母の一周忌法要がとどこりなく終わった。
思えば、昨年の立春の朝に母は静に息を引きとった。
通夜・告別式、そして3月の納骨まで、あれよあれよと過ぎてしまった。
それから10ヶ月余り。
その間、母が亡くなった実感が、なかなか持てないまま過ごしていた。
徒歩10数分のところのにある老人施設で、生きているいるような気がしてならなかった。
ところが、昨日のこと母が眠る寺の本堂で、住職さんが唱える追善法要のお経を聞くうちに、今まで経験したことがない心の穏やかさを感じていた。
参列してくれた親戚の者とともに、墓に花を手向け、線香を焚いて、手を合わせた。
それから和気藹々とした会食。
寺の開館を出た時には、無事に法要を終えた安堵感に包まれた。
翌日の今日、寒さが少し緩んだ午後、散歩に出かけた。
柔らかな日差しを受けて、一歩、また一歩。
なぜが、歩みを進める足が、軽い。
母は亡くなった!
肩の荷がおりている!
ひしひしと実感がわき起こってきた。
公園を出て、住宅地に差しかかったとき、目の前に小さな祠を見つけた。
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今までも目にしていたのに、足を止めることはなかった。
穏やかな気持ちでシャッターをおした。
ぐるりと街を巡って、自宅まで程近い植え込みに蕾が膨らんでいることにも気付かされた。
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花の香りで春の彼岸を知らせてくれる沈丁花だ。
こうして母の死を全身で受け止めることができた午後の散歩。
わたしに残された時間は短い。
なぜか しっかり おだやかに 生きられるような気がしてきた。
立春は近い!