当方見聞記

旅と舞台・ライブ話を気ままに書いてます

放光寺と善光寺

2010年12月08日 | 日記
山梨の話に戻りまして…
恵林寺行ったついでに、お隣の放光寺にも寄ってきました。

放光寺は信玄が戦勝祈願をしたお寺の1つになります。
ここも織田軍の焼き討ちの被害にあったお寺ですが、これまた家康の庇護で復興しています。


この門、なぜか真ん中の額に梵字が…


駐車場はこの門をくぐって、お寺の横にあったので、そのまま中へ
本当に通っていいのか、ちょっとドキドキしてしまいました


本堂は拝観料が必要です
入ると、お寺の方が入口の辺りで簡単な説明をしてくれます。あとは自由。

奥に入っていくと、本堂を超えてお隣の御堂へ
ここには縁結びの神様、愛染明王さまの愛染堂。

手前の赤いヒモ、何本かあるんですが、これが明王さまと繋がっています。
5円玉がついた御守りが売っていて、それをこのヒモにくくりつけてお参りするので、どのヒモもすでに御守りでわさわさになっています

その奥に宝物館があります。
ここには重要文化財の大日如来・不動明王・愛染明王の3仏像が展示されています。
なかなかしっかりした柵があって、ちょっぴり見ずらい…

そこから回ると、観音堂に。
この中には、甲斐源氏として名が知れている安田義定の像。…の大パネルが(笑)

パネル見る限りでは、すごい彩色の像です。
現物見てみたいなぁ~


んでその安田義定のお墓。

安田義定は、富士川の戦いで名をあげた武田信義と甲斐源氏として一緒に戦った武将です。
その後は木曽義仲の追討から義経の軍勢に加わっていき、扱いとしても源氏軍の中ではかなりな地位となります。
が、平氏滅亡の後、頼朝は甲斐源氏の排斥をすすめ、義定も徐々に力を削がれ、最終的には謀反の疑いで梟首されてしまいました。


これはお庭。池の水がね~もう全然なくて
あればもっと綺麗だったんだろうな

拝観が終わると、お寺の方が休憩室で煎茶を用意してくれてあります
抹茶セットとかにしなかったのに、ありがたい心配り
ちなみにこのお寺。精進料理もいただけます。信玄宝物館の館長さんにも勧められたんで、今度機会があればいただいてみたいなぁ


その後は、まだ時間も間に合いそうだったので、甲斐善光寺に行ってきました。

宝物館は残念ながらもう閉館してしまっていたので本堂だけ
いや~時間的に仕方ないけど…人少ない
泣き龍も、貸切のような状況だったので、ガッツリ音満喫できました
しかし御体内巡りが…もちろんやったんですけどね…真の闇に人の気配もろくにない中で一人で回るって、なかなか肝試しな気分でしたよ
もちろん『ヤバい』空気はありませんでしたが(そういう勘はあるので)、やっぱ…ねぇ?
ありがたさは凄くあったし、秘仏様とのつながり感じるには満点の状況でしたけど、さすがに広いところじゃなくて良かったって思いましたね

宝物館もちゃんと見たいし(実は行ったことがない)また来なきゃだなぁ~
次はやっぱ桜かな。青春切符の魅力で遠出してなければ甲府に行こうっと(笑)

久能山東照宮

2010年12月07日 | 日記
国宝認定記念~

久能山東照宮に行ってきました
静岡のアイドルって言えばもちろん家康様ですから

なんとなく1~2年に1度は義務のように来てます(笑)
3将軍なら家康様ですからね、やっぱ。信長様も好きですが
秀吉はどうしても苦手…ってより嫌いなのです配下や嫁は好きなんだけどなぁ

今回は楽して日本平からロープウェイで苺狩りの時期でもないしね

良い天気で景色も最高
ちなみに右端に見えるのが、御駕籠仕様の日本平ロープウェイです

を描きましたが、お墓はこんな上なんです。
久能山は、その昔は久能城と言う、武田信玄の城があった場所です。そんなわけでこんなに険しい場所
しかも、久能山自体もですが、それを取り囲む山も険しいんです
推古天皇時代には久能寺が建てられたんですが、信玄が別の場所にお寺を移して城にしたんです。ま、それくらい、要塞に向いていた場所。
家康もそれを理解していたのか、「久能城は駿府城の本丸」と言っていたそうで。
…それにしても。家康の…徹底的に負けた信玄への尊敬なのかなぁ?武田氏絡みのものに対してやたら重宝度合が高い気がするんですよね


ここをあがると社殿になります。
ロープウェイで行くとここから行けます。
下の階段からくると…すでにバテバテになってます(笑)

  
この楼門の『東照大権現』の額は後水尾天皇のもの。なわけで勅額御門とも言われています。


門をくぐったところに、家康の手形のパウチ色紙が置いてあります。欲しい人は売店にも売ってます
手相の島田くんが行っている通り、本当に一直線な手相
肉厚も感じるし、本当にご立派な手だわ


そしてこれが国宝になりました権現造の御社殿。
社殿は塗り直ししてまだ3~4年だから、色は華やか

 
金も葵の御紋もまさに使いたい放題(笑)
上に行くほど、金の純金度があがっていきます。升目のとこわかります?あれは本当に純金張りです


ここでお参りします。

 
1枚目はお参りのところの柱の彫刻。中側の柱には、菊を利用。これは天皇家を大切にしていますよっていうアピールらしい。
獅子は、純金の獅子の上から彩色してある豪華ものこれはこの拝殿の獅子全部がそうです。
2枚目は拝殿の内部です。


これは唐門。拝殿側からの写真

透かし彫りが凄いんです。これ以外も、門全体の彫刻が透かし彫り。すごすぎる
 
葵の紋を青い色にしてあるのは、鯉の通り道を作っている為。
唐門の外側(覗くと脇にあるので見えます)には2枚目写真の鯉の彫刻が両側されていて、その鯉の通路として、『水』の色にわざわざしてあります。
なんで鯉をそんな重視って、鯉は龍になるからなんですよ
『ここでお参り』で載せた写真の真ん中あたりの装飾は龍なんです。これはこの鯉が昇ってきて龍になったっていう流れなんですね~。


石の間の絵。塗り直しの前は本当に貧相な状態になっていましたが、今はすっかり華やか
反対側の獅子のが有名なんだけど、今、テント立ってて通れる場所じゃないんだよね…


そしてこの石燈籠の参道を通ると家康の廟があります

 
これが神廟
家康の遺言により、この地に埋葬されました。
この廟は西を向いて立っています。だから参道を右に曲がらないと廟がないんです。
ちなみに遺体も、立ったまま、西…三河を向いて埋葬されたそうです。
生まれ故郷をいつでも眺めていられるようにとの配慮とか…御霊に江戸を守ってもらうってのもあるのかも?
ま、その後、日光に移されているんですけどね。ただ、当時の事情を踏まえると、一部しか移されていないと思うので、ここにもまだ家康様は眠っていらっしゃると思います。
この廟の後ろには、愛馬の墓も。強制殉葬とでも言った方がいいのかな…。古墳時代からの習わしですかね、あの世でもお供させる為の

この廟までの階段。実は下から登ると1159段あります。
そんなわけで、ロープウェイなんてなかった時代、お参りは下の階段からだったので「いちいちご苦労さん」と言って登ったんだって
まぁ江戸時代には、唐門をくぐることが許されたのは大名だけで、その下に家臣たち武士、一般人はもっと下までしか入れなかったんですけどね

お参りを終えて、外側。

これは久能城のなごり。勘助が作ったと言われる勘助井戸です。
現在は蓋も閉められているので、中の様子はわかりませんが、なぜか錆びて壊れていると思われる百円を入れる箱が載ってます。
資料でもくれたのかな?昔は。

これが駿河湾一望の久能山の景色。

いや~本当にいい天気で綺麗だ

また行ってしまった(笑)

2010年12月05日 | 日記
静岡のアイドル将軍様のお墓参りついでに、ついまた寄ってしまいました


ガンダム(笑)


だってライトアップにちょうどハマったんだよ~


足元にも行ってきました

股下ショットもなんだか迫力
触ったらやっぱり鉄板でした(笑)


バックショットも光出すとまたかっこよさが増します~

そして

ショータイム~
光輝くガンダムがぁ~

顔の向きだって変わります
ラストには水蒸気が

霧すごっなんだかすごっ

いや~楽しかった
やっぱりガンダムは最高だわ

信玄公宝物館

2010年12月05日 | 日記
恵林寺にある宝物館にももちろん寄ってきました

ここには信玄はもとより、大河ドラマのおかげか、山本勘助含め家臣団の資料も豊富

山本勘助は甲陽軍艦で作られた伝説キャラという話もありますが、1969年の大河ドラマに触発されて発見された書状から、実際にいたという説に変わっています。
ま、甲陽軍鑑みたいな人物だったかは不明みたいですけどね。
とりあえず『山本菅助』なる人物がいたのは事実で、その人のことじゃなかろうかと。
2008年にもまた新たに『菅助』の文書が発見されています。
ただ、発見された書状などの年代があまりにバラついているので、菅助と言う名は、代々受け継がれた名前?との見方もあるようです。

信玄の時代などの資料だけではなく、こういった資料の展示もあるんですよ。
新聞の記事は見たことなかったので、結構夢中に見てしまった
資料を年表にもまとめてあってわかりやすかったですね~

館長さんかな?が、説明もしてくれたりして、こういった資料も楽しく見ることができました

展示としては、他には、近頃有名な勘助の肖像画も飾ってあったり(これは24将全員あります)、当然のごとく信玄の書状や扇、逍遙軒(信玄の弟)の造った鎧不動尊象や、柳沢吉保の資料など、ハマればなかなか見応えのある資料が満載です
鎧不動とは信玄をモチーフにしてると言われる、鎧を纏った不動明王の像です。
逍遙軒は絵や彫刻など、芸術面で凄く才能のあった人なんですよ~
それをさらに真似た?恵林寺近くの御堂にあったと言う、勘助不動尊なるものの展示もありました。ちゃんと目が片方おかしくなってるの。わかってから見ると「おお」思えて面白いですよ
山門で燃え死んだ快川国師のものもあります。
武田の旗印、『疾如風徐如林侵掠如火不動如山』(風林火山)は快川国師の字らしく、武田神社の旗が有名ですが、ここにも同じものが展示されています

ちなみに。

この快川国師。なんと土岐氏
光秀と同じ、土岐氏の方なんですね~またもこんなところに接点が

この宝物館ですっかり長いしてしまいましたよ

とりあえず出てきてから、記念に信玄公の像をパシャリ

恵林寺向かいにある信玄館の前にあります。
さすが信玄様。ご立派な出立
観光バス用の写真撮影場所なのかな?ま、たしかに撮りたくなるよね

恵林寺

2010年12月03日 | 日記
山梨の恵林寺へ、最後の紅葉見がてら信玄のお墓詣りに行ってきました

 
入口にはしっかり信玄の廟の碑が
黒門の横にはあんぽ柿のお店があって、すだれのように豪快な量の柿が屋上に乾されていて、目奪われてしまいました

恵林寺は夢窓国師によって開かれ、武田信玄が菩提寺に定めたお寺です。
武田氏滅亡後、六角義治を匿ったからと織田軍に焼き討ちにされたのですが、その際に信玄の葬儀を行った僧である快川紹喜が燃える山門の上で叫んだとされる言葉が、有名なあの言葉

『心頭滅却すれば火もまた涼し』

正確には「安禅不必須山水滅却心頭火自涼」。
禅の精神です。おおざっぱに言えば、雑念持たなきゃどんな場所でも修行はできる。心の持ち方ひとつで苦難はしのげるんだよって意味。

ちなみに焼き討ちされた門などは、信長の死後、家康によって再建されて今に至ります。


四脚門、赤門と言われています。家康が再建した門です。


これが三門。楼閣があるちょっと独特さがある桃山建築の門になります。


三門の先にある開山堂。

屋根の軒下の彫刻が見事でした
風神・雷神ですよ何気に上見上げて細かさにびっくり


これが本堂。この中は拝観料が必要となります

うぐいす張りの廊下を通り、明王殿に入ると武田不動尊があります。

さすがに携帯だと暗くて撮れなかったのでデジカメの写真でアップ
この像は、信玄が大僧正になった記念に自分をモチーフに不動明王像を造らせ、しかも自身の頭髪を焼いて塗らせたと言われていて、なかなかお顔も立派でした

本堂の裏手に回ると、信玄公の墓所があります。


その後ろには家臣団の供養塔があります。

この1塔だけじゃなく一面にあるんですが、配置図とかなかったんで、お参り行った時は全部とは思わなかったんですよねぇ

そしてその横には柳沢吉保夫婦の墓所が。

綱吉の側近の柳沢の墓がなぜここにあるかと言いますと、柳沢は武田家臣団の子孫なんですね~ちゃんと信玄の100回忌法要の際の参加名簿にも記帳されています。
甲府藩の藩主にもなっていて、地元では、称えられている人なんですね~
一般的に悪人イメージがある吉保ですが、『出来る人』だったのは事実なので、あまりの急激な出世ぶりに、周囲の嫉妬からそういうイメージをつけられたという感じがあります。
赤穂浪士のイメージもあるんでしょうね。人気の話なんで、赤穂の義を善にするには、吉良さんは悪だ。そして事件を防げなかった綱吉と吉保も悪だ…みたいなノリが定着したんじゃないかなって気がします

 
これは夢窓国師の庭。天龍寺とか西芳寺の庭を作る前にこの庭を作っています。
上段は枯山水、下段は心字池となっていて、なんというか…色々なしかけがある庭でしたね。
紅葉は終わりかけでしたが、池に映りこんでいるもみじが綺麗でしたよ

日吉大社

2010年12月02日 | 日記
時間もまだあったあったので、滋賀院門跡の後に日吉大社に行ってきました

ライトアップ行ったので、比較も兼ねて…ね


まずは東本宮から入りました。
こちらはライトアップで行かなかった方
東本宮は大山咋神、別名:山末之大主神を祀っていて、この神が比叡山の守護神であり王であると言うことから『山王さん』と呼ばれています。
大山咋神は、大山に杭を打つ大きな山を所有する神。
日吉大社は全国の日枝神社の総本宮になり、大山咋神は小比叡とも呼ばれます。


神輿収蔵庫や白山・宇佐宮を通り、西本宮へ。


ちなみに東・西、ともに本宮は国宝です。

造りは基本一緒。日吉造と呼ばれる屋根の造りをしていて、建物の裏側から見ると特徴が出ています。…がこれは正面

ちなみに日吉大社は、信長の比叡山焼き討ちで焼失しているのですが、のちに秀吉の力によって復興しています。
秀吉はあだ名が有名な通り、「猿」な上に、幼少時代「日吉丸」と言われていたので、日吉大社を特別と扱ったんだそうです。
たしかにビンゴな神社だ…
日吉大社は、猿を「神猿」として祀っているため、各所に猿に絡んだものがあるんですよ生のお猿さんだっています

話それちゃいましたが、西本宮は大己貴神(大国主神)を祀ってあります。
元が大神神社の神の大物主神を鎮座させていて、日本神話により、大物主→大国主であるとされています。
東本宮の小比叡に対し、西本宮が大比叡なのは、神様の位の問題。大山咋神よりも大己貴神の方が上位なので、西本宮が大宮なんですね~

そしてこれがライトアップとの比較

やっぱりイメージ違うもんだ

入口も撮ってみたけど…ライトアップのが紅葉度合upに見えるもんだなぁ