ねこのにくきゅう「泣き虫おかん日記ー星が笑えばー」

あかいねこの
       ひとりごと 

死者の書

2012-07-05 15:45:28 | 日記
大英博物館 古代エジプト展「死者の書」から切なる思い感じて・・・
フウネフェルの「死者の書」口開けの儀式の場面(部分)
ナイル川の流れる地で生まれ育ち、そこで亡くなって埋葬され、そこによみがえるというのが古代エジプト人の思想でした。さまざまな宗教で「天国」は今よりももっと良い場所だ、という考えがあります。でも古代エジプトでは、来世はこの世と同じなんです。ナイルが流れるエジプトの地が、全てだった。 この展覧会は「死者の書」を中心に、古代エジプト人の死生観を浮き彫りにしようというものです。古代エジプトの研究は「死の考古学」といわれます。しかし彼らにとって、死を考える事は「どう生きてきたか」を考える事でした。死後の審判では、生前に悪い事をしたり、嘘をついたりすると、再生できないですから。
何としても再生したいという気持ちが強く表れているのが「死者の書」です。「死者の書」は時代によっても異なり、様々なバージョンがあります。元々は呪文集だったので、挿絵は必要なかったと思うのですが、紀元前15世紀ごろから、特徴ある場面を描いたものが出現するようになっていきます。
極彩色の挿絵のピークは、第19王朝(紀元前1295~1186年ごろ)ぐらい。ラメセス2世の時期です。今回、「口開けの儀式の場面」が展示される「フウネフェルの『死者の書』」はそのピークに近いもの。挿絵の完成度が非常に高く、保存状態も良い。「死者の書」では、「太陽神の航行」など再生や復活の象徴となる、別の伝承からの場面も人気がありました。「グリーンフィールド・パピルス」には、きちんとした形で残存するものが少ない「天地創造」の場面があります。
 エジプト人も死は怖かったと思います。だからこそ確実に再生できる「保証」が重要で、一生懸命にお墓や副葬品を作った。実物に触れると、彼らの思いが時間を超えて感じられるのではないでしょうか。

明日は月命日。お墓のお花と仏花を買いそろえているだけで、哀しい。
こんな些細な事でダメな おかん だね。
あんたの好きだった○ウスバーモントカレーを久しぶりに作って、お供えするよ。
おかんは もう少し 頑張ってみるね。

「似顔絵セラピー」を自分が描いてみようと思った。だけど、心がついてゆかずダメだった。情けない、悔しい、悲しい。それでも、泣きながら歯をくいしばって「やってやる!」という気力が湧かないよ。
情けないおかんで ごめんよ。


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こころから

2012-07-04 07:59:12 | 日記
こころから       谷川 俊太郎 
       子どもたちに

こころはいれもの

なんでもいれておける

だしいれはじゆうだけど

ださずにいるほうがいいもの

だしたほうがいいもの

それはじぶんできめなければ


こころからだしている

みえないぎらぎら

みえないほんわか

みえないねばねば

みえないさらさら

こころからでてしまう

みえないじぶん
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一年の半分

2012-07-02 14:12:20 | 日記
閏年だったため、今日が一年の半分だそうです。

私の中の時間は止まっているのに、時が流れるのが、早く感じる。

もうすぐ、月命日がおとずれ またお盆、お彼岸、三回忌、本命日をむかえると思うと

生と死が 隣り合わせ。

私だけじゃない

暗い道を泣きながら・・・

光を探している 遺族たちがいる。

歩くその道に 明るい光が

そそがれますようにー
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よっしゃぁあー タコ枝雀を投稿してやる!
(A木さんの聖域をけがして、ごめんね)
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心を止めてはいけません

2012-07-01 14:55:28 | 日記
ほんの小さなことでも、よくない事が重なると気持ちが折れやすくなる。心は時に「折れる」もの、そう思うだけで、少しは心が軽くなる。
「夜明けの来ない夜はない」と考えて苦しむならば、「夜明けの来ない夜には、明かりをともそう」
何かを変える事で、新しい何かを得、見えるモノが違ってきませんか?
ゴッホの塗りつぶされた黒猫の絵をみてみましょう。
ゴッホ「ドービニーの庭」黒猫は確かにここにいた
ゴッホ(1853~90)が自死する2週刊ほど前に描いた作品であることを知ると、誰もが興味を抱き、この絵にまつわるドラマに引き込まれていく。
夏の日差しに緑が映える庭の奥には、ゴッホが敬愛したフランスの画家ドービニーが暮らした邸宅が見える。当時、すでにドービニーは他界し、その婦人と思われる人影が、中央左奥に描きこまれている。
同じ構図のゴッホの絵を、スイスの個人が所蔵している。その絵には、庭を横切る黒猫が描かれている。だが、ひろしま美術館所蔵の絵には、黒猫はいない。描かなかったのか、後で消されたのか。長らく議論されてきた。4年前の調査で、黒猫はゴッホの死後、1901年に絵具を塗って消された事が分かった。絵の中央左下、草の緑がやや変色している部分が、黒猫がいた場所だ。 その後、絵は転々とする。額縁のプレートから、29年にはベルリン国立美術館所蔵となった事が分かる。だが、ヒトラーが政権を握ると、「退廃芸術」としてオランダの銀行家に売却される。さらにユダヤ人銀行家に渡った絵は、戦火をのがれるため39年、アメリカに運ばれた。 持ち主が亡くなり、遺族が手放したのは74年。広島銀行が購入し、78年に閉館したひろしま美術館に目玉として収まった。展示室を訪れると、脇に黒猫のいる複製画も見る事ができる。

ゴッホの絵から、感じるままに・・・
心臓を止めては いけません。
生きていれば 感動もします。そこから 何かが変わっていくということが確実にあると思うのです。
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