虹の向こうに

4人の子どもの父親をしています。
リバ剣、段位は三段。
なぜか少年野球の監督してます。

被災地

2013年05月05日 | ひとりごと
昨日はさんてつのイベントのあと、盛駅近くの旅館に泊まり、碁石海岸のお祭りに寄っておみやげを買って帰ることに。

そこから東北道の一関インターを目指します。

途中通ったのは陸前高田市。

津波による被害が特に大きかった地域。

目を疑う光景でした。

更地のように何もない。

ナビに載っているコンビニがない、病院がない…

建物が残っていても、サッシはないか歪んでいるか。

もちろん中は空のまま。

東京で過ごしている間は過去の震災だったのに、現地に来たらまるで昨日のことのよう。

その中で高田の松原の「奇跡の一本松」の周りにだけできる人だかり。

何だか、自分の非力を感じてしまいました。

そして、さらに進んで見つけた光景。

思わず撮ってしまった。


ここはJR大船渡線の脇ノ沢駅があるはずの場所。


面影はおろか、駅を思わせるものが何もない。


反対を見ると、辛うじてレールが残っているけれども、枕木は歪み、バラスト(敷いてある石)もかなり失われている。

僕は、三陸鉄道でできた復興がなぜ大船渡線でできないで、BRT(バス高速輸送システム)による仮復旧という措置にしたのかに、ずっと疑問を抱いていました。

でも、実際被災した路線の状況を見て真実の一端を垣間見た気がします。

三陸鉄道南リアス線は、旧国鉄盛線の建設時から、明治の大津波の教訓を活かした構造であること、第三セクター化したことで集中投資がしやすかったことが幸いして、被災後2年での部分復旧にこぎつけることができた。

JR大船渡線は、全体の構造が古く、平地も多く走っていたこともあって、津波による被害が大きく、またJRの一路線としては集中投資がされづらい環境にある。

でも、工事らしい工事が行われているとは思えず、放置とも思える状況は打破していくべきなのではないかな。

上下分離方式(運営はJR、整備や改修は地元の何か)を導入するとか、何か方策はないものか。

震災からの復興はまだこれから。

小さくても、何か力になれたらと思ってもみたり。

震災が過去だと思い始めた方は、観光でもいいからぜひ被災地を見てみるといいと思います。


いつか、ここに鉄路が並ぶことを夢見て。