さて、私の名前の『知子』ですが、この名前を命名した父によると、
「知らないことを許すことは簡単なこと。
知っていてなおそれを許すことができる観音様やマリア様のような女性になってほしい。」
と、つけたそうです。
当の本人はというと昔から知性的な女性に憧れておりましたが、短気で自分の考えが一番と疑わず、思い道理にならないと癇癪を起こす子供でした。(残念ながらその悪い癖はなかなか直れずにいます。)
『許す』という気持ちになるには、自分より相手を思いやっていないとできないと思います。
今、ティック・ナット・ハンの『禅的生活のすすめ』という本を読んでいます。
“平安は一人ひとりの心のあり方から”
“不安や恐怖や怒りを哀れみに”
“相手の矢を花に代えて受け取る” という言葉に感動しています。
(最後のイメージトレーニングはお釈迦様が修行中に行ったもの)
夏休み中、この時期敗戦を経験した日本ではテレビではドラマやドキュメンタリー、また黙祷のサイレン、空襲後の写真の展示という形でいろんな所で戦争についてのものを目にします。
文化人として、二度と戦争が起こる状況にしてはならないと思います。
戦争の体験を語り継いで残していくことは大事だと思います。
非戦は、ただ戦わないという不戦ということ以上に、相手を許しているのだと思います。
哀れみ、または愛の精神があると思います。ただ政策的には、相手(他国)のいう通り何でも許せば国としてや人としても甘く見られるばかりです。
そこはこちらを尊重されるべき人格国家であることをアピールしないと、とは思いますが。(今も政権交代後、日本がどのように変わっていくのか外国でも注目していることでしょうね。)
いわゆる戦国時代、国は限らず名将と謂われる人間は、敵であったとしても惚れる人間性を備えていたように思えます。
味方、家臣であればなおさら「この人の為ならば。」と忠誠を誓うことでしょう。
昔であれば家臣は命を捧げ、戦で血を流すこともあったでしょう。
それをも厭わない心意気にはいつも時代劇を見ていて感動します。
武道の達人は敵を作らないといいますが、そういうことなのでしょうか。
余談ですが斉藤孝氏の『自然体のつくり方』の中の一節でも居合道の型の審査の際「どちらに斬られればより本望か」を基準に判断を行う方法にたどりついたとか・・・。
長男の通う小学校では毎年秋に相撲大会が設けられます。
中にはルールを守れず喧嘩腰に相手を振り飛ばそうとする児童もいるようで、練習時に精神からよく教えることが大事だと思います。
先日相撲大会前日に一年児童の帰宅引率のボランティア(スクールガード)で学校内を訪れた際、大会についての心構えとして、勝敗ばかりが大事なのではなく、ルールに則って自分の力を出し切ることが大事だと子どもたちに話していました。
それでも負けると悔しくて泣いたり負け惜しみを言ってみたり。
二回戦で惨敗した長男も作文に早くも来年への闘志をしたためていました。
7月、とても興味深い講演会に行ってきました。講師、岸田芳朗氏(にかほ市出身、現岡山大学大学院准教授)の『蝕まれた子供の心と体を元気にする健康な農と食!』(にかほ市PTA連合会の講演会)です。
内容は食や生活の欧米化による日本人の受けたダメージ、家庭で添加物から家族を守るべきであることなどでした。この方は無農薬合鴨水稲作の普及に取り組んでいる方です。食品添加物について告発本を書かれた安部司氏のことも紹介されていました。便利なレトルト食品ですが極力家族には添加物の影響を与えたくないですね。そんな気持ちで急なお弁当も手作りの物で。長女曰く「皆の所はお
弁当に冷凍食品をよく使っているのにうちは使わないなんてすごいね。」だそうです。どうせなら愛情を添加したいですものね。
岸田さんが言うには、「食」という字は「人を良くする」と書き、安全なものを食べ健康になるばかりではなく、家族との会話や団欒から精神的な充足も得るというものだそうです。講演会の資料もご覧下さい。
先日佐藤初女さんのお料理の本、『初女さんのお料理』を書店の店頭で見かけ、早速購入し棒だらの煮付けとポテトサラダを作ってみました。美味しくでき、いつものメニューに一味加わりました。イスキア名物のにんじんの白和えも作ってみたいです。中学一年の長女は結構味にうるさく、特にこの2.3年はにんじんを嫌っています。食べてくれるかどうか・・・。
以下は、岸田芳朗氏の講演会資料より抜粋したものです。
蝕まれた子供の心と体を元気にする農と食
~家庭の食卓から農と食の再生~
岡山大学大学院 岸田芳朗
皆さんが「家庭の食卓から農と食の再生をさせるために」実践してほしいこと!
1取りませんか、各家庭で食に関する免許証を
旬育旬食・自育自食・地育地食の進め
春は芽:生命の凝縮・身体の潤滑油
夏は瓜:果菜類 暑い夏の身体の掃除と冷却
秋は実:木や草の種と実 寒い冬に耐える準備
冬は根:土の中で育った野菜 身体を温め繊維を補給し、腸を掃除
2食育に食術を
作物と家畜という命を大切に丸ごといただく;食材の魅力や栄養素をあますところな
く活かしきる古くからの知恵と工夫
農産物の上手な保存・活用法
大人は先入観で味わう、子どもは舌で味わう
3食歴を豊富に
季節ごとに旬の食材を、工夫しながら食べ続けること
食卓の魅力を失わせた職歴の薄さ
四季、地域によって産み出される多様な農産物の特徴を知れば、おいしい食べ方と調理
術も身につく
4日本の食文化を代表していた発酵食品など日本型食生活の見直しと食卓への取戻しを
なぜマヨネーズなの
玄米の繊維質は白米の6倍
干し柿の魅力
豊富な野菜;抗酸化力が強く、繊維も豊か
魚 食;血液をさらさらにする油が豊富
必須脂肪酸は人間の体内で作ることができないもので、食べ物から摂取
食の欧米化で魚(青魚)を食べなくなった
(EPA;エイコサぺンタエン酸、DHA、ドコサヘキサエン酸)
(生活習慣病を予防、鬱が少ない)
5「本当の豊かさ」とは何かをもう一度考え、取り戻しませんか
モノとカネの豊かさがすべてなのか
企業のペースに振り回されている私たち
家族や愛するものとの健康で楽しい暮らし、心を豊かにする趣味、生きがいのある仕事
人生の充実感、無目的な友情、自然とのともにあるやすらぎ
喜劇王チャップリンの言葉で、「生きていくために必要なのは
”夢と勇気と少しのお金”
最近、覚醒剤所持で逮捕される芸能人が多く、ビックリです。最近テレビでその生い立ちまで報道されているSさん、ママさんタレントとしても成功し、女優としてもまだまだこれからという時で残念です。街角での一般人への聞き込みでも興味本位の軽い気持ちでできるほど手に入りやすくなっているというので恐ろしいですね。
皆自分を大切にしてほしいです。
Sさんの裁判の結果や動向を大騒ぎして追いかけたりはもういいので、この機会に覚醒剤をしていた人たちのその後の副作用、リハビリの様子などを詳しくマスコミで取り上げ、そいうことこそメディアで伝えればいいと思います。
小さいときに「自分は大事にされた。」という記憶があって、ちゃんと愛情を感じて育っていれば、万が一道を踏み外すとしても早い時点で歯止めがきくはずだと思います。
先の食事のとり方もですが、絆というものでしょうか。今の子供たちは傷つきやすい環境にいるのも事実です。
癒してくれるはずの自然が都会では減っているでしょうし、田舎でも時間に追われて自然とコンタクトをとる時間が持てなかったり、感性自体が育っていなかったり。
映画『西の魔女が死んだ』を観る機会がありました。
本のままというかそれ以上の西の魔女の姿に感激しました。
登校拒否になった少女まいは昔のままのスローライフを守り森の中の家で一人凛と生きているおばあちゃんの愛情と自然にすっぽりと包まれ、癒されていました。
また、精神力(意志力)を鍛えるという魔女修行生活の中で、おばあちゃんが信じているスピリチュアルなものへの自然な出会い、本当に素敵な映画でした。映画化ということで知ってから原作を読んだのですが、原作を裏切らない仕上がりだと思いました。
『賢治の学校』創設者鳥山さんも自然との関わりの大切さを書いています。
人間も自然の一部ですから、生きる力を自然から受け取る必要があるのではないでしょうか。
病院の待合室や郵便局で絵本の読み聞かせの紹介の冊子『親と子の童話館ぶっくくらぶ』に《テレビなど電子メディアと子ども》という連載での特集記事があります。
テレビなどからの過度の刺激は暴力シーンはもとより、そうでないものでもよくないとあります。
ましてや暴力的なシーンは例え正義のための暴力でも、やはり暴力肯定の意識を作ると危惧しています。
次はその冊子からの抜粋文,
「幼い頃からテレビなどの暴力シーンにさらされて来た子どもたちは、この世は暴力に満ちていること、人は暴力の前には無力であることを知らされていく。
そうやって、この世を暴力と哀しみの世界ととらえていく。
そのような世界観から、子どもたちはどのような人生を切り開こうとするのでしょうか。
もちろん、その感覚にも負けない人間の感受性が存在することを幸いとしす。」
今の世の中、情報が溢れすぎていて、何を自分の世界に取り入れればいいのか、よく選ばなければならなくて、それだけで疲れてしまいます。便利になって良かったこと、そうでないこと、欲を抑えるということも必要になったと思います。
私も若いときは何でもできる気がしていました。
それでかえって、何をすればいいのかわからなかったこともあったと思います。
得になうことばかり気にしたり。
ようやく今は落ち着いて考えられます。
ただ、身体のあちこちに痛みが出てきたり思い道理に行かなくなってきて、自分もお年寄りに近づいているんだと驚きを隠せません。
若いときの身体を使った遊びや運動の経験は一つの喜びです。
私もまだまだ走れることに感謝しなくては。
最近『獣の奏者エリン』に子供たちと夢中になっています。
NHKでアニメ化放送もされています。架空の獣と王国の物語です。
主人公はただ動物を愛する少女で自然の中で幸せに生きる生き物が好きで医術士となっていくのですが、王室の権力争いや戦争に巻き込まれていくのです。思うように行かない世の中で真理を求めて健気に生きていく様子に感動します。
『西の魔女が死んだ』やこの本にしろ、子供がいたから出会ったものです。
一緒に生きなおしていると感じる今日この頃です。
❀ ― ❀ ― ❀ ― ❀ ― ❀ ― ❀ ― ❀ ― ❀ ― ❀ ― ❀ ― ❀ ― ❀
ところで、ここのところホメオパシーの勉強が子供の用事でままならず、捗りませんでした。
我が家の利用状況も、子供の鼻炎に自宅で選んでレメディを与えていますがなかなか改善せず、一種類のレメディを私が選ぶのではなくレメディウムといって数種類のものが症状に合わせてブレンドされているものに代える予定です。
子供の水イボの治療では、イボ用のスーヤというレメディの服用と軟膏塗布(エッセンシャルオイルとの併用)は効果がありました。胃腸内のポリープにも効くというので、私もたまに飲んでいます。
それから夏休み中、海外から帰省中の方々(国際結婚をして外国在住)に海外でのホメオパシーの普及について聞いてみました。
オーストラリア:自然療法の一種として当たり前に薬局に並んで売られている。
元々医療保険がなく、どうせ病院から処方された薬も高価であり、選択はあくまで患者本人次第。
イギリス : 子育て中に皆一度はホメオパシーに罹っている。ただ、ピタっと合って治療がうまくいく場合とそうでない場合があり。西洋医学と併用している人が多い。
と、こんな感じでした。
ひょうどうともこ
《 神さまが心に・・・・》
小鳥や仔猫や仔犬など
小さく幼いものを見る時 悪いことをしようとして
野の花や青空や夕焼け雲 どうしてもできない時
それに月や星に我を忘れる時 だれかの助けになってあげた時
神様が僕の心の中に そして、苦しむ人を見て
すっと入り込むような気がする 心がちくちく痛む時
そんな時 やはり
神様がふっと心の中に入り込んだのだと思う
葉祥明さんのエッセイ詩集 『ありがとう そよ風』 より
私はどうも嫉妬深い人間だったようです。
才能のある人間が羨ましいです。
歌手や作家など自分の世界観を表現できていいなぁと憧れます。葉氏も絵も詩も素敵で憧れます。
下は彼のことばです。
上の詩の本のあとがきにありました。
「ある日ある時、詩の神様がやって来て、私を通してこの世に生まれたもの。
作品は私のものではなく、それを書かせたものたちのものなのかも知れません。
雨や風や木々や草花。彼らが私に詩を書かせ、絵を描かせる。
人間である私は、そのために存在している。
この地球は彼ら自然に生きるものたちの物で、私たち人間はそれを少し借りるだけ、
その御礼に自然を賛美し、歌う。
これが、人間と芸術の存在意義ではないかとも思うのです。」
謙虚で心が綺麗な方だからこその作品なのだとうなずけます。人に良く見せたいが為に才能を欲する気持ちでいる自分が恥ずかしくなりました。
以前読んだ小説に主人公である生徒の子供時代にその担任の教師が言ったという説「名前は一生をかけて全うするべき目票となるので、その正反対に生まれるのだ。」というものがありました。
職業柄、いろんな人間に会い、その説は正しいのではと思うことしばしばです。
たとえば、『優』という字の入ったお子さんは大抵、性格がきつい・・・。
『翔』は落ち着きが無い、『太』は体が細い。巌男とい
う本名のオカマが多い。『強』は弱い・・・など。
いい意味の字を使って素敵なお名前だと感心する
名前もあれば、あまりに高大な字を用い、いわゆる「名前負け」になってしまうと可哀相な気がします。
さて、私の名前の『知子』ですが、この名前を命名した父によると、
「知らないことを許すことは簡単なこと。
知っていてなおそれを許すことができる観音様やマリア様のような女性になってほしい。」
と、つけたそうです。
当の本人はというと昔から知性的な女性に憧れておりましたが、短気で自分の考えが一番と疑わず、思い道理にならないと癇癪を起こす子供でした。(残念ながらその悪い癖はなかなか直れずにいます。)
『許す』という気持ちになるには、自分より相手を思いやっていないとできないと思います。
今、ティック・ナット・ハンの『禅的生活のすすめ』という本を読んでいます。
“平安は一人ひとりの心のあり方から”
“不安や恐怖や怒りを哀れみに”
“相手の矢を花に代えて受け取る” という言葉に感動しています。
(最後のイメージトレーニングはお釈迦様が修行中に行ったもの)
夏休み中、この時期敗戦を経験した日本ではテレビではドラマやドキュメンタリー、また黙祷のサイレン、空襲後の写真の展示という形でいろんな所で戦争についてのものを目にします。
文化人として、二度と戦争が起こる状況にしてはならないと思います。
戦争の体験を語り継いで残していくことは大事だと思います。
非戦は、ただ戦わないという不戦ということ以上に、相手を許しているのだと思います。
哀れみ、または愛の精神があると思います。ただ政策的には、相手(他国)のいう通り何でも許せば国としてや人としても甘く見られるばかりです。
そこはこちらを尊重されるべき人格国家であることをアピールしないと、とは思いますが。(今も政権交代後、日本がどのように変わっていくのか外国でも注目していることでしょうね。)
いわゆる戦国時代、国は限らず名将と謂われる人間は、敵であったとしても惚れる人間性を備えていたように思えます。
味方、家臣であればなおさら「この人の為ならば。」と忠誠を誓うことでしょう。
昔であれば家臣は命を捧げ、戦で血を流すこともあったでしょう。
それをも厭わない心意気にはいつも時代劇を見ていて感動します。
武道の達人は敵を作らないといいますが、そういうことなのでしょうか。
余談ですが斉藤孝氏の『自然体のつくり方』の中の一節でも居合道の型の審査の際「どちらに斬られればより本望か」を基準に判断を行う方法にたどりついたとか・・・。
長男の通う小学校では毎年秋に相撲大会が設けられます。
中にはルールを守れず喧嘩腰に相手を振り飛ばそうとする児童もいるようで、練習時に精神からよく教えることが大事だと思います。
先日相撲大会前日に一年児童の帰宅引率のボランティア(スクールガード)で学校内を訪れた際、大会についての心構えとして、勝敗ばかりが大事なのではなく、ルールに則って自分の力を出し切ることが大事だと子どもたちに話していました。
それでも負けると悔しくて泣いたり負け惜しみを言ってみたり。
二回戦で惨敗した長男も作文に早くも来年への闘志をしたためていました。
7月、とても興味深い講演会に行ってきました。講師、岸田芳朗氏(にかほ市出身、現岡山大学大学院准教授)の『蝕まれた子供の心と体を元気にする健康な農と食!』(にかほ市PTA連合会の講演会)です。
内容は食や生活の欧米化による日本人の受けたダメージ、家庭で添加物から家族を守るべきであることなどでした。この方は無農薬合鴨水稲作の普及に取り組んでいる方です。食品添加物について告発本を書かれた安部司氏のことも紹介されていました。便利なレトルト食品ですが極力家族には添加物の影響を与えたくないですね。そんな気持ちで急なお弁当も手作りの物で。長女曰く「皆の所はお
弁当に冷凍食品をよく使っているのにうちは使わないなんてすごいね。」だそうです。どうせなら愛情を添加したいですものね。
岸田さんが言うには、「食」という字は「人を良くする」と書き、安全なものを食べ健康になるばかりではなく、家族との会話や団欒から精神的な充足も得るというものだそうです。講演会の資料もご覧下さい。
先日佐藤初女さんのお料理の本、『初女さんのお料理』を書店の店頭で見かけ、早速購入し棒だらの煮付けとポテトサラダを作ってみました。美味しくでき、いつものメニューに一味加わりました。イスキア名物のにんじんの白和えも作ってみたいです。中学一年の長女は結構味にうるさく、特にこの2.3年はにんじんを嫌っています。食べてくれるかどうか・・・。
以下は、岸田芳朗氏の講演会資料より抜粋したものです。
蝕まれた子供の心と体を元気にする農と食
~家庭の食卓から農と食の再生~
岡山大学大学院 岸田芳朗
皆さんが「家庭の食卓から農と食の再生をさせるために」実践してほしいこと!
1取りませんか、各家庭で食に関する免許証を
旬育旬食・自育自食・地育地食の進め
春は芽:生命の凝縮・身体の潤滑油
夏は瓜:果菜類 暑い夏の身体の掃除と冷却
秋は実:木や草の種と実 寒い冬に耐える準備
冬は根:土の中で育った野菜 身体を温め繊維を補給し、腸を掃除
2食育に食術を
作物と家畜という命を大切に丸ごといただく;食材の魅力や栄養素をあますところな
く活かしきる古くからの知恵と工夫
農産物の上手な保存・活用法
大人は先入観で味わう、子どもは舌で味わう
3食歴を豊富に
季節ごとに旬の食材を、工夫しながら食べ続けること
食卓の魅力を失わせた職歴の薄さ
四季、地域によって産み出される多様な農産物の特徴を知れば、おいしい食べ方と調理
術も身につく
4日本の食文化を代表していた発酵食品など日本型食生活の見直しと食卓への取戻しを
なぜマヨネーズなの
玄米の繊維質は白米の6倍
干し柿の魅力
豊富な野菜;抗酸化力が強く、繊維も豊か
魚 食;血液をさらさらにする油が豊富
必須脂肪酸は人間の体内で作ることができないもので、食べ物から摂取
食の欧米化で魚(青魚)を食べなくなった
(EPA;エイコサぺンタエン酸、DHA、ドコサヘキサエン酸)
(生活習慣病を予防、鬱が少ない)
5「本当の豊かさ」とは何かをもう一度考え、取り戻しませんか
モノとカネの豊かさがすべてなのか
企業のペースに振り回されている私たち
家族や愛するものとの健康で楽しい暮らし、心を豊かにする趣味、生きがいのある仕事
人生の充実感、無目的な友情、自然とのともにあるやすらぎ
喜劇王チャップリンの言葉で、「生きていくために必要なのは
”夢と勇気と少しのお金”
最近、覚醒剤所持で逮捕される芸能人が多く、ビックリです。最近テレビでその生い立ちまで報道されているSさん、ママさんタレントとしても成功し、女優としてもまだまだこれからという時で残念です。街角での一般人への聞き込みでも興味本位の軽い気持ちでできるほど手に入りやすくなっているというので恐ろしいですね。
皆自分を大切にしてほしいです。
Sさんの裁判の結果や動向を大騒ぎして追いかけたりはもういいので、この機会に覚醒剤をしていた人たちのその後の副作用、リハビリの様子などを詳しくマスコミで取り上げ、そいうことこそメディアで伝えればいいと思います。
小さいときに「自分は大事にされた。」という記憶があって、ちゃんと愛情を感じて育っていれば、万が一道を踏み外すとしても早い時点で歯止めがきくはずだと思います。
先の食事のとり方もですが、絆というものでしょうか。今の子供たちは傷つきやすい環境にいるのも事実です。
癒してくれるはずの自然が都会では減っているでしょうし、田舎でも時間に追われて自然とコンタクトをとる時間が持てなかったり、感性自体が育っていなかったり。
映画『西の魔女が死んだ』を観る機会がありました。
本のままというかそれ以上の西の魔女の姿に感激しました。
登校拒否になった少女まいは昔のままのスローライフを守り森の中の家で一人凛と生きているおばあちゃんの愛情と自然にすっぽりと包まれ、癒されていました。
また、精神力(意志力)を鍛えるという魔女修行生活の中で、おばあちゃんが信じているスピリチュアルなものへの自然な出会い、本当に素敵な映画でした。映画化ということで知ってから原作を読んだのですが、原作を裏切らない仕上がりだと思いました。
『賢治の学校』創設者鳥山さんも自然との関わりの大切さを書いています。
人間も自然の一部ですから、生きる力を自然から受け取る必要があるのではないでしょうか。
病院の待合室や郵便局で絵本の読み聞かせの紹介の冊子『親と子の童話館ぶっくくらぶ』に《テレビなど電子メディアと子ども》という連載での特集記事があります。
テレビなどからの過度の刺激は暴力シーンはもとより、そうでないものでもよくないとあります。
ましてや暴力的なシーンは例え正義のための暴力でも、やはり暴力肯定の意識を作ると危惧しています。
次はその冊子からの抜粋文,
「幼い頃からテレビなどの暴力シーンにさらされて来た子どもたちは、この世は暴力に満ちていること、人は暴力の前には無力であることを知らされていく。
そうやって、この世を暴力と哀しみの世界ととらえていく。
そのような世界観から、子どもたちはどのような人生を切り開こうとするのでしょうか。
もちろん、その感覚にも負けない人間の感受性が存在することを幸いとしす。」
今の世の中、情報が溢れすぎていて、何を自分の世界に取り入れればいいのか、よく選ばなければならなくて、それだけで疲れてしまいます。便利になって良かったこと、そうでないこと、欲を抑えるということも必要になったと思います。
私も若いときは何でもできる気がしていました。
それでかえって、何をすればいいのかわからなかったこともあったと思います。
得になうことばかり気にしたり。
ようやく今は落ち着いて考えられます。
ただ、身体のあちこちに痛みが出てきたり思い道理に行かなくなってきて、自分もお年寄りに近づいているんだと驚きを隠せません。
若いときの身体を使った遊びや運動の経験は一つの喜びです。
私もまだまだ走れることに感謝しなくては。
最近『獣の奏者エリン』に子供たちと夢中になっています。
NHKでアニメ化放送もされています。架空の獣と王国の物語です。
主人公はただ動物を愛する少女で自然の中で幸せに生きる生き物が好きで医術士となっていくのですが、王室の権力争いや戦争に巻き込まれていくのです。思うように行かない世の中で真理を求めて健気に生きていく様子に感動します。
『西の魔女が死んだ』やこの本にしろ、子供がいたから出会ったものです。
一緒に生きなおしていると感じる今日この頃です。
❀ ― ❀ ― ❀ ― ❀ ― ❀ ― ❀ ― ❀ ― ❀ ― ❀ ― ❀ ― ❀ ― ❀
ところで、ここのところホメオパシーの勉強が子供の用事でままならず、捗りませんでした。
我が家の利用状況も、子供の鼻炎に自宅で選んでレメディを与えていますがなかなか改善せず、一種類のレメディを私が選ぶのではなくレメディウムといって数種類のものが症状に合わせてブレンドされているものに代える予定です。
子供の水イボの治療では、イボ用のスーヤというレメディの服用と軟膏塗布(エッセンシャルオイルとの併用)は効果がありました。胃腸内のポリープにも効くというので、私もたまに飲んでいます。
それから夏休み中、海外から帰省中の方々(国際結婚をして外国在住)に海外でのホメオパシーの普及について聞いてみました。
オーストラリア:自然療法の一種として当たり前に薬局に並んで売られている。
元々医療保険がなく、どうせ病院から処方された薬も高価であり、選択はあくまで患者本人次第。
イギリス : 子育て中に皆一度はホメオパシーに罹っている。ただ、ピタっと合って治療がうまくいく場合とそうでない場合があり。西洋医学と併用している人が多い。
と、こんな感じでした。
ひょうどうともこ