猫面冠者Ⅱ

主に東洋大学を中心に野球・駅伝などの記録・歴史・エピソードなどなど…。

日本代表、世界一周:第15回日米大学野球代表=東洋大野球部の歴史ーエピソード⑤

2019-06-16 23:12:00 | インポート
*2019年6月16日更新:本記事は2008年8月にUPしたものですが、1986年9月刊『週刊ベースボール』に掲載された前田祐吉「全日本チーム米欧長期遠征レポート」の記事を一部抜粋して追記いたしました。

今年は世界大学野球選手権が開催されるため、日米大学野球は行われない。
スタッフは昨年に引き続き青学大・河原井監督らが務め、代表選手選考も昨年秋に候補合宿を行うなどしているが、かつての日米大学野球では大学選手権優勝チームの監督が代表監督に選ばれ、選手も優勝校は最大九名まで代表に加えることができた。大学選手権優勝校へのご褒美的な側面もあったのである。東洋大が大学日本一になった昭和六十一年の第十五回大会も佐藤(現姓高橋)監督と選手六名がえらばれている。この大会は米国開催の年だったが、代表チームは引き続きカナダで行われる四カ国対抗大学野球とオランダで開かれるアマチュア世界選手権の代表も兼ねており、アメリカ・カナダ・オランダの3カ国を1か月以上にわたって転戦する、学生としては異例の長期遠征となった。
また、その関係もあってこの大会から日米大学野球は七回戦制から五回戦制となった。
代表チームは次のメンバーである。

第15回日米大学野球・四カ国対抗大学野球・第29回世界アマチュア野球選手権代表
ポジション氏   名 所 属 学 年出身高校
*総監督前田  祐吉慶応大
*監  督佐藤  昭雄東洋大
コーチ太田垣克幸流通経済大
投手石井  丈裕    法政大4年 早稲田実
   岩本  利仁    立命大4年 尼崎西
   松田  大    青森大4年 八戸商
   西崎  幸弘     愛知工業大 4年瀬田工
   阿波野秀幸亜細亜大4年桜 丘
猪俣  隆法政大4年堀越学園
保坂  彰茂東洋大2年横浜商
西岡  剛近畿大4年近大付
八野田充彦流通経済大1年樹 徳
捕手森   浩之東洋大4年PL学園
高田  誠法政大4年法政二
宮里  太専修大4年都 城
内野手佐藤  公宏早稲田大4年PL学園
蛭田  広則東洋大4年東洋大姫路
為永  聖一駒沢大4年佐賀商
安岡  靖晃明治大4年高知商
田中  泰東洋大4年東洋大姫路
原   則明近畿大4年近大福山
相場  勤慶応大4年桐 生
外野手今井  克善駒沢大3年松 代
内藤  雅人東洋大4年静岡学園
丸   忠幸流通経済大4年茂原工
加藤  正樹早稲田大3年PL学園
忍成  功好東洋大4年川越商


*四カ国対抗とアマチュア野球世界選手権の監督は前田祐吉氏、日米大学野球では総監督。
*四カ国対抗後四名は帰国、世界選手権は二十名となる。
*流通経済大・八野田投手は東海大・原辰徳以来、史上二人目の一年生


佐藤監督の話 今年はいくつか有利な条件がある。私自身、過去三度コーチを務め、二度はアメリカに行った。移動があり、時差の調整も必要だった。それが、今年は一か所でやるので、選手も落ち着いて力を出し切ってくれるだろう。選手層も厚く、アメリカでの初優勝もありうる。そのつもりで頑張ります。(『朝日新聞』昭和六十一年六月十七日付朝刊)


以下、代表チームの足跡を追ってみる。

昭和61年
6月23日
結 団 式

6月25日:オープン戦・於明大グラウンド
日本生命030 000 020  5
日 本010 000 210  4

(生)早瀬・伊藤・田島・土手本
(日)石井・保坂・松田-森・高田・宮里
本:田中(早瀬) 三:藤内(生)・宮里 二:大西(生)・森・安岡

6月26日:オープン戦・於明大グラウンド (5回降雨コールド)
AIA 001 00  1
日 本401 18  14

(A) クロス・ジョリー
(日)西崎・猪俣-宮里・高田
本:今井2・(クロス・ジョリー)・加藤(クロス) 二:安岡・為永・相場
*AIA=全米キリスト教系学生選抜


6月28日
日 本 出 発

第15回日米大学野球:於米ミシガン州バトルクリーク

7月1日:第一戦(5回降雨コールド)
日 本000 00  0
米 国010 1X  2
(日)保坂-森
(米)ヘレディア-フルトン
本:アザール(保坂) 二:為永・相場

7月2日:エキジビションマッチ
モーガン100 000 010  2
日  本230 013 40X  12

(日)松田・八野田・石井-宮里・高田
*モーガン=地元クラブチーム

7月3日:第二戦
米 国000 300 021  6
日 本000 010 100  2
(米)コフ・タナー-フルトン
(日)西岡・阿波野・西崎-森
二:佐藤・内藤・フルディック

7月4日:エキジビションマッチ
フェラーリ101 150 000  8
日   本304 102 01X  11

(フ)カラジム・マークス・カスト・ブラント-ランディ・ベック
(日)岩本・八野田・西崎-高田
本:ダナン(八野田)・モリソン(八野田)
*フェラーリ=地元クラブチーム

7月5日:第三戦
日 本111 000 000  3
米 国303 003 00X  9
(日)猪俣・石井・松田-高田・森
(米)ヘレディア・マニュエル-フルトン
本:リー(猪俣)・ホリンズ(猪俣)・ナレスキー(石井) 三:相場・フルトン 二:ヒルドレス2

7月6日:第四戦(ダブルヘッダー第一試合)
米 国000 324 000  9
日 本000 202 002  6
(米)レムリンジャー・デジェース-フルトン
(日)保坂・岩本・西岡-森
本:田中(レムリンジャー)・リー(岩本) 二:ナレスキー・森・為永・相場

7月5日:第五戦(ダブルヘッダー第二試合・7回コールド)
米 国000 100 1  2
日 本000 420 X  6
(米)タナー・マニュエル-フルトン
(日)阿波野・松田-高田
二:アザール・相場・佐藤・高田

米国:4勝1敗
最高殊勲選手:アザール
最優秀投手  :ヘレディア
最優秀打者  :リー
敢 闘 賞   :相場

第三戦後の佐藤監督の談話。
「・・・・米国遠征で何とか初優勝したいと思って来たが、一戦が雨による不運なコールド負け。二戦も波に乗れず、三連敗は残念だ。」(『朝日新聞』昭和六十一年七月七日付朝刊)

従来7回戦制で行われてきたこの大会も、今年は後に続く4か国対抗の日程のためか、5回戦制の短期決戦となり、全試合がミシガン州バトルクリークで行われた。
バトルクリークはシカゴとデトロイトの中間に位置する人口5万4000人程の静かな町で、コーンフレークのケロッグ社の本社と工場があり、最近数社の日本企業が進出して地元の期待を集めている。

試合は接戦の1回戦を目のため5回コールドゲームで負けたあと2、3、4回戦とも一方的に打ちまくられて連敗。最終戦にようやく一矢を報いて、1勝4敗で終了した…中略…日本がチームを編成してわずか一週間で足らずの合宿で練習と試合をこなしただけで米国に向けて出発したのに対し、米国チームはバトルクリークに来るまでに、各地を転戦して15試合を消化していた。しかもこの15試合が選手の選考を兼ねており、選手にとっては全く気の抜けない緊迫した試合であったことが想像できる。米チームはこの15試合を全勝で終え、自信をもって日米野球に臨んできた。
一方、日本チームは、我々コーチ陣もベストメンバーの編成に暗中模索なら、選手たちも互いに遠慮がちで、チームが一丸となって相手に当たるムードができていない状態であった。この両軍の仕上がりの差が、今年の日米野球の勝敗を一方的なものにしたような気がする。
(『週刊ベースボール増刊号』1986年9月:前田祐吉「全日本チーム米欧長期遠征レポート」より)



四カ国対抗大学野球:於カナダ・キンダスレー市

7月8日:対韓国一回戦
韓 国040 000 000  4
日 本100 000 14X  6
(日)西岡・松田-森

7月10日:対米国一回戦
日 本003 021 211  10
米 国002 011 000  4
(日)西崎・阿波野-森

7月11日:対カナダ一回戦
カナダ400 000 013  8
日 本110 050 03X  10
(日)石井・猪俣-高田
本:アングース(カ)

7月12日:対韓国二回戦
日 本000 200 100  3
韓 国220 100 21X  8
(日)保坂・松田-森

7月13日:対米国二回戦
米 国101 200 000  4
日 本300 200 00X  5
(日)西岡・西崎-森
本:スティーブ(米)・田中(日)

7月14日:対カナダ二回戦(7回コールド)
日 本430 330 5  18
カナダ005 000 0  0
(日)猪俣・保坂-高田・宮里
本:相場・森・田中(日)・バイコウスキー・ラウスン(カ)

予選リーグ結果
日 本:5勝1敗
韓 国:3勝3敗
米 国:3勝3敗
カナダ:1勝5敗

7月15日:優勝決定戦
韓 国000 000 000  0
日 本020 200 00X  4
(日)石井-森

同  日 :3位決定戦
米 国6-5カナダ

優勝:日本
最優秀選手:佐藤
ベストナイン:田中(一塁手)・佐藤(二塁手)・為永(三塁手)・加藤(外野手)

初の4か国対抗戦は、カナダのサスカチュワン州キンダーズリー(ママ)に、日、米、韓、カナダ、の4チームが集まって、7月八日に開幕した。
キンダーズリーは、カナダ中西部の大平原の真ん中にある人口5000人の町で、地平線まで続く小麦畑の風景に国の広さを痛感させられた…(中略)…日本チームが日米野球を終えて、ようやくエンジンがかかり始めた状態で臨んだのに対し、韓国とカナダは共に助走不足、米国はやや中だるみ気味というのが4チームの状態だったように思われる。日本は初戦の韓国戦に逆転勝ちを収めたことが、その後の流れをよくし、米国、カナダにも勝ってラウンド・ロビン一回戦を首位で通過した。日本チームは西崎、西岡、阿波野らの投手陣が頑張り、打線もよく打ってチームにまとまりと自信が芽生えてきた。
(『週刊ベースボール増刊号』1986年9月:前田祐吉「全日本チーム米欧長期遠征レポート」より)


7月16日
オランダへ移動
阿波野・岩本・原・丸の4名は帰国。投手7名野手13名の態勢で世界選手権へ。

第29回世界アマチュア野球選手権:於オランダ・アムステルダム

7月19日
開  幕(日本はこの日試合はなし)

7月20日:対ベネズエラ
ベネズエラ100 000 000  1
日    本000 215 10X  9
(べ)プレート・ベラスケス・セラー
(日)西崎・猪俣-森・高田
7月21日:対西インド諸島
日    本000 030 000  3
西インド諸島110 000 12X  5
(日)石井・保坂・松田-森
(西)ロベルド・ボネファシア
本:ニコリア2(石井)

7月23日:対ベルギー(7回コールド)
ベルギー000 000 1  1
日   本115 510 X  13
(ベ)デヴィット・フレイミンクス・マテス-ローワース
(日)猪俣・八野田-高田
三:宮里 二:宮里・ティリアコス・デランノイ

7月22日:対イタリア
イタリア000 000 000  0
日  本200 100 00X  3
(イ)ラダエリ
(日)西岡-森
三:宮里 二:森・ビアンキ

7月25日対プエルトリコ
プエルトリコ200 021 000  5
日    本001 100 000  2
(プ)フェリシアノ・ロドリゲス・フェレス
(日)西崎・猪俣-森
本:ヘルナンデス(西崎)・今井(フェリシアノ)・モラレス(西崎)・ガルシア(西崎) 二:モラレス・今井

7月26日対コロンビア
日   本710 101 203  16
コロンビア002 000 100  3
(日)石井・保坂-森 
本:安岡・宮里・エレーラ

7月27日対台湾
日 本012 010 000  4
台 湾201 002 00X  5
(日)西岡・松田-森
(台)陳義信・徐江欽・黄平洋-徐忠男
本:呂明賜

7月28日対米国
日 本100 300 000  4
米 国000 100 000  1
(日)西崎-森
(米)レムリンジャー・サーレス・タナー
本:エイザー(西崎) 二:宮里・安岡

7月30日対オランダ
日  本012 030 000  6
オランダ002 010 001  4
(日)猪俣・石井-高田
(オ)デブレーフ・ライスト-ハルデルマン
*この試合で、田中泰三塁手が3回の守備中に打球を左頬上部に受け負傷、五針縫う。
7月31日対キューバ
キューバ210 100 000  4
日  本000 020 000  2
(キュ)ティセルト-カストロ
(日)西崎・松田-森・高田
本:ムニョス

8月1日対韓国
韓 国100 020 000  3
日 本020 000 000  2
(韓)李光雨・朴東熙
(日)石井・西崎-高田
二:姜起雄・盧燦嘩

8月2日
閉  幕(日本は試合なし)
順位    キュ西ベル
優勝キューバ10勝1敗
二位韓  国8勝3敗
二位台  湾8勝3敗
四位米  国7勝4敗
五位日  本6勝5敗
六位イタリア6勝5敗
七位プエルトリコ5勝6敗
八位ベネズエラ5勝6敗
九位オランダ5勝6敗
十位コロンビア3勝8敗
十一位西インド諸島2勝9敗
十二位ベルギー1勝10敗
*勝敗が同じ場合の順位は得失点差による。韓国と台湾は得失点差も同じだった為同率二位。

8月4日帰国

12ヵ国のチームがオランダに集まった世界大会は、さすがにアマチュア野球界最大のイベントとしてのスケールと雰囲気を備えた大会であった。
全チームと全役員がアムステルダムのノボテルというほってるに泊まり、ロッテルダム、ハーレム、ユトレヒト、アインドホーベンの4球場を使って、12チームによる1回戦総当たりのリーグ戦で行われた。
アムステルダムはソウルの次、’92年のオリンピック招致を目指しており、そのためにもこの大会を成功させなければという熱意が感じられた。日本チームには、大会期間を通じて世話役としてオランダ在住十数年の荒巻さんという婦人がついてくださった。ご主人は日航勤務で、現地生まれのお嬢さんまで、家族ぐるみで選手の面倒を見てくださったので、心おきなく試合に集中できた。
日本チームは、最終的には6勝5敗の5位とやや不本意な成績に終わったが、5敗のすべてが接戦で、完敗した試合はなく、選手たちは森主将(東洋大)を中心によく頑張ってくれた。特に宮里(専大)は不慣れな外野手として三番を打ち全試合に出場を果たした。優勝したキューバには2対4、2位の台湾にも4対5と共に松田(青森大)の好リリーフで善戦、継投の時機を誤らなければ勝てたかもしれない試合であった。
(『週刊ベースボール増刊号』1986年9月:前田祐吉「全日本チーム米欧長期遠征レポート」より)




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