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羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

夏の文学教室を聞く

2019年07月31日 09時24分49秒 | Weblog

昨日、午後、有楽町・よみうりホールの一階席・後ろ中央に着席した。

その時、1ベルが鳴った。

ぐるりと見渡すと、女子高校生からご高齢の方まで、幅広い年代の方々で満席状態だった。

女性の方が多いだろうか。

それでも若者からお年寄りまで、男性の姿もあちこちに見受けられる。

座席から舞台へと視線を向ける。

背景には濃紺の幕が引かれて、その前に演題がおかれているだけである。

今時のパワポのためのスクリーンもなければ、黒板あるいはホワイトボードもない。

いたって殺風景である。

この講演会は、日本近代文学館主催である。

毎年「夏の文学教室」と称して、今年で56回目を迎えた。

テーマは、『文学の現在ー越境・往還する言葉』である。

登壇者は、赤坂真理、鹿島茂、京極夏彦の三氏で、持ち時間は各1時間である。

 

実は、この殺風景な舞台上で、豊穣な言葉の世界が繰り広げられるのである。

役者は一人で、他には大道具も小道具も照明も効果音も音楽もなく、ただ言葉だけで、ただ音声言語だけで、三人三様の文学世界に浸ることができるのだ。

こんな贅沢が他にあるだろうか、って今年も思った。

 

少しだけ演目と話の内容に触れておきたい。

赤坂真理さん。「トランス天皇論」。歴史的な天皇像と明治期から昭和20年の敗戦までの天皇について話された。「象徴」とは何かを語る彼女は巫女さんのようであった。文学を創作するということは、何者かがのり移る憑依現象がおこらなければ成り立たないのではあるまいか、と思わせる風情だった。それもたった一人ではなく、様々な人間や神や悪魔や祖霊がのり移るのだから、本人は辛かろう。でもそれが作家としての醍醐味に違いない、と思わせる。

鹿島茂さん。「三島由紀夫とフランス文学」。慈悲の聖母マリア信仰と十字架上の殉教イエスの信仰を中心に、カトリック三島論。他のフランス文学からもらった方法論も交えて、深く納得。刮目!であった。三島の全体像が一旦は瓦解したかのように見えて、実は復活を遂げるのだ。その上、十字架から降ろされた傷だらけのキリストを抱くマリアを描いたピエタ像を見せてもらったような昇華の境地まで導かれた。お見事。

京極夏彦さん。「物語の在り処〜遠野物語を巡って」。スリル感に満ちた柳田國男を通して、京極流 “物語の本質” を見せてもらった。「それからどうなるの!」「えー、それからどうなるの!」先へ先へと耳が求める。「ちょっと待って!」と、焦らすんだから憎い。声なき声を拾って聴くものの心を操つる快楽に浸っているに違いない。こちらとしては、操られる、それが楽しい。最後に“物語とは”に帰結して、「どこへ行くの」と、ハラハラさせた話はちゃんと腑に落としてもらえた。実に、質の高い推理映画であった。

夏の文学教室、二日目の授業は、京極さんの話で頂点に達した。

 

三時間の話を聞き終わって三人三様の面白さは、野口三千三のこの言葉にあると思った。

 

感覚とは錯覚のことである。錯覚以外の感覚は事実としては存在しない。

理解とは誤解のことである。誤解以外の理解は事実としては存在しない。

判断とは独断のことである。独断以外の判断は事実としては存在しない。

意見とは偏見のことである。偏見以外の意見は事実としては存在しない。


******

 

日本近代文学館主催 夏の文学教室『文学の現在ー越境・往還する言葉』

本日を入れて8月3日まで、有楽町 よみうりホール 13時より、あと4回開催されます。


坐禅 ふたたび 五十六日目、五十七日目

2019年07月31日 09時16分05秒 | Weblog

梅雨明けと同時に、暑さが身にしみるこの頃。

昨日の朝は扇風機もなし、エアコンもなしで、体操し坐禅に移った。

暑さで70を数える頃には、ダウン。

つくづく思ったことがある。

自己流で一人で坐禅をしていると、途中でやめてしまう結果になる、と。

ダメですねー。

心を入れ替えて、というかと挫折しないように、エアコンを入れて体操し坐禅を行った。

無事、100回を数えた。

サボると腹筋の働きに弱くなることを実感。

何事も継続することが大切と、本日も反省することしきり。


坐禅 ふたたび 五十五日目

2019年07月26日 09時18分46秒 | Weblog

二階の南と北の窓を開ける。

東側の吐き出し窓は、すだれがかかっていない一面の雨戸を閉めておく。

半面のすだれを通って柔らかな日差しが入ってくるが暑くない。

室温は28度くらいだろうか。

部屋の襖は、半分開いた状態で、二部屋を満遍なく風が通り抜けるようにしておく。

準備は整ってまずは体操。

そして坐禅へと・・・・暑さにからだを浸すように呼吸を数える。

時折、風がからだを包んで、さっていく。

なんとも気持ちがいい。

風の便りとはよく言ったものだ。

そうこうするうちに、数の行方を見失う。。

暑さも風も気持ちが良すぎる。

あぁー、右腕・右肩が治ったら、市ヶ谷の外堀でボートを漕ぎたい。

いや、井の頭公園でも善福寺公園でも、いいなー。

なんとか60台に戻って、1から数え直す。

61.62、63、64、65・・・・・

風が背後から忍び寄る。

またまた数の行方が分からなくなる。

・・・・・

何度かやり直しをして、90台までたどり着いた。

母が教えてくれたボート漕ぎは、多摩川だった。

観音崎の海でも漕いだことがあったっけ。

100回を過ぎて、体操に戻った。

いつの間にか自宅で行う「3回しゃがんで立つ」動きのバランスが崩れなくなった。

収穫!


坐禅 ふたたび 五十三日目・五十四日目

2019年07月25日 09時19分34秒 | Weblog

昨日の53日目は、坐禅を終えて2度目の体操途中で、電話が入ってしまい一連の流れが中断された。

本日は、体操+坐禅+体操と、自然な流れで行うことができた。

かなりの蒸し暑さの中で、坐っている時も体操している時も思ったことがある。

野口体操を初めて40年以上がすぎた。

始めた当初野口三千三先生に言われたことがあった。

「弱くても全体が弱ければ、それでいい。弱いなりにバランスが取れている。強くてもどこか一箇所に大きな弱さがあると全体としてのバランスが崩れてそれが致命傷になるわけです」

この言葉に救われた、とつくづく思うことがある。

10代の時もも20代の時も、どこということなくからだ全体が虚弱だった。どことなくバランスが悪いと、自分でも自覚があった。

その自覚が野口体操を継続するモチベーションになったのだとは思う。

かれこれ40数年前のこと。

よく続いたと思う。

そしてこの間に、弱いながらもバランスが取れてきて、体操を始めた頃とは別人の自分を感じている。

先生が言われた言葉を繰り返すが、「弱くても全体にバランスが取れていればそれは強いことになる。つまり強さとは何か、ということです」

今朝も、気持ちよく体操と坐禅に、自分のからだを浸すことができて、背骨が通っている実感がもてている。

掛け値無しで、ひとえに野口体操のおかげだと思っている。

 


坐禅 ふたたび 五十二日目

2019年07月23日 09時35分29秒 | Weblog

本日、初体験の報告。

まず、体操をしてそのまま坐禅へ、たかが100回数えるだけだが、呼吸が整うと気分が良くなる。

そして再びはじめの体操と同じ動きを行ってみた。

するとかなり軽くなっていることに気づかされた。

坐るに当たって、足腰がこわばらないために体操が有効だった。

そして、再びの体操に、坐禅が有効に働いてくれることを知った。

相乗効果を味わったのだった。

 

しばらく試して見る坐禅を挟んで体操をすることにしよう。


文庫版『帰郷』集英社

2019年07月20日 09時52分05秒 | Weblog

《戦争とは、かくも残酷で理不尽なものなのか。著者渾身の反戦小説集!》

朝日新聞朝刊に掲載された本の宣伝である。

早くも文庫版が出たようだ。

ひとりでも多くの方に読んでいただきたい。

《戻りたい、でも、戻れない・・・。故郷への想いを語る、帰還兵の痛切な運命》

戦争に駆り出された普通の人々の悲劇。

戦後70年以上が過ぎたいまだから、この作品を読む意味は深い。

単行本の装丁に使われている写真は、「米国国立公文書館」のもの。

故郷に戻った帰還兵と彼を迎える17、8歳くらいの女性と少女の姿が象徴する幸せ。

こうして帰郷できる兵隊の戦後も、苦難がまっているに違いない。それでも無事に帰還できた人はまだ幸せなのである。

名もなき人々の矜持、とはあまりに悲しい短編集であった。 

 

収められている「鉄の沈黙」のなかで、上官に敬礼をするシーンがある。

《見るだにたくましい人影が、よろめきながら近づいてきた。清田は立ち上がって軍靴の踵(かかと)を合わせ、膕(ひかがみ)を思いきり伸ばして敬礼をした。》

膕(ひかがみ)という表現をここで見つけた。

ずっと実感とともに探ってきた言葉だけに、このシーンが迫ってきたのだった。

清田一等兵も佐々木伍長も、ともにニューギニアの小さな瓢箪岬で戦死するのである。

 

第43回 大佛次郎賞受賞作 『帰郷』浅田次郎 集英社


坐禅 ふたたび 五十一日目

2019年07月20日 09時17分46秒 | Weblog

体操が気持ちよくなかった。

とにかく重い。

特に「三回しゃがんで立つ」動きなどは、無残に一回で崩れ落ちた。

バランスが取れないのである。

それでもいくつかの動きを行って、いざ、坐ろう!

汗がにじみ出て、落ち着かない。

それでもしばらく呼吸を数える。

数え続けながら、だめだー、と内心思う。

なぜ?

そうだ。

京都アニメーションの悲劇から、朝の「なつぞら」を見るのが苦痛になっている。

重なってしまう。

 

数え続けながら、目を閉じた。

51、52、53、54・・・・・

目を閉じていると、腹に力が入ってきたていた。

70を超えて、目を開けても呼吸は崩れなかった。

100を過ぎてから意識的に、坐り続けた。

不思議だ、さらに息を吐き切ることができるようになった。

 

短い時間だが、ひとり体操と坐禅の時間がもてたこと、ありがたいと思う。

ありふれた何気ない日常に、今朝も身を置くことができる幸せをグッと噛み締めた。


坐禅 ふたたび 五十日目

2019年07月19日 09時26分05秒 | Weblog

今朝もからだの重さに辟易しながら体操を始めた。

いやぁー、全身の筋肉が、軋むような滑りの悪さを感じていた。

「やすらぎの動きと前後開脚で、アキレス腱とひかがみ(膕)をのばそう」

口ずさまないと、途中でやる気が失せてしまいそうだったから。

続いて、仰向け姿勢で、片方の膝を抱え込み、足の関節を曲げる。左右交互に何回か行なった後に、膝を伸ばして真上にあげて足の裏を天井と平行にする。そこから伸ばしたままの足を胴体に近づける動きを、これも何回か行った。

そのほか、いくつかの体操をしてから、いざ、坐禅。

しばらく坐っているうちに、呼吸のおかげだろうか、からだのなかが落ち着いて、鎮まるのを感じた。

51、52、53・・・・・80、81、82・・・・90、91、92・・・・98、99、100・・・・

いい感じであった。深く息を吐くことができれば、しっかり吸える。

ということで、なんだか初心にかえって坐ることができた五十回目の朝だった。


坐禅 ふたたび 四十九日目

2019年07月18日 19時37分30秒 | Weblog

今朝も湿気が強く、なんとなくからだが重かった。

それでも体操をして坐禅に移った。

はじめてからしばらくは腹筋に力が入りにくかった。

諦めかけた50回を過ぎる頃から、不思議なことに元気の「気」が、腹の底から湧いてくるような感じを捉えることができた。

おかげさまで、100すぎても、しばらく坐り続けることができた。

その日の体調も含めて、坐ってみなければわからないことばかりだ。

新鮮!


『漢字語源辞典』あれこれ

2019年07月16日 13時18分44秒 | Weblog

このブログに、『漢字語源辞典』を近くの古書会で見つけて、その値段に驚いた話を書いた。

昭和40年(1965)9000円のものが「500円」という安さに、著者と本がかわいそうと思った。

今日になってアマゾンを調べてみたら、5000円から16000円までの幅があって、納得したところだった。

私の感覚がまずまずだったことがわかって、ようやく落ち着いた。

ま、でも、驚くべき掘り出し物だったわけで・・・・、ちょっと複雑であります。

後に編纂された学研『漢和大事典』を引く当たって、この『漢字語源辞典』を読んでおくことで、藤堂明保が意図したところが非常によく分かることを体験した。

アマゾンのコメントにも音韻(字音)の問題として、上古音(周・漢代)を主にしていることから、もっと古い甲骨文字の殷代以前の音はわかりようがないとしても、「単語家族」をすべて鵜呑みにするのは危ういと書かれていた。私も同感。

しかし、耳の記憶は、非常に正確である。多くの文化が持っている口伝というあり方は、かなりの精度で伝えられていくことから、音の変化はあっても核になる音は残っている可能性も無きにしも非ず、ではないだろうか。

「単語家族」が書かれた当時、解読された甲骨文字数は約1500字、未解読を含めると3000字であった、とある。その数字だけをみても、甲骨文字が殷代に初めてつくられたとは、誰も思わないだろう。優れた体系を持った文字群は、おそらくそれ以前の時代に、何がしかの萌芽があり、ある程度の体系化がなされていたと考えるほうが自然だと思う。

この一冊は、くるべくしてきた、と思いたい。泉下の三千三先生の采配で、あの古書会の棚に、鎮座させたのではあるまいか、と思いたい。

「エッ、いいんですか」(私)

「はい、いいですよ」(店主)

躊躇わずに手に入れたくなる「ワンコイン」というおまけまでつけてくれた。

それに、誰も読んだ形跡がない綺麗な本だった!もう一つのおまけ付きであった。 

 

*次回は、「貞」と「鼎」のことを書きます。


『漢字語源辞典』のページをめくる日々

2019年07月15日 09時11分04秒 | Weblog

語源にしても字源にしても、なるほどと納得はしてしまうのだが、どこかこじつけ感を否めないことが多い。

そんなこともあって、語源俗解とまで言わなくても、語源・字源を扱う学者は、二流学者と言われることに頷くこともある。

 

さて、それはそれとして、野口三千三存命中には、出会うことがなかった藤堂明保『漢字語源辞典』が手に入ってはじめて「単語家族」の概念が掴めた。

この本によると「単語家族」とは、幾つかの字で書かれたコトバをひとまとめにして、その基本義を探り当てる研究で、厳密に言うと語源研究とはやや違う、とある。

藤堂明保の履歴をインターネット上ではあるが、検索してみて驚いた。

藤堂漢字・言語学は、当然のこととして「音韻論」を中心にしてなされるように、運命付けされていたことがわかった。

彼は、中国大連で生まれた。その後、第一高等学校から東京帝国大学へ進学、昭和13年に卒業と同時に、留学生として北京に赴く。

その後、大陸で招集され退役してからは軍属として中国語の通訳を務めた。終戦時は上海にいたという経歴を持つ。

生涯のうち前半は、中国各地の音をふんだんに聞いていたことになる。

「言葉は音である」から、繰り返すが彼の漢字学が、音韻論を中心とした解釈になっても不思議はないことが想像できる。

《字形の異同から共通する音義素を抽出しようとする伝統的な文字学の手法ではなく、字音の異同を重視し、字形が異なっても字音が同じであれば、何らかの意義の共通性があると考える。》

以上のことから、藤堂は「単語家族」を提唱していった。

 

そこで私自身の名前でる「操」の字を調べてみた。

基本義:上に浮く、表面をかすめる。

単語家族:巣・燥・藻・抄・鈔等々。

「操」の旁(つくり)は、高い木の上に鳥が集まって、口々に鳴きさざめくことを表す。そこからいくつかの経過を辿って「上に浮く」という基本義を導き出す。

《「操」の意味は、「把持するなり。手+旁(パソコンで打ち出せない) 声」・・・・マユの表面から生糸をかすめて手中に収める意であったのが、のちに「手中に収める」方に重点が移り、「操守」の意となった。名詞は「ミサオ」と訓じる。》

志をしっかり守り通すという意味の「操」となったわけだ。

それなりにわかる、しかし・・・。

「単語家族」に素直に納得できることと、中国語の音を理解していないところからくる「なぜ?」という疑問を感じることとがあって、そこを考えるのが面白い。

以前「医は仁術展」で知ったことだが、「漢方」というのは、中国の医療を学んで日本人が日本国内で発展させた日本の医療行為をさしている。つまり「漢方」は中国伝統医療そのものを表しているのではない、ということと考え合わせると、極論だけれど、日本語の中の漢字は、すでに日本の文字としての意味を持っていて、日本の「漢字」だと言えないだろうか。

 

伝統の中に脈々と流れる字音や字義が、時代とともに変遷を遂げる。さらに日本では訓読みするという翻訳を行った。そこに日本の意味が加わって、言葉の奥行きが増し、異質な文化の陰影が加わると思いも掛けない「言葉の世界」が誕生する。

こう考えてみると、漢字の解釈の広さと深さが浮き彫りになるが、もともと言葉とは自由な広がりを持つものとして、改めて、言葉とは何か? 文字とは何か?を考えてみたくなる。

野口先生が、漢字の字源、大和言葉の語源をたどる面白さにハマった、その危うさも承知しながら、昏迷する世界に入り込まないことを祈りつつ、『漢字語源辞典』のページをめくる日々である。


坐禅 ふたたび 四十八日目

2019年07月15日 08時54分14秒 | Weblog

藤堂明保『漢字語源辞典』昭和40年(1965)が手に入ってから、日曜日、土曜日の朝日カルチャー「野口体操講座」で、テーマとして話をし終わると、気づくことがある。

著者の戦前、戦中、戦後を想像していると、小説を書きたくなる? 興奮を覚える。

そんなこともあって、しばらくの間呼吸が浅くなっているのを感じていた。

そこで今朝は、何が浮かんできても右から左へ、左から右へ流すことに決めて坐り始めた。

・・・・・、・・・・・、・・・・・・・。

おかげで吐く息を長く、深く吐くことが出来た100だった。

姿勢も保たれていたことに安堵。


坐禅 ふたたび 四十六日目、四十七日目

2019年07月13日 09時00分30秒 | Weblog

四十六日目は、50回を数えたころ、水道の再検診で中断。

実は、我が家は木戸の鍵を開けないと、検診ができない。

改めて坐り直そうかと思ったが、所用で出かける時間も迫って、断念。

 

今朝、四十七日目は、ただ呼吸を数えているうちに、100回となってしまった。

こういう日もある。

で、坐禅を始める前と後には体操をする。

どちらがかけても今ひとつの感があって、前後の体操と坐禅が一つのまとまりとして、からだを整えてくれるような気がしている、たぶん。


本の紹介 2冊

2019年07月09日 15時12分56秒 | Weblog

一冊めは、東京藝術大学広報誌『藝エル(うえる)』4

「東京藝術大学のいま、これから。」と副題がついている。

特集「藝大生のための 本特集」の中に『私の一冊 『「学生にすすめたい」「人生を変えた」先生にきく 私の一冊』

さまざまな科の教授・准教授に一冊をあげてもらう企画。

最後に 澤和樹(学長)『原初生命体としての人間』野口三千三 三笠書房 「体を知って 自分を知る」

《藝大生の頃に受けた野口三千三先生の「野口体操」は、最も思い出深い授業です。・・・・・》

近日中に、野口体操公式ホームページにあげたいと思いっている。

 

二冊目は、藤堂明保『漢字語源辞典』学燈社 昭和40年初版 昭和51年19版 

赤い字で《お茶の水女子大学図書館 和書昭和51年》とあり、青い字で「消印」となっている。いつ手放したのかは、わからない。

定価は、9,000円 

高円寺西部古書会で見つけて、棚の前を2、3回行ったり来たりして、清水の舞台から飛び降りる覚悟で、レジへ向かった。

「定価がついていませんが、おいくらでしょうか」

出店してる古書店主に聞いてくれた。

「エッ、500円ですか」

思わず聞き返してしまった。

内容からしても、藤堂さんにお気の毒な気がした。

索引を入れて914ページもあり、英文の概要もある立派な研究・専門書である。

自宅に帰ってページをめくってくと、読まれた形跡が全くない。

勿体無い!

この分野は本格的に取り組む学生がいないのだろうか?

 

さて、内容は、音韻論を中心とした語源、そして「単語家族」の考えによる研究等、藤堂言語(文字)学の集大成である。

この本を読んで、藤堂明保編『漢和大字典』学習研究社を引くと、字典に書かれている内容が、今までとは全く違ったレベルで理解できるようになる。

実は、野口三千三先生は、どちらかというと白川静文字学を重んじて、漢字の解釈をされていた。

『野口体操 おもさに貞く」は、白川説によって書かれているくらいだ。

しかし、この本に出会ってみると、迂闊だったと気づかされた。

藤堂言語学に真正面から向かい合わなかったことに、反省しきりである。

漢字の学びは、さまざまなアプローチがあって、たった一つの正解があるわけではない。

藤堂学説を学ぼうとしなかったことに自戒の念を抱く。

今からでも遅くはない。

 

今週、7月13日土曜日の朝日カルチャーのレッスンには、この2冊を持参する予定。

詳しい内容は、その時にさせていただこうと思っている。