8月14日は うぃるの命日です。
私がうぃるの命を手放した日です。
亡くした命を想う日です。
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偶然にも同じ日、母は7歳の頃に空襲に遭っています。
命を想う日だからこそ、この母の体験を、
その記録を遺しておこうと思い、記す事にいたします。
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母は秋田の土崎(菻町/がつきまち)出身です。
終戦前夜のその日(8月14日)日本各地10ケ所以上で空襲があり、
「土崎空襲」もその一つです。
日石の製油所が標的になった様で、大規模な空襲だったようですし、
アメリカ軍(B29/130機)による「最後の空襲」とも言われているようです。
※上の文字クリックいただくと「未来に残す戦争の記憶HP」へ飛びます。
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お盆という事もあり、私の母と祖母は、
疎開先から土崎の家へ戻ってきていました。
曽祖母からは「絶対に泊まらないように」との指示があった様ですが、
町の皆が戻っているからという理由で泊まる事にした夜、空襲に遭った様です。
仲の良かったお向かいの下駄屋のお姉さんとも久々に会え、
この日、母の家に一緒に泊まっていたそうです。
10時27分頃空襲が始まり翌15日の午前2時39分まで4時間余続いた様です。※
戦時中、集団での避難訓練等も行っていたそうですが、
この日は集団での避難を諦め、一度駅前の神社の空き地に集合し、
代表者にそれぞれの行き先を告げ、各自逃げたそうです。
その事を「てんでんこ※」と言っていたそうです。
※「個々それぞれに」と言う意味だそうですが、方言も入っているのでは?とのこと。
この時、泊まりに来ていた下駄屋のお姉さんをご家族に返し別れたとのこと。
祖母は7歳の母の胴に紐を括りつけ、はぐれない様にし、
徒歩で「追分」を抜け、曽祖母の家の在る「大久保」を目指したそうですが、
爆風や落石も酷く黒い雨※のようなものも降っていたといいます。
※黒い雨は攻撃を受けた原油が飛び散ったものなのでは?とのこと。
この状況下からは「追分」を越える事は難しく、
またその先の森には軍事用武器などが隠されてあり危険だという事で、
途中の林の中で身を潜めて夜明けを待ったそうです。
夜が明けだし戻る形で、土崎の家を目指した母と祖母。
(前記の通りam3時前には空襲は終わっていた様です。)
隣町の入り口の親戚の家に生存を伝え、
再び土崎の家を目指したそうです。
明るくなってきた町は様変わりしていたと言います。
稲の育った田には「原油」をドラム缶へ入れ多数隠していたそうですが、
そこも空爆を受け、また、丈の伸びた稲に身を隠した人も多かった様で、
田は血の海だったそうです。
当時、各家に防空壕を作っていたそうですが、
防空壕の入り口の向き(日本石油方面向き)によっては、
一家全滅も多く有ったとのこと。
やっとたどり着いた土崎の家は形は在ったものの爆風でズレ、
棚の上の物なのは吹き飛んでいたそうです。
爆風の威力を思い知った…出来事だったと。
空襲を知り「大久保」の曽祖母は居ても立ってもいられなかったのでしょう、
列車は停まっていた為、徒歩で「土崎」を目指して歩き、
(到着時間差的にも空襲真っ只中にその場所へ歩を進めた曽祖母の強さを感じます。)
隣町の入り口の親戚の家で母と祖母の生存を知り、腰を抜かしたと言います。
程なくして、土崎の家で曽祖母と再会できたのですが、
その時の母の両足の裏の皮は全てめくれ何も無かった…と。
幼いながら夢中で必死に遅れないように歩き、
実際に自分の足の裏を見るまで、痛みすら感じなかったと言います。
戦争の爪痕はこれだけではなく、
惨状を幼くして目の当たりにしたことで、食事が喉を通らなくなり、
小児の胃潰瘍で一時は「死」を宣告されたほど。
※写真は全て2016年5月に土崎を訪れた際のものです。
戦争は「死」が隣にある厳しいものです。
知っておかねばならないものと感じます。
少しでも多くの方の目に留まれば有り難いです。
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母は、戦争体験を幼い私に伝えようと、
数々の映画や本を選び、読み聞かされてきました。
戦争の厳しさ、悲惨さ、そして再び起こしてはならない事を。
幼過ぎて解釈が難しい内容には、解説などもしながら。
沢山読み聞かされた、その中の1冊です。
絵本ですが私が強烈に記憶している作品です。
※上の文字をクリックいただくと過去に記した本のお話紹介へ飛びます。
人目線だけではなく、猫の目線を通しての戦争は、
幼いながらも強烈なインパクトで残っています。
是非、機会がございましたら手に取って…、
そして1つのきっかけとして、
命を考える事に繋げていただけたら幸いです。
おコギ好きの貴方…
よろしければ、ぽちっと…お願いします
闘病生活、応援お願いいたします
今日はうぃるちゃんの日という事、お写真のうぃるちゃん❕凛々しくて愛らしい顔をしていますね😄写真を拝見して朝から元気が出ました✨
そして貴重なお話をありがとうございます。今の子供は戦争とを他人事に思う傾向がありますが、このような体験談を語り継いで二度と戦争を起こしてはならない事を伝えていけたらいいなと改めて思いました✨
キリッとしたお目目で、里帰りしたのでしょうか?
しょうがないわねぇ!ってせがるんのお世話してたりして(笑)
しおりちゃんにもあとよろしくねって、お願いしてたりして(笑)
ままさんの隣で座ってたりして。
想いを重ねます。
戦争は知らない世代ですが、大切な人たちと離ればなれになってしまうような時代が再び来ないようにすることが供養につながることを願います。
お母様の記憶が、辛かったことを消せないことだとは思いますが…今を幸せに穏やかに時間をしおりちゃんとともにいれることを願います。
うぃる姉さん、チラッと振り返ってあのアンニュイな瞳を見せてくださいね。
コメントありがとうございます^^
うぃるを送り出して2年目です。
なんだかあっという間に日が過ぎてしまいました。
戦争の形もきっと変わって行くのでしょうね。
ある意味コロナも戦争みたいなものだし…。
平和って慣れ過ぎてしまうとその事が当たり前で、
このままが当たり前、と思ってしまうのですよね。
当たり前の筈だった生活が、当たり前では無くなってしまう事を、
忘れてはいけないですよね!
あっという間に2年が過ぎてしまいました。
早いですよね…。
動物って(生まれ変わりがあるとしての話ですが)
2年程で魂は生まれ変わっていくと聞いたことがあります。
もしそうだとしても、何処かで、幸せで在ってくれたらなぁ…と願ってしまいます^^
戦争も、きっと形が変わって行くのでしょうね。
(ある意味、今も静かな戦争中みたいなものですものね…)
形はなんであれ、幸せに暮らせる日常が続いていくこと、維持して行くことが大切なのですよね。
コメントありがとうございます~^^