くどいようですが、ずっと書いていることの繰り返しです。
コンピューターやインターネットの本を読むうちに、野口三千三先生とのやり取りを思い出したお話、一席。
私が、初めてワープロを使いだしたのは1986年ごろだった。
ある日、試みに打ち出した1枚のコピーを先生に恐る恐るお渡しした。
「この前の授業の板書を打ち込んできました」
「えっ、立派な印刷物じゃない」
目を通された先生は
「読みやすくていいね~」(先生ニコニコ)
その時の嬉しかったこと。
しかし、その嬉しさも束の間
「あなたの字は、お世辞にも上手いとはいえないから、ワープロとやらを使いこなした方がいいと思うよ。それにぼくは活字が大好きなんだ」
一瞬、ムッときたものの「活字が大好き」の言葉に勇気をいただいた。
毎回、打ち込んでお渡しするうちに
「推敲がしやすくなった」
喜ばれることがなにより嬉しかった私。
1988年に「野口三千三授業記録の会」をはじめて、ワープロはますますありがたい道具となっていった。
しばらくはワープロを使い続けていた。
最後、3代目のワープロは‘キャノワード’だった。
それにおさらばを告げた後、やってきたのは、‘Mac’だった。
いよいよパソコンの時代到来である。
思い返せば、初期のころのインターネットで、メールを始めたころが懐かしい。 当時はメールを使う人はごく少なく、もちろん〔meiwaku〕とつくメールなんて陰も形も見られなかった。よき時代である。
最初は電話回線1本でやっていたから、インターネットを使っていると電話はお話中になっていた。料金もかかるので、書き込み作業中は、接続を切っていた。
そのうちに‘ISDN’方式になって、インターネットをしながら電話が使えた。そのうえ、2本の電話回線をもらえたのでこれは重宝した。
ところがこの‘ISDN’の命は短くて、‘ADSL’の高速ブロードバンドに変更した。画像のダウンロードは、いちだんと早くなった。
で、これも命が短くて、今は3年前から‘光’になった。
どれほど感動するかと思いきや、‘ADSL’の経験があったので、このスピード変化には、それほどの驚きと感動はあまり感じることはなかった。
「思います。よくぞ変化についていったもの」
話は前後するが、そんなこんなで1998年に「野口体操公式ホームページ」を公開して10年が過ぎた。
今週末まで、まとめてインターネット関連の本を読んで
《 今や、この世界について、ちょっと知ったかぶりも出来ますわよ 》って感じ!
ワープロ時代はともかく、パソコンやインターネットを使いこなすために、マニュアル・ブックは分厚すぎて役立たない。
とにもかくにも多くの人の世話になってきた。
この世界は、人から人に、じかに伝わっていくことで、使えるようになるのだ。 そして教える行為は‘無償’が原則。
「野口体操に出会ってなければ、ここまでやらなかったと思うのよ」
今朝、一晩中の雷で、寝不足気味の母に、朝食の片付けをしながら話しかけた。
「牛に引かれて善光寺まいりね」
「私の場合、牛じゃなくて虎だけど」
「えっ?」
「ほら、野口先生は寅年生まれだから」
「ほほほっ。。。。。。。」(←母、意味ありげな笑い)
母の機嫌が、すこしよくなった。