当方見聞記

旅と舞台・ライブ話を気ままに書いてます

久能山東照宮

2010年12月07日 | 日記
国宝認定記念~

久能山東照宮に行ってきました
静岡のアイドルって言えばもちろん家康様ですから

なんとなく1~2年に1度は義務のように来てます(笑)
3将軍なら家康様ですからね、やっぱ。信長様も好きですが
秀吉はどうしても苦手…ってより嫌いなのです配下や嫁は好きなんだけどなぁ

今回は楽して日本平からロープウェイで苺狩りの時期でもないしね

良い天気で景色も最高
ちなみに右端に見えるのが、御駕籠仕様の日本平ロープウェイです

を描きましたが、お墓はこんな上なんです。
久能山は、その昔は久能城と言う、武田信玄の城があった場所です。そんなわけでこんなに険しい場所
しかも、久能山自体もですが、それを取り囲む山も険しいんです
推古天皇時代には久能寺が建てられたんですが、信玄が別の場所にお寺を移して城にしたんです。ま、それくらい、要塞に向いていた場所。
家康もそれを理解していたのか、「久能城は駿府城の本丸」と言っていたそうで。
…それにしても。家康の…徹底的に負けた信玄への尊敬なのかなぁ?武田氏絡みのものに対してやたら重宝度合が高い気がするんですよね


ここをあがると社殿になります。
ロープウェイで行くとここから行けます。
下の階段からくると…すでにバテバテになってます(笑)

  
この楼門の『東照大権現』の額は後水尾天皇のもの。なわけで勅額御門とも言われています。


門をくぐったところに、家康の手形のパウチ色紙が置いてあります。欲しい人は売店にも売ってます
手相の島田くんが行っている通り、本当に一直線な手相
肉厚も感じるし、本当にご立派な手だわ


そしてこれが国宝になりました権現造の御社殿。
社殿は塗り直ししてまだ3~4年だから、色は華やか

 
金も葵の御紋もまさに使いたい放題(笑)
上に行くほど、金の純金度があがっていきます。升目のとこわかります?あれは本当に純金張りです


ここでお参りします。

 
1枚目はお参りのところの柱の彫刻。中側の柱には、菊を利用。これは天皇家を大切にしていますよっていうアピールらしい。
獅子は、純金の獅子の上から彩色してある豪華ものこれはこの拝殿の獅子全部がそうです。
2枚目は拝殿の内部です。


これは唐門。拝殿側からの写真

透かし彫りが凄いんです。これ以外も、門全体の彫刻が透かし彫り。すごすぎる
 
葵の紋を青い色にしてあるのは、鯉の通り道を作っている為。
唐門の外側(覗くと脇にあるので見えます)には2枚目写真の鯉の彫刻が両側されていて、その鯉の通路として、『水』の色にわざわざしてあります。
なんで鯉をそんな重視って、鯉は龍になるからなんですよ
『ここでお参り』で載せた写真の真ん中あたりの装飾は龍なんです。これはこの鯉が昇ってきて龍になったっていう流れなんですね~。


石の間の絵。塗り直しの前は本当に貧相な状態になっていましたが、今はすっかり華やか
反対側の獅子のが有名なんだけど、今、テント立ってて通れる場所じゃないんだよね…


そしてこの石燈籠の参道を通ると家康の廟があります

 
これが神廟
家康の遺言により、この地に埋葬されました。
この廟は西を向いて立っています。だから参道を右に曲がらないと廟がないんです。
ちなみに遺体も、立ったまま、西…三河を向いて埋葬されたそうです。
生まれ故郷をいつでも眺めていられるようにとの配慮とか…御霊に江戸を守ってもらうってのもあるのかも?
ま、その後、日光に移されているんですけどね。ただ、当時の事情を踏まえると、一部しか移されていないと思うので、ここにもまだ家康様は眠っていらっしゃると思います。
この廟の後ろには、愛馬の墓も。強制殉葬とでも言った方がいいのかな…。古墳時代からの習わしですかね、あの世でもお供させる為の

この廟までの階段。実は下から登ると1159段あります。
そんなわけで、ロープウェイなんてなかった時代、お参りは下の階段からだったので「いちいちご苦労さん」と言って登ったんだって
まぁ江戸時代には、唐門をくぐることが許されたのは大名だけで、その下に家臣たち武士、一般人はもっと下までしか入れなかったんですけどね

お参りを終えて、外側。

これは久能城のなごり。勘助が作ったと言われる勘助井戸です。
現在は蓋も閉められているので、中の様子はわかりませんが、なぜか錆びて壊れていると思われる百円を入れる箱が載ってます。
資料でもくれたのかな?昔は。

これが駿河湾一望の久能山の景色。

いや~本当にいい天気で綺麗だ