羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

人生の機微にふれて磨かれる「敬語」

2007年03月31日 05時22分07秒 | Weblog
 「敬語」の話を、そろそろ終わりにしたい。
 
 実は、毎年、この時期に行われる文化庁主催「国語施策懇談会」のお知らせを戴いているが、毎回出席できるというわけではない。
 今年は、融通のきく打ち合わせの予定が入っていた。そこで打ち合わせ相手を誘って懇談会に出席することができた。
 
 連日書いている「敬語」についてだが、まとまって話を聞くことで、今まで漠然としていた「日本語における敬語」の輪郭が、すこしだけ見えてきた。久しぶりに勉強をさせていただいたという印象を持っている。
 しかし、言葉というものは、知っただけではどうにもならない。
 つまり言葉は、人生そのものだからだ。
 
 4時間30分、それぞれの立場から話される言葉と内容は、多様性があった。一つのテーマ「敬語」を語るにしても、10人いれば10人の「敬語論」が展開される。

 こうした機会を持つと、帰宅してテレビを見ているときには、アナウンサーの敬語が気になってしまった。自分の言葉にも注意が向く。しかし注意が向いたらちゃんとなるのか、というとそうは問屋が卸さない。
 一応、日本語における「敬語の世界」の奥深さと他の言語にはない味わいがあることを知ったというところで、今回はとどまっているようなわけで……。(ちょっとトホホ状態なのであります)
 
 『敬語の指針』にまとめていく過程での苦労話にこそ、日本語のもつ素晴らしさが浮き彫りにされていて面白かった。面白いなどといってしまうと申し訳ないが、皮肉なことでもある。
 
 以下、知人にあてたメール最後の部分を読んでいただき、この話はおしまいにさせていただきます。

『ところでパネルディスカッションも佳境に入って、気がついたことをお伝えいたします。
 いくつになっても「敬語」は難しいのだけれど、人情の機微に触れる機会を持つことによって、自然に洗練されていくものに違いない。そうした人生の機微がわかる人の傍にいるだけで、敬語は自然に身についていくものなのですね、と……。
 場の雰囲気を直感する能力というものは、一日にして身につくことではないので、一生かかって言葉を磨く覚悟を持ちなさいと言われたような気がしております。

 しかし、それだけでは間に合わない。
 そのときに(注:日本語学・日本語教育学専攻)蒲谷宏さんの‘複雑でありながら明快・明快でありながら複雑’に、敬語について語ってくださった内容を宝物として自宅に持ち帰りました。(注:内容は、学問的な裏打ちがされた蒲谷敬語論で、著作もあり)

 敬語を考えることは来し方を振り返ることになってしまい、青くなったり赤くなたり、心が多少乱れております。
 なんとも収拾がつかないままでのメールを、お許しくださいませ。

 ありがとうございました。
 取り急ぎお礼まで。      羽鳥操拝』

 連日、上手く表現できない上にやたら長いブログに、お付き合いいただいた読者の皆様、ありがとうございます。
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民主主義時代の敬語

2007年03月30日 08時38分29秒 | Weblog
 連日、18年度国語施策懇談会のテーマであった「敬語」をめぐる話を書いてきた。
 
 今日は、懇談会のパネルディスカッションの席上、区立中学校長・村松由紀子さんの発言を聞いて、敬語を使う大人側に問題ありと考えさせらたことから。

 村松さんによると、中学生の90%は、敬語をきちんと話せるようにないたいと思っている。実際には敬語を話せると思っている生徒は、50%以下だという。50%以下という数字には驚いた。もっと少ない、30%以下くらいかと予想していたから。
 
 で、なぜ敬語を話せるようになりたいかと問いかけると二つの答えがかえってくるらしい。
 まずは、部活において先輩に対してちゃんと敬語で話したいから。
 二つ目は、入試の際に行われる面接で、ちゃんと教養のあるところを示したいから。

 非常に実利的だが、まともな答えだと思える。人は多様な人間関係のなかで、その関係をよりよくしていくに当たって、「敬語」という言葉ツールの持つ意味を、中学生になれば知っているということなのだ。
 
 そう思っていてもなかなか身につかない。
 そこで、敬語は自然に身につくことだけに任せておかないで、学校教育や社会教育の中で、意識的に学ぶ必要があることを強調された。
 そして、学んでからは日常生活の中で試しつつ身につける機会が与えられていることが大切だということが、村松さんのおっしゃりたいことだった。
 ところがその機会を奪ってしまう出来事がある。
 それは最近の携帯電話の普及であると指摘された。
 今ではほとんどの中学生が携帯電話を持っている。このことは大きい。つまり、友人の家に電話をかけると、昔なら家族の誰かが電話を取る可能性がたくさんあった。お父さんだったり、お母さんだったり、お祖父さんお祖母さんはもちろん、自分より年上の誰かが出ることを予想しながら、電話をしたはず。その場合は、自然と「敬語」を使う気遣いというものが、全部が全部でないにしても育ったはずだ、という指摘だった。
 指摘されるまでもなく、日常のさまざまなシーンで最近失われたものに「気遣い」がある。大人たちが面倒な気遣いをしない暮らし方をするようになてしまった。
 敬語の話を書いているのに、なにやら「気遣いのすすめ」みたいな話になってしまうので、敬語に戻そう。

 ということで、この4時間30分の話を聞き、配られた「敬語の指針」77ページの冊子を読みながら、文法を知ったからといって外国語を「読み書き・聞く話す」がすぐ出来るものではないことと共通の難しさを感じた。

 さらに敬語には、地方ごとの「方言」における敬語、男女における敬語もある。 つまり社会生活のなかで複雑に絡み合った言語文化だという認識を持てば持つほど、難しくなっていく。

 古代から連綿と続いている日本語の「敬語文化」は、身分制度・階級制度に支えられた発達してきた。戦後、アメリカ型民主主義思想がもたらされ、平等社会における新しい「敬語観」を打ち出そうと考えられた答申らしい。
 しかし、実際は非常に難しい社会問題・人間問題にぶち当たって、この「敬語の指針」答申は《よりどころのよりどころ》という苦肉の言葉で、敬語の基本的な考え方や具体的な使い方を示すものというにとどまっている。

 人が人と関係を持たずに生きることは出来ない。社会を無視して生きることは出来ない。たとえ言葉の形は敬語の体裁をとっていなくても、「いい感じ」を与える人と稀には出会うこともある。しかし、ほんとうに稀なことかもしれない。
 不快感を与えない表現、その場にふさわしい関係を築くことが出来る表現が出来るようになるってことは、行き着くところ「その人がどのような生き方をしているのか」の問題に集約される。
 昨日のブログに書いた野口三千三先生の『原初生命体としての人間』第五章「ことばと動きーへの思索を、答申で盛り込んでもらいたいとさえ思った。
 表面を読めば、コミュニケーションとしての言葉を否定するかのような表現をとっている。しかし、ある表現がうまれてくる以前の「からだの実感」と「からだの直感」を、大切にする価値観というものを置き去りにしたところからは、ほんとうの意味での「言語文化」「敬語文化」は、育たないことを知ってほしい。

 ここに軸足が置かれれば、身分制度・階級制度云々ではなく、人が人として生きる尊厳を尊重する自然な「ことば文化」が育つに違いないと思っている。

 慇懃無礼にもならず、ぞんざいにもならず、ちょうどいい言葉遣いができるようになるというのは、やっぱり難しい。
 言葉は一日にしてならずーだから人間生きているのが面白いのよね、とこのごろようやく思えるようになってきた自分を省みた一日だった。

   *******

 明日は、文化庁の知人に宛てた礼状を一部公開します。
 実は、そのメール、添削して返却してほしい感じなの……で、あります。
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ことばと動き……野口三千三の場合

2007年03月29日 16時38分55秒 | Weblog
 昨日書いた杉戸発言を野口三千三先生の「ことば観」と照らし合わせてみたい。
 ある状況のなかである人間関係のなかで、ある言葉を選んでしまった・選ばなかったことによって引き起こされる結果に対して、その言葉がどのように働いたかを自覚できる能力が大切である、と杉戸さんは語る。

 たとえば敬語は、時に人と人の距離をつくることがある。「こんなに遅くまでどちらにいらっしゃったんですか」と冷ややかに妻に聞かれた状況を想ってみる。これはカッとなって「こんなにおそくまで、どこにいたのヨ!」とむき出しに問いただされるより怖い状況である。
 敬語で尋問されることによって、それまで寄り添っていた関係が、遠ざかってしまうことになるから。
 そんな例を挙げた。

 さらにある言葉を選んでしまった結果、起こった状況に耐える時間を持ちたいともおっしゃる。

 「敬語」を話すということは、かなり高度で微妙な人間関係をつくりだす文化なのである、と私は杉戸さんの話を受け止めた。
 そこで思い出されるのは、野口三千三先生の『原初生命体としての人間』第五章ーことばと動きーに書かれていたことである。
『ことばについての私の発想は「自分にとってことばとは何か」ということだけである。ことばはあくまでも自分自身の内側の問題(認識・思考・創造)であって、自分自身を確認するためにあるのだ』
 野口先生にとってことばはコミュニケーションのツールではない。コミュニケーションとしての言葉にしても、自分自身の実存を確認する一つだと捉えておられる。
 動きの本質は「内動」にあると同様に『ことばの本質は独り言(独白・内言)にある』という。
 ぜひ、第五章をお読みいただきたい。
 杉戸さんの言わんとするところと、まったく同じではないが、共通する言葉への姿勢が読み取れる。
 それは次のところにある。
『言葉を大切にするということは、ことばを選んでしまった後で、(動きを選んでしまった後で)そのことば(動き)をいくら大切にしても、もう遅い。ほんとうにことばを大切にするためには、ことばが選ばれる前の原初情報の段階を大切にしなければならない。……何かを選ぶということは、それ以外のものを選ばないということ、捨ててしまうということであるから、いったん選んだ後でも、選ばなかったもの、捨ててしまったものの中に、大切な何かが残されているかも知れないという慎重な姿勢がなければならない。』(『原初生命体としての人間』第五章)
 つまり発してしまった言葉に耐える時間というのは、何もしないというのではなく、野口先生が示されたこのことを具体的に自分がやるかやらないかにある。
 上手くいえないが、「ことばを磨く」ということはこういうことだ。

 平成18年度国語施策懇談会で語られた「敬語」は、コミュニケーションの言葉として人間関係を考えることだった。
 そこで語られた「敬語」について理解するには、野口先生の「ことばと動き」の考えと照らしたときにより深まってくれる。『原初生命体としての人間ー第五章』で語られていることを消化酵素として混ぜ合わせることで、この懇談会全体を通して「いちばん難しくいちばん大切なこと」として語られた内容を理解する助けとなってくれた。
 いや、野口先生の「ことば観」は、言葉にとって本質的・具体的なあり方を教えてくれることだと改めて認識を持つことが出来たと思っている。

 つづく
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「敬語」

2007年03月28日 19時38分05秒 | Weblog
 冊子として配られた文化審議会答申「敬語の指針」では、とりわけ「敬語の種類と働き」に新しさがある。このことは国語施策懇談会(文化庁主催)全体を通して強調された。その点が特に問題として取り上げられていた。
 
 これまでの「敬語の種類と働き」は、3種類に分けられていた。ー尊敬語・謙譲語・丁寧語ーである。
 18年度答申では、「尊敬語・謙譲語Ⅰ・謙譲語Ⅱ(丁重語)・丁寧語・美化語」の5種類に分けられるようになった。
 この説は学会ではすでに定説になっているらしい。

 刷り物を読むと次のような指摘がなされている。
『「敬語」は、「尊敬語」「謙譲語」「丁寧語」の3種類に分けて説明されることが多い。ここでの5種類は、従来の3種類のうち「謙譲語」を「謙譲語Ⅰ」と「謙譲語Ⅱ」に、また「丁寧語」と「丁寧語」と「美化語」に分けたものである。』
 わざわざ注意書きされているのだ。

 蒲谷宏(早稲田大学大学院日本語教育研究科教授)さんの私説によると、敬語は11にも分けられるという。いちばん少ない分け方では2分類だという。つまり「です・ます」と「それ以外」。
 私には、2分類という大雑把さがいいような気がした。しかし、分類というのは少なすぎても多すぎても分類する意味がないということが、蒲谷さんの説明で理解できた。

 日本語教育・あるいはコミュニケーション教育にとっては、分類することの意味は大きい。しかし、学生を卒業して社会でくらす一般人にとっては、「分類が3だ5だ」ということよりも、実際に敬語を話すときの「ことばの選び方」の問題の方が、正直いって先決のような気がしている。
 その場の雰囲気を壊さないとか、いい関係を持ちたいとか、実際の場で発せられる言葉に興味がある。

 パネルディスカッションで、杉戸清樹(国立国語研究所所長)さんが話された「この言葉をつかわなかったらどのような人間関係が生まれてしまうのか。別の人間関係がつくりだされてしまう、そのことに思いを馳せてほしい」という言葉が印象的だった。

 このパネルディスカッションは、司会・阿刀田高(作家)。パネリストは井田由美(日本テレビ報道局解説委員)、蒲谷宏、村松由紀子(目黒区立第八中学校長)の5名の方々によるものだった。
 なかなか面白い話を聞くことが出来た。

 つづく
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3月26日、経団連会館ホールへ

2007年03月27日 19時41分11秒 | Weblog
 四谷で地下鉄丸の内線に乗り換えた。
 この駅は上智大学の脇を抜けて地下にもぐる。もぐる前に土手の木々を見るのが習慣になっている。
 桜は二部咲きの木も見られたが、ほとんどの木は蕾のままだった。
 乗り込んだ電車は、霞ヶ関・銀座・東京、どんどんすすんであっという間に大手町駅に到着した。
 A1の出口の階段を昇って、左に交差点を超えてすぐ左側に目的の会館はあった。昨日、3月26日(月)の午後のことだった。
 経団連会館にあるホールに向かった私は、予定より20分もはやく到着してしまった。

 文化庁主催・平成18年度「国語施策懇談会」のお知らせを受けて出かけてきた。
 1時からはじまって5時30分まで、4時間30分の懇談会だ。
 テーマは「敬語」。文化審議会答申「敬語の指針」という冊子をいただいてあった。それにしても4時間30分というのは長丁場だ。3部構成になっているらしい。
 
 ところで事前に冊子に目を通したとき、次のような記述に目が止まった。
1、方言の中の敬語の多様性
 国内各地には、それぞれ固有の方言(地域言語)がある。そして多くの方言には、それぞれ独特の敬語が或る。中略…全国共通の尊敬語・謙譲語等に当たる言語形式を備えず、敬語が希薄だとされる地域もある。たとえば、東北地方南部や関東地方北部などである。

 野口三千三先生は、敬語の少ない地方で生まれ育ったと伺っていた。群馬県北群馬郡吉岡町である。思い返せばどんな場面でも敬語を使われることはほとんどなかった。しかし、野口先生の語り口にぞんざいで乱暴な印象を受けたことは一度もなかった。なぜだろう。この際だからその問題も考えてみたいと思って出かけてきたのだ。
 そもそも「敬語」とは、どのような働きをもつ言葉なのだろうか。
 
 それにもう一つ出かけてきた理由があった。
『人間にとって「からだ」と「ことば」は、専門家に任せたままでいいわけがない。常に自分自身の問題として、考えていきたい』
 野口先生は「からだ」と「ことば」を探ることを最後まで続けられた。
『原初生命体としての人間』岩波同時代ライブラリー版「あとがき」のなかで、次のように語られている。
『私にとってことばを探ることはからだを探ること。からだを探ることはことばを探ること。からだを探るということは、複雑極まりない自然のもの(構造)・こと(機能)としてのからだから何事かを実感することだ。からだで実感したことをことばで確かめる。その作業は、そのつど新しくことばを探ることなしには成り立たない』

 「国語施策懇談会」に出席する人とおぼしき数名と乗り込んだエレベーターは、14階に直行した。
 受付は「アイウエオ」順に分類されていて、私は「ナーワ」という表示がなされているいちばん左の列に並んだ。
「羽鳥様ですね」
 担当者は、名簿に記されている私の名前の上に、黄色いマーカーで線を引いた。
「どうぞ、会場にお入りください」
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花見の近景・花見の遠景

2007年03月25日 14時24分07秒 | Weblog
 こちらの花見の句

  四つごきのそろはぬ花見心哉

 上野で、人々が幕を張って花見を楽しんでいる。こちらは食器もそろわない貧しさだが、これこそ私の花見心だ。

 あちらの花見の句

  花の雲鐘は上野か浅草歟

 「歟」は「か」と読む。対岸の上野・浅草方面は花も朧、鐘も朧の春景色で、鐘声の寺すら定かではない。

  以上、『芭蕉前句』袖珍版 堀信夫監修より。

 上野の花見風俗を写したといわれる「長唄・元禄花見踊り」の音楽が聞こえてきそうな句ではありませんか。
 江戸期、山は上野・川は隅田川。
 江戸っ子は花見衣装を新調したそうな。
 幹から幹へ掛け渡し粋な小袖を幕にして宴を催す人々もいて。
 江戸の桜は「士農工商」という階級制度への抵抗として、ますます盛んになっていったそうだ。
 
 江戸桜は「人の世の花を享楽しようという、現実的な陶酔への触媒でもあった」というのは、明治生まれの国文学者・富倉徳次郎だ。

    ********

 江戸桜は、近代の桜よりも平和そのものであった。芭蕉はそれを詠んだ。
 それに引き換え、近代においての桜は、潔く散りゆく姿にかけて、戦場に散った若き人々に重ねる。
 遠景に見る江戸の桜に比べて、近景の桜花はあまりにもむごい。
 二度と戦場に若者を送り出してはならないと、今年も、桜は語りかけてくるに違いない。
 空間的な「花見の近景・花見の遠景」に対して、時間的な「花見の遠景・花見の近景」は、桜花が象徴する時代を見事に映し出してくれる。
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爛漫の春

2007年03月25日 09時12分45秒 | Weblog
 コノハナサクヤ姫とは、日本神話に登場する美女。ニニギノミコトがカササのミサキで出会った姫と言われている。この美少女「サクヤ」とは、一説によると咲きにおうの意味で「さくら」も同義語らしい。
 桜は、太古の時代から、大和の国・日本にあった木だ。

 さて、ずっと芭蕉の桜を追っている。
 堀信夫監修『芭蕉全句』袖珍版 小学館より。
 
 今日は、日本の花・桜を守る人々を読んだ句から。
  
  一里はみな花守の子孫かな

 伊賀花垣荘(三重県)は、一条天皇の后が八重桜の料として興福寺へ寄進した地。村人は皆、花守の末裔なのだろう、という一句。「一里」は、と「いちさと」

 同じ元禄三年の句。

  四方より花吹き入れてにほの波

 満開の琵琶湖の四方から、花吹雪が湖へ繽粉と吹き入っているさま。
 (「繽粉(ひんぷん)」とは、多くのものが入り乱れるさま。花・雪などの入り乱れ落ちるさま。広辞苑)
 「鳰(にお)」「鳰の海」とは、琵琶湖の別称。

  花見にとさす船遅し柳原

 花見に出かけようと、船に乗る。青々とした柳原の岸辺に沿って、船はゆっくりと棹をさして進んでいく。元禄七年。

  ******
 
 花の味わいも、これで一入。
 お江戸は春は、これから爛漫。


 

 
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花の駆け落ち…吉野桜

2007年03月24日 08時11分18秒 | Weblog
 名古屋御園町の米商・杜国、本名坪井平兵衛。この若い大旦那は、身のこなしも洗練されていた。そのうえ心やさしく気高い青年で、まさに芭蕉好みであったという。ご法度に触れ流罪となったその人を芭蕉は連れ出し、吉野の桜へと誘う。
 杜国(とこく)あらため万菊丸と名乗って、芭蕉に従い「禁断の旅」に出る。

 …いでや門出の戯(たはぶ)れ事せんと、笠のうちに落書きス。
  乾坤無住同行二人

  吉野にて桜見せふぞ檜の木笠    芭蕉
  吉野にて我も見せふぞ檜の木笠   万菊丸

 
「ともに檜の木笠に呼びかけているが、これはどう考えても駆け落ちカップルが心中するような遺書ではないか。」
 そう書くのは、『悪党芭蕉』の著者・嵐山光三郎。
 この旅がばれてしまうと、芭蕉その人も咎を受ける。
 紀行『笈の小文』は、そんな事情から、生前発表されることはなかった。

 吉野の桜は、人を惑わすものなのね!
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夜桜

2007年03月23日 14時03分53秒 | Weblog
 上野・鶯谷は、満開の夜桜に明るく華やいでいた。
「こんなときに亡くなるなんて、毎年の春が悲しいものになる」
 桜の通夜の帰り道々。
 弥生最後の日。
 あの年の桜は、早咲きだった。あれから九年。
 
 今年の桜は、涙に翳むこともなく、見ることが出来そうだ。
 時の流れが人の悲しみを、洗い流してくれる。
 懐かしい桜。
 懐かしい人。

 さて、今日は、芭蕉の一句。
 満開の夜桜の上にかかる朧月夜の情景。

   暫くは花の上なる月夜かな

 寛永寺の墓所、桜の下に眠る野口三千三先生。
 早蕨忌は花の季節でもある。

 
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桜・さくら・桜かな

2007年03月22日 19時40分51秒 | Weblog
芭蕉 さくらづくし

命二ツの中に生きたる桜かな…水口の桜を中に旧知と再会…

鸖(こふ)の巣に嵐の外のさくらかな…高みにコウノトリの巣が望める山家… 

さまざまの事おもひ出す桜かな…藤堂良忠の別邸に招かれて…

木(こ)のもとに汁も鱠(なます)も桜かな…桜花の下で酒宴をはれば…

おもひ立(たつ)木曾や四月のさくら狩り…お暇をして夏浅い木曽路に分け入り…

似あはしや豆の粉めしにさくら狩り…花の下に珍味酒肴を並べる花見とは異なり…

桜がりきどくや日々に五里六里…桜狩りとなると五里や六里を平気で歩き…

声よくはうたはふものをさくら散…舞い散る桜の花びらに…

春の夜は桜に明けてしまひけり…春の夜の帳が揚がると一面の桜が…

ゆふばれや桜に涼む波の花…西行桜の下で涼んでいると夕日で波が花のように…

木の葉散る桜は軽し檜笠…桜紅葉もよかろうと吉野に分け入り一息入れていると…

よし野にて桜見せふぞ檜の木笠…道連れとなる檜笠よこころゆくまで桜花を…

桜より松は二木を三月越し…江戸の桜のころから待望の武隈の二木の松を…

としどしや桜をこやす花のちり…桜は満開となりそして散り、肥やしとなって…

 堀信夫監修『芭蕉全句』袖珍版 小学館 より

 「袖珍」とは、「袖珍本」の略。懐や袖の中に携行できるところから、ポケットに入るくらいの小型の本。
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その物より出づる情

2007年03月21日 19時42分59秒 | Weblog
 朝の天気予報を聞いていたら、今日は墓参り日和だと言っていた。 
 それなら墓参りににしようか、植え替えをしようかと迷った。迷ったが、故人をしのんで植え替えをすることにした。
 
 松は8鉢、真柏は小さい鉢を2鉢、寄せ植えの大きい鉢を1鉢植え替えた。
 真柏は、3年前に一度植え替えた経験があった。しかし、松は生まれてはじめてのことだ。
 前日から、父が残したメモや盆栽の本を読み直して、イメージを膨らませた。
 経験のないことは、読むだけだということに気づく。

 最初に真柏を植え替えた。前回より楽にできた。最後にミズゴケをのせて灌水し、一週間は日の当たらないところに避難させておく。
 これはまぁまぁだった。

 それから松の小さい鉢からはじめた。
 驚いたことは、根の巻き具合だった。鉢の形にぐるりと根が巻きついている。長四角の鉢の形そのままなのだ。びっしり根が伸びて長いものは木の高さの2倍以上になっている。土はほとんどなくなっているのだ。
 
 次々と鉢から松を取り出しながら、根の状態を見ていく。どの松もしっかりと根が巻きついている。
「根回し」と言う言葉があるが、移植する際に根の周りを掘り起こして、中心の根以外を切り落とすことを言うらしい。確かに何本かの太い根を残して、周りの細い根をきりつめてみた。

「松や真柏は、難しいからね」
 初めてその意味がわかった。いままで植え替えてきた「もみじ」「欅」楡欅」「くちなし」「花梨」「木瓜」といった木々とは、桁違いに根が張っているし、その根も太いし、しっかりしていてなかなかは鉢から取り出すことが出来ない。
 首尾よく取り出せても、根の周りの土をほぐし、余分な根を切り詰めるまでの作業は、根気よくやるしかない。
 今までとはまったくステージが違う。
 松は強い! と言うのが実感だ。初めて知った。

 この根の状態を見ることによって、水遣りの意味も変わってくる。木の生命力は、樹木によって質が異なる。うまく言葉にはならないのがもどかしい。
 自然のままの木がどれほど根をおろすのか、これで予想が立つのだろうか。いや、甘い。大きな樹木を掘り起こして見なければ、ほんとうのところはわかるはずがない。
 盆栽を不自然だと言う人もいる。私もそう思っていた。しかし実際に植え替え作業をしてみると、植物の見方が変わる。植物の命のありようが見えるようになる。それも徐々にだが。

 今年は松を手がけてよかったとおもっている。自然とはこういうことなのだ、という「こういう」中身が見えるようになった。察しがつくようになった。
 しかし、枯れずに生きてくれるかどうかは、まず、一週間様子を見ること。

 いちばん大切な古木の松を植え替える前には、仏壇に手を合わせた。そうしないとうまくいかないような気がしていたから。
 4鉢目に植え替えた松のねばりが凄くて、鉢から出すのに大変だった。
「5年後には、もう、植え替えは出来ない」
 そう思えるほどだった。
 その後に控えている鉢はどれも大きいし、難しいものばかりだ。

 下腹に力をこめて、植え替えを続けた。
 なんと、後のものはそれ程のことはなく、楽に植え替えられた。つくづく先の予想はたたないものとおもった。その都度、新しくことに当たるという野口三千三先生からの教えは正しかった。やってみなければわからないのだ。どれも同じとは限らない。ひとつひとつ違う。

 父が盆栽を残してくれたお蔭で、今年の春分の日は、故人をしっかりと偲ぶ一日を過ごすことが出来た。

「松のことは松に、竹のことは竹に」と言ったのは芭蕉だ。
「その物より自然に出づる情」と言う意味が今日はちょっとだけわかったような気がしている。
 
 松と格闘して、手に傷を負って、急に情が湧いてきた。
 何事も自分で手がけてみることの大切さよ!
 
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簡単・便利・早い……そして美しい

2007年03月20日 19時22分36秒 | Weblog
 3月31日に予定されている「ヨガと野口体操」の資料コピーをお願いした。
 今朝、朝日カルチャー・野口体操講座を終えて事務所に立ち寄る。
「こんなに綺麗にコピーできました」

 コピーを見て驚いた。美しいのである。
 野口体操公式ホームページにある「羽鳥操のエッセー集」からリンクさせているPDF資料から直出し印刷である。省エネルギーセンター月刊誌2006年9月号に掲載された「時世の地平線・その三十三ー社会の省エネを道開く”からだの省エネ”」のインタビュー記事である。

 こんなに美しくコピーできると、雑誌の世界は変わるだろうと思えてくる。
 本と変わらない印刷なのだ。一つの条件としては、コピー機の性能がいいこともある。
 しかし、これは単にコピーではない。むしろ「ほんもの」なのだ。いやいや、そういった表現は適切ではないかもしれない。或る意味での「ほんもの」なのだ。

 デジタル化とIT化の進化は加速されて、世の中をどんどん変化させていく。
 以前「軽・薄・短・小」という現象とものがあった。
 いまや「簡単・便利・早い」そして「美しい」。

 いやはや、いやはやである。
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野口体操公式ホームページ

2007年03月19日 10時25分45秒 | Weblog
 1998年、野口三千三先生の四十九日がおわって、追悼からはじめた「野口体操公式ホームページ」は、3月で満九年を迎え、10年目に突入した。
 2002年に、ホームページを一度リニューアルしたが、それからすでに5年が経過した。月並みな言い方だが「光陰矢のごとし」。

 1998年当時は、まだまだホームページの浸透は、今の比ではない。ある有名政治家のホームページを作ることになった方が、私たちのホームページを参考にされたという時代だったから、往時を思い返せば隔世の感がある。

 いまやホームページにブログにと法人も個人も参入し、百花繚乱のインターネット仮想空間である。そんななか私たちのホームページも、少し手を入れてみようということになって、最近の傾向をリサーチし始めた。

 メーリングリストなるものを活用して動き出しているのだが、非常に便利なのである。コンピューター世界に明るい私の若い知人を中心に、「野口体操の会」の二人の男性に加わっていただいてリニューアル方法と中身を検討している。
 
 今のところは、現在のホームページを、少しずつ手直ししていただいている。
「羽鳥操のエッセー集」には、財団法人・省エネルギーセンターの月刊誌「省エネルギー」2006年9月号にリンクした。「社会の省エネを道開く”からだの省エネ”」と題して、羽鳥へのインタビュー記事。ファイルはPDFというもの。編集者の方が、昨年、使ってくださいと送信してくださってあったもの。機種によっては、羽鳥の写真が画面いっぱいに映し出されて、度肝が抜かれるそうだ。私の場合には四分の一くらいに縮小されて、それほど驚かないで見られる。ところが文字が小さくて読みにくいのだ。そこで否応なしに拡大すると、写真もいっしょに大きくなるのよね。これはドッキリ。
 
 ところで、今使っている私のパソコンは、2002年のリニューアルにあわせて買いなおしたものだから5年使っている。
 先日、佐治嘉隆さんとの話の途中で「まだ、先のことだけれど、やっぱりMacに戻ろうかしら」と口が滑ってしまった。するとものすごく嬉しそうな笑い声が、受話器の向こうから聞こえてきた。
 きたむらさんのブログ「健康誌デスク、ときどきギタリスト」に、iMacを衝動買いされた話が写真付きで載っていた。その記事に寄せられたコメントを読むと、「ウィンドウズもインストールできるんですよね」というようなことだった。

 とにかくホームページのデザインにも、流行があるらしいことを知った。
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自動交付機

2007年03月18日 20時13分39秒 | Weblog
 先日、区役所から一通の手紙が届いた。
 内容は、「自動交付機による住民票の発行について」というもの。
 実は「羽鳥」の「羽」の文字は、住民票や印鑑登録証明書の文字が「羽」ではなく「○」(このコンピューターには入っていない)、下向きの「はね」に変わった。

 変わってから何年過ぎただろうか。せっかく自動交付機で発行できるカードにしたのに、文字が入力されていなくて、機械を使うことはできなかった。
 
 区役所以外、区内に16箇所も自動交付機が設置されているのに、必要になるときは、わざわざ区役所に出向いて、手書きで書いてそれをカウンターに出して住民票や印鑑登録証明書をもらっていた。
 この場合機械扱いで手数料金は、一通200円でもらえた。

 ようやく自動交付機の入れ替えに伴って、新しく「羽」の文字が、この「羽」ではなく「○」に変換されたらしい。
 これで、近くにある自動交付機で、取れるようになった。

 自動交付機が使えるようになっても、住民票も印鑑登録証明書も、両方ともかなり凝った暗号なので、覚えていない。どうしようかな。どこかに書いてあるのだけれど、見つからない。なんというか、カードと暗号ばかり増えて、覚え切れない話を以前このブログにも書いたが、全部を同じ暗号には出来ないし、これ以上カードが増えないで・増やさないで暮らしたいと思う。しかし、こればかりは世の中の流れで逆らってもしかたがないと諦めるしかないようだ。
 見つけ出して、どこかにそれとなく全部の暗号を書いておく必要がありそうだ。いざというときに困ってしまう。

 しかし手書き文字についても、羽鳥の「羽」の文字を、ずっとこの形で書いてきたので、新しく書き方に慣れるのに時間がかかりそうだ。でもどうしてこのコンピューターにはいっていないのかなぁ~。

 新しいMacはどうなのかしら。
「hatori」とうっても羽鳥と出る。「hadori」とうっても羽鳥と出る。
「羽」の文字も二つ入っていればいいのにね!
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いよいよ隠居?

2007年03月17日 08時42分32秒 | Weblog
「よくなさいますね。お手入れ」
 植え替えをしていると、通りかかった近所の人に話しかけられる。
 父が同じように手入れしている姿を見守ってくれていた人々だ。
 
 昨日は、隣のお兄さんが
「いよいよ隠居の準備?」
 お兄さんといっても血がつながっているわけではない。
 ただ、若いころから「お隣のお兄さん」と言っていたので、60歳過ぎてもそのままお兄さんなのだ。

 お兄さんといえば、最近になって、ふたりそうお呼びしたい方にであった。
 一人は、今度対談が予定されている龍村修さん。打ち合わせの話し合いで、とても和やかに通じ合うものがあった。
 もう一人は、携帯の話にご登場になった、ある宗匠。
 1・2年しか年は違わない。

 さて、そろそろ隠居? なるほどね。それにはいくつかやっておかなければならないことがありそうだ。
 盆栽の手入れは、まずクリアしたとして、後は何かな。

 いちばんは、野口体操をどのように手渡していくのか、ということに尽きるかもしれない。無事に隠居生活にはいるには、ここが問題だ。
 4月8日になれば58歳。
「還暦まで、2年か」
 なんとなく間尺に合わない感じ、なのだ!

「50過ぎたら、余生ですよ」
 数年前に、ある御仁からそう言われて気が楽になったことがあったが、しかしである。
 
 まぁ、そんわけで今日もこれから朝日カルチャーのレッスンを、気合を入れてやってこようと、下腹にぐっと力をこめたものの「そろそろ隠居」という言葉が耳について離れない。
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