当方見聞記

旅と舞台・ライブ話を気ままに書いてます

大崎八幡宮

2011年01月14日 | 日記
仙台城の後は大崎八幡宮に行ってきました

…つうか、あと、るーぷるのコースでそこしか観光できるところなかったんだけどね


大崎八幡宮は、政宗が仙台藩を開くにあたって岩出山城から移した神社です。
伊達家の崇敬社として、明治維新まで、すべての費用が藩費でまかなわれていました。

鳥居の額は伊達家の家紋で縁取られています


大石段を上がって…
 
脇に伊達家らしく三日月が入った燈籠までさりげにある(笑)
さらに上がって行くと…



長床到着。
いつ作られたかはっきりはしていませんが、この奥にある御社殿とほぼ同時期と思われていて、重要文化財になっています。



御社殿の拝殿の部分です。
お正月用に、拝殿の前にはネットが張られていたので(お賽銭投げられて傷つくのを防止する為かと)、脇から撮ったので後ろの石の間や本殿は全然わからない写真になっちゃってます、すいません
御社殿は、政宗が豊臣家のおかかえの工匠や絵師などを呼んで造営したもので、社殿としては桃山時代の国内唯一の建築遺物として国宝に指定されています。

拝殿の横には日時計が置かれています。

石に日陰棒をさし、その影の傾きにより時間がわかるというもの。長崎出島のものを真似て作られたんだとか。


御守り売り場の奥の方には神輿があります。
毎年9/15の例大祭で担がれているもので、六角計の鳳輦形をしていて、江戸時代中期に作られたものだそうです。


青葉城

2011年01月13日 | 日記
瑞鳳寺行ったら、次はもちろん伊達様の居城仙台、青葉城に行かなきゃですよね~

坂道をあがり、大手門・石垣を越えたら詰門跡の護国神社の鳥居が。

ここでるーぷる下車。

越えてきた石垣達に未練を残しながらもまずは中へ。

まずあるのは仙台城見聞館。
ここではボランティアガイドの方が定期的に解説もやってくれています。

発掘調査によってわかった石垣の構造の解説や、仙台・政宗の歴史の概要ビデオなど、青葉城がどんなものだったのかを簡潔に説明してくれる場所です。
石垣の説明に関しては、わりとしっかりしていますね~
ビデオでも、石工職人の方の作業の説明とかあるし。
以前も見たことあるはずなのの、結局また最前列でガッツリ見てしまった(笑)


見聞館出たところからちょっと行ったところは、現在の仙台城の中で唯一、城下と石垣が写せるポイントです
道を走るで、石垣の高さわかりますよね

そして仙台城のメインと言えば…



まぁこれでしょう(笑)

政宗様の銅像

 
せっかくなので、寄ってみたり、バックショット撮ってみたりしときました。
後姿、町見下ろしてますよね~今でも仙台の町を見ているんだぜぃという演出なんだろうな、あの位置は

その後は青葉城資料展示館へ。
 
書状などの貴重な資料から、鎧やジオラマまで、意外とハマる展示がされています。

しかしここの売りはそれよりもバーチャル仙台そしてCG映像「仙䑓城~だって本丸だもん」

いや~なかなかふざけたタイトルですが、出来は見事ですよ
CGのすずめキャラはちょっぴりどうかと思うけど、あの再現は素晴らしいと思いますね~
せっかく廃城令の新政府の売り飛ばし大作戦の魔の手を逃れて残っていたのに、第二次大戦ですべて失いましたからね…
再現見ると、本物見たかったよなぁ…としみじみ思います。
清水寺のような懸造の本丸とか、本物の姿、見てみたかったよ
ちなみに現在の政宗公の銅像の右前あたりくらいに本丸はあったそうです。
そこ、下見ると軽~く?切り立った崖みたいになっているので、興味があれば覗いてみてください

資料館を出たら、いざ、博物館前停目指して(博物館はすでに休館)、城郭見物散歩へ



詰門横の石垣。見聞館の辺りから見える石垣です
経年劣化で形が崩れてきた石垣を、平成9年から修復して、現在のような綺麗な形になりました。
切込接と呼ばれる隙間のない綺麗な積み方が特徴。隅石は江戸切の技法になっています。
発掘調査で、政宗時代に造られた石垣が下に発見されましたが、その頃はもっと荒い目で石を積んでいたので、わりとすぐに地震で崩壊してしまったので、現在の積み方で修復したようです。

山を降りると、最後に復元された大手門脇櫓が見えてきます。
からこれが見えたから、帰りは歩くと心に誓っていたのよね~

まぁ別に中を見学できるわけではありませんが、仙台城で唯一復元された建物になります

道路挟んで向かいには大手門の跡。
 
この石垣は、修復とかされていない、当時のままの姿なんです。

少し下側から撮った写真。

櫓横からだと高さないように見えますが、見る位置変えれば、結構な高さがわかります。

ちなみにこの大手門跡のところには政宗公以外の有名人が。

支倉常長。
政宗が貿易とか考えてローマに送った慶長遣欧使節のトップです。
ま、行ってる間に日本が禁教令でキリシタン弾圧始まっちゃったから、せっかくローマで頑張ってきたのに、その成果を繋ぐこともできず、ただ大変な目にあっただけになってしまったという、ある意味悲劇な凄い人…


博物館前のバス停の脇には、木に埋もれて、石碑があります。

片倉小十郎邸跡の碑。
せっかく作ってあるのに、あれじゃ気づかない人も多いんじゃないでしょうかねぇ

柴田さんおめでと~!!

2011年01月12日 | 日記
アンタッチャブル柴田さん、本日より復活

まぁまさかのバラエティ-?なスポーツ番組でしたが(笑)

でも見た目も感じも変わらず、嬉しかった
とりあえず元気になられたならいいです。

やっぱりザキヤマさんしっかり回せるのは柴田さんだけですから
ある意味“猛”?“珍”?獣使い(笑)

勝手にM-1祭で2004のアンタッチャブルの漫才見て、やっぱり死ぬほど笑いました
2001-2006のBEST版は飽きないわ~しかもその中でも一番好きだわ

ザキさんがまだかっこつけてた時から好きだったけど、柴田さんのツッコミが段違いでうまくなった思ってたら(オンエアバトルかな?久し振り思ったら成長にびっくり。あん時の衝撃は凄かった)いきなりM-1 2003で敗者復活・2004優勝になったからね。

ツッコミの仕方ってよりネタがパワーアップしたんですよ。
ひとひねりあるの。例えとかがさ
あれはボケ担当をやりたかった人ならではなのかな…ツッコミなのにボケ的ネタもあるんだよ。柴田さんは特に
天然じゃなく、計算のボケが隠れているツッコミなの。

ちなみに。キャラは好きじゃないけど、南キャンの山ちゃんもやっぱりツッコミうまいと思います。
もちろん爆問の田中さんもね。若林くんも流れ作りがうまいな思う。
あと…察し能力で井上さん。河本さん筆頭に、実はボケのやってることへの理解度がすごい(笑)

ツッコミうまいなぁ~感心する人って、結局ネタも作れる、中身にひねりができる人なんだよね…

アンタッチャブルの漫才が見たいよぉぅ。
柴田さん、本当に復活したなら、できることならぜひまた漫才やっていただきたいですわ

政宗さまのお墓詣り

2011年01月11日 | 日記
仙台仙台仙台~(≧▽≦)

年末は開いてるところが限られるので、半分くらいしか役にたちませんが、格安便利な観光客の味方るーぷるバスに乗って、いざ瑞鳳殿へ

バス停から坂を上がっていくと、左手に、まずは瑞鳳寺の門と本堂があります。

額には『正宗山』の文字が

中には本堂、鐘桜・梵鐘、高尾門などがあります。
  
梵鐘は2代忠宗寄進、高尾門は3代綱宗の側室の椙原お品邸にあった門です。
高尾門は、側室邸にあったものなので、伊達の女性用家紋になる“雪に薄”が記されています。

そして瑞宝殿へ向けてレッツゴー

こういう場所は早くに来ると神秘さが増します

 
瑞鳳殿の前の涅槃門。
菊の御紋がありますが、皇室に功労があったとして秀吉に下賜されたものを、さらに政宗拝領して伊達家の紋のひとつとして使われていたようです。

瑞鳳殿。

言わずと知れた、政宗公の廟になります。
太平洋戦争の際に焼失してしまったので、現在のものは復元の建物。
でも、瑞鳳殿は元は国宝でしたので、資料数多くあったので、復元はかなり元の状況を再現できていると思われます。
白黒ですが、写真などもあるんでね

本当に彫刻が見事です
個人的な勝手な見解。桃山ならではの黒に金です、これまた。

廟の両脇には、政宗が亡くなった時に、一緒に殉死したとされる(当時はよくあることだったんですが、後に殉死は禁止されてます)家臣の石塔(本来は墓地なんですが、子孫によって遺骨が移されいます)が建てられています。

廟の前の大線香鉢。
伊達家の様々な家紋が施されていてちょっと可愛い(笑)

この廟の下からは、保存状態が異常にいい、政宗公の骨が確認されています。
復元にあたり、棺が発掘・調査され、中が確認されたんですね~
石灰が棺桶内に詰められていた為、無駄な腐敗?崩壊?もなく、良好な状態で遺骨が確認されたんです。
これに関する資料が、廟の横にある資料館に展示されています。
とりあえずこの遺骨からわかった事。政宗様はB型で159.4cmだったらしい
遺骨は調査後再び埋葬され、廟が復元されたので、今後再び掘り返して調査されることはないと思われます。

 
瑞鳳殿から移動して、2代・3代の廟へ。
ちなみにそれ以降は、時代の変化もあり、お墓の形は、廟を建てるのではなく石塔のお墓になります。

 
感仙殿。2代忠宗の廟。天女が舞ってます。

 
善応殿。3代綱宗の廟。天女の部分が鳳凰になっています。


感仙殿の横には、以降の藩主のお墓があります。
大年寺山が、綱宗以降の伊達家菩提寺ですが、こちらにもいくつかありますので、拝観された際にはお詣りしてくださいませ

二本松城

2011年01月10日 | 日記
白河から移動して二本松へ…

…あれ?残り雪がどんどん増えてきた

郡山あたりからなかなかな残りっぷり。
クリスマス寒波、本当に大変だったんですね

二本松につき、駅から歩くこと20分…くらい?
駅から見える住宅街となった山を超えると、見えてきました二本松城


やばいやばいやばい
城に雪っ
それだけでもテンションなのに松そしてだだっ広さ感じる石垣
うっひょおうぅぅぅぅp(≧▽≦)q

二本松城は、丹羽氏の居城だった城で、白河小峰と同じく、戊辰戦争の激戦地として有名なお城。
戊辰戦争では、白河口に藩兵が出向いているところを攻められ、二本松少年隊(17歳以下の緊急時で組まれた少年兵部隊で、特別の部隊名は本来ありません)が迎撃するも、僅か1日で落城となった、戊辰戦争の悲劇のひとつとして知られる話の残るお城です。

ちなみに丹羽氏の前には、室町時代は畠山氏が治めていたのを、伊達氏が攻撃。
政宗が人質となった父親の輝宗を敵もろとも射殺した粟之巣の変事はこの畠山氏との騒動。
畠山氏滅亡後は、しばらく伊達氏が支配してましたが(片倉や成実も数か月ですが城主だったことあります)、奥州仕置後は蒲生→上杉→蒲生と支配が変わっていき、蒲生氏が伊予松山に転封された後は、賤ヶ岳七本槍の一人の加藤嘉明の支配下となります。
が、息子の代で加藤家が改易となった為、白河小峰から丹羽氏が入城となり、そのまま幕末まで続きます。

戊辰戦争でほぼ焼失、廃城令で完璧に取り壊されましたが、箕輪門と附櫓が復元、続いて石垣などが整備されてます。

 
めっさカッコいいんですけど
この銅像は二本松少年隊です。


内側からもパシャリ
日のさし方が素敵だ

相生の滝。

箕輪門を上がっていくとある広場の脇にあって、場内・城下の用水として安達太良山から引かれた清水で出来ています。


るり池。
見事に氷が張ってる~

 
るり池を望むように立つ茶室の洗心亭と、傘松。
雪深さ全開です笠松、雪が積もって見事でした


天守台へ登っていく途中にある、智恵子抄の碑。
「樹下の二人」の冒頭の句、『あれが阿多多羅山、あのひかるのが阿武隈川』が刻まれています。


二本松少年隊の顕彰碑。ここは砲術稽古場跡になります。


搦手門跡。
この横の階段を上っていくと、本丸跡になります。

 
本丸石垣
これだけだと伝わりづらいですが、本当に大きいです。
復元とは言え、これは見事ですよ

 
本丸の上からの景色。と、天守台からの東櫓台の眺め。


本丸のすぐ下には、蒲生時代の石垣の復元がされています。
蒲生の石垣と言えば穴太積みやっぱり独特なので違いがすぐにわかりますよ


そのさらに下にある日影の井戸。
『日本の三井』と称されているうちの一つなんだそうです。

いや~それにしてもテンションがあがる城でした
雪の力って偉大だわテンションの上がり方、確実に5割増しだよ(笑)
歴史博物館もなかなか面白かったし(これは駅近くにあります)、がっつり楽しまさせてもらいました

緑の時期も綺麗そうだな~このお城

白河小峰城

2011年01月07日 | 日記
年末に、去年のリベンジで白河小峰城に行ってきました。

去年の…て、名城百選なのに、すでに閉まっていてスタンプ貰えなかったんだよ…
ま、それなら年末に行くなって話なんですが、だって時期が行動するのにちょうどいいんだも~ん

駅の目の前にあるこのお城。公園入口の藤門跡でまずはパシャリ

クリスマス寒波の後だったので、逆に驚くほどの晴天
雲がないのはもちろんのこと、静岡でもなかなかない青さの空ですよ

 
このお城、本当に広い。
前の広場がしっかり取られているからか、石垣の横にのびる広さがしみじみと感じられます。ホント綺麗で立派な城だぁ

ちなみに。
戊辰戦争で有名と言うのもありますが、総石垣造りは東北では珍しいんです
なわけで、実は、名城百選だけでなく、盛岡城・若松城とともに東北三名城にもあげられています

 
前御門をはさんでの景色。
この角度は、どちらも櫓と門がバランスよく綺麗に見えて好き


復元された三重櫓。実質、当時も天守として扱われた櫓です。
今回は開いていたよスタンプゲットだよ

中はなんと無料。親切すぎるよ、白河市

1階の中。小さい城なので、ごたごたした装飾や展示はありません。
実はこの城の復元は、数少ない木造復元のさきがけとなった復元だったんです。
建築基準法などの面から、鉄筋じゃないと色々うるさいらしいんですよ
で、人が立ち入るのを想定しない復元だったのに、後になってから見学可にしたから、実はなかなかゴタゴタにもなったらしい…
ま、おかげで中見れてありがたいんですけどね
やっぱり元の状態を復元してくれているのは、城好きにはたまらない魅力ですし
でも、他と違い、階上の内部見学は人数制限5人の縛りがありますこれは事情が事情なので仕方ない


復元の際に稲荷山の杉を使ったところ、戊辰戦争の鉄砲の弾跡が多数出てきたとか…
使った杉にそういう跡があるってのは、激戦地だったことを物語る、貴重な資料としての価値もありますよね



2階にある石落し。
石落し用の小部屋みたいになった造りで、一段さがった造りをしています。

さらに階段を上がると最上階の3階になります。
  
平山城なので、まぁそんなに上からの景色ではないですが、山々に囲まれた地なので、景色は綺麗です
それと、本来は櫓としての造りなので、窓は大きくないです。隙間から外眺める感じ

三重櫓の前には、『おとめ桜』があります。

石垣が崩れるのを防ぐ為に、藩士の娘である「おとめ」が人柱とされ、その悲運を哀れんで植えられた桜だそうです。


石垣を眺めながら外をぐるっと回ってみたり。
楼門跡あたりは、石垣が凸凹と凝った造りをしていて見た目にも面白さがありましたね

高台寺

2011年01月07日 | 日記
久しぶりの更新です。
そしてせっかく入力したのが、さきほどバグって消えて、すっかりやる気もなくなったり…
ホント勘弁してほしい

そんなわけで、さくっと紹介。細かい説明また書くの面倒…

一足先にはじまった、高台寺の特別公開。
今回は秀吉の履物や、掌美術館で霊屋の大随求菩薩像など、また新しい品が公開となっています。

高台寺の場合、まず寺宝の見学から。
書院の中に、秀吉の履物ありました。
赤地に金。アジア雑貨屋に売っていそうな、派手なスリッパ(笑)
いや~『いかにも』な感じでしたよ。陣羽織い言い、派手好きな秀吉くささがめっさ感じられます

庭はまず基本の流れで方丈の前庭へ。

勅使門の奥に見えるのは霊山観音。
夏の百鬼夜行のライトアップはここでやってます

 
開山堂。
ねねんさんの持仏堂だったところで、中興開山の三江紹益の木像を祀っています。
天井が立派で、ねねさんの御所車、秀吉の御座舟の天井だとか…


霊屋。ここには秀吉、ねねさんの御霊が祀られていて、二人の木造が両脇にあります。
真ん中には厨子があって、中に大随求菩薩像が本来納められています。
今回は掌美術館で特別公開されていますけどね
 
中も外も彩色が立派
ちなみにねねさんはここに葬られています。なわけで、高台寺はねねさんのお墓詣りなんですね~墓参りツアー継続中

その後は庭を上へあがって茶室へ。
傘亭。
 
これは伏見城の遺構だそうで。庭に浮いてる作りだった茶室です。
そんなわけで茶室なのに出入り口が大きい。
なぜって船で乗りつけるから
質素な造りですが、利用方法が、秀吉ならではの贅を極めてますね。

それと繋がってあるのが時雨亭。

これまた伏見城の遺構。
2階建てという珍しいつくりの茶室です。御学問所の説もあります。

高台寺を出たら、向かいの掌美術館へ。
特別公開の厨子の大随求菩薩像
細かかった~見事でしたね、これは本当に。

他にも徳川からの書状関係が多かったですね。
とくに2代将軍秀忠。名前も秀吉の“秀”がある通り、豊臣と縁が深いので、一番親交もあったんでしょうね。
徳川の世になって豊臣の菩提寺が擁護されるなんて、いくらねねさんがいるからとは言え、本来ならありえませんからね~秀吉祀ってるわけだし。
このお寺が守ってもらえた流れを感じる書状ですよ

その後は圓徳院へ。
ここは秀吉亡き後、ねねさんが晩年過ごした地になります。

庭は伏見城の北政所化粧御殿から移築した庭で、中には長谷川等伯の襖絵などがあります。

方丈の前庭。


北庭。

これが伏見城からねねさんが持ってきた庭です。
敷地に合わせて、池泉回遊式庭園だった庭を枯池泉座視式に改めて小堀遠州が再プロデュースした庭。
巨石を並べて、独特の味がある庭です
庭を眺めながらお茶することもできますよん

八坂神社から高台寺へ

2011年01月02日 | 日記
高台寺の特別公開が他より早くはじまっていたので、さっそく祇園の町へ。

せっかくだから八坂神社経由。

これまた結婚式が。
日が良かったのかな?

結婚の写真撮影してる人たちもいました。
とりあえずお参りを終えて高台寺へレッツゴー

石堀小路を通って高台寺へ。
 
細い通路ですが、祇園の奥座敷として、さりげなくお店が並び、昔の雰囲気がたっぷりある通りです。
その昔はお妾さんがよく住んでいるとかで『お妾通り』と言われていたとか?
意外と目立たない通りなので、あまり人も通っていないので、雰囲気味わうにはおススメな通りです

ぜひ使ってみてくださいませ

高台寺の話はまた後日…

ロンブーの「お笑い心霊団」、あれ、あんなにチャラく作って大丈夫なのかなぁ面白いけど(笑)

本能寺

2011年01月01日 | 日記
新年一発目の旅ネタですが、相変わらず墓参りツアーの話で…

新年早々これかよですが、こんなんがこのブログだしね


『本能寺』
言わずと知れた、信長様最後の地

当時お寺があった場所と、現在の場所は違います。
秀吉の命令で、今の場所に移ったんですよ。
ちなみに昔あったのは蛸薬師通油小路。四条西洞院の辺りに碑もあります


本能寺は、商店街の方から入ると、こういったしっかりした山門ですが、大通りの方からだと、「ここ?」みたいな脇から入る形になります。
本能寺会館の脇とか、ただのビルの間を通る感じ
この山門に建っている石柱の『本能寺』の『能』は、2つの“ㇶ”のところが“去”みたいになっているのは、5度も火災にあっているため、火よ去れって意味でこうなっているらしいです。


本堂。ちょうど行った日には結婚式が行われていました。
本能寺で結婚式って渋いなぁ~

 
信長公廟。
信長の遺体は見つかっていないので、供養塔になります。

 
その隣には、本能寺の変で信長と一緒に亡くなった家臣たちの供養碑があります。
もちろん森蘭丸とかもここに名前がありますよ


さらに横には女性人の石塔・供養塔があります。
奥から島津義久夫人・菅中納言局・徳川家重夫人になります。

お墓詣りの後は、宝物館へ。
中には本能寺にまつわる品が展示されています。
昔の絵図とか、書状とか茶器とか…個人的には、信長の天目茶碗が見事でした
最後のお茶会で集められた、本能寺の変で焼失してしまった茶碗、どんだけ凄かったんだろうと、ここに残ってる品見るだけでも思ってしまいますよ

あけおめ!ことよろ!!!

2011年01月01日 | 日記
あけましておめでとうございます
バグで打ち込み消えて3度目です。新年早々そろそろいらだち限界にきてます

…はさておき。
今年もよろしくお願いいたします

今年は数年ぶりに自宅で年越し。
いやー久しぶりすぎて何していいかわからない(笑)
とりあえずテレビ見ながらしていたら…ただの飲みすぎです


ジャニのカウコン見てCDTV見ましたが…

スマップのライブ何
あの客との距離、めっさ羨ましいんですけど
いいなぁ~
拓さんが途中で話したけど、あれが原点だもん。
スタジアムで見たいわけじゃないんだよぉぅ~(><)

ま、これはジャニ全体に言いたいけど。
最大の武器が顔なわけじゃないですか。それならアリーナクラスじゃないと生で楽しめないのよぉぅ。
遊びたい人としては、双眼鏡使いたくないから…つうか使わないで跳ねてるから、アリーナなら天井でも生で見えるし楽しめるけど(視力そこそこいいので)、スタジアムの天井は…蟻ですよ…
申し訳ないけど、スタジアムでは自分は楽しめん(きっぱり)

いや~久しぶりにスマップさん本気で楽しめさせていただきました。
ごちそうさまです
やっぱっりいいなぁ~マップは


…あ、でも『がんばりましょう』だけはリアルに切なかったです
ごめん…そのパートは吾郎ちゃんじゃないの
6人時代の曲の…森君のメインボーカル率の高い曲は、いまだにちょっと気持ちキツいです
ごめんよ、スマップ中居ファンでも、そこは譲れないのです