羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

坐禅 ふたたび 二十一日目

2019年05月31日 09時23分19秒 | Weblog

今朝は、訳あっていつもの座敷でなく、玄関から入ってすぐの蔵前で座禅を行った。

床に何も敷かず、直に坐っていると、下から冷気が伝わってくる。

ところが、背筋の位置が崩れない。

いつもなら数十回を数える頃には、からだの長軸がずれるのを感じて、骨盤を立て直す動作が入っていた。しかし、100回数える程度の時間ならば、全くのその必要を感じなかった。

床の堅さが自分がここに居る、という自覚を丸ごとのからだに伝えてくれていたような気がする。

これからの季節なら、朝のうちにここで坐禅をするのは良さそうである。

スヌーズレンという考え方がある。

感覚過敏の自閉症児や、重度の障害をもつ人が、落ち着くことができる部屋を用意する。

昨日のニュースでは、外国の例だったが、サッカー場に音を遮断して試合を見ることができる部屋と、その脇にスヌーズレン効果のある部屋まで準備して、観戦を楽しんでいる親子が紹介されていた。

感覚過敏ではない私だが、静かな空間で坐ることの気持ち良さを体感できた二十一日目のことの報告です。

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坐禅 ふたたび 二十日目

2019年05月30日 09時35分32秒 | Weblog

昨日は、授業の他によんどころない用事があって、坐禅をする時間が取れずに終わった。

1日休むと自分にわかり、二日休むと先生にわかり、三日休むと観客にわかってしまう、というバレリーナに言い伝えられていることを思い出しつつ、体操の後に坐り始めた。

休みを入れるのも悪くないかな、と思える。

呼吸は整って、最後まで一つのリズム・テンポで通すことができた。

さらりとした空気、梅雨を前に貴重な晴れ間は、坐っていても気持ちがいい。

雨は雨でしっとりとして良いのかもしれないが。

何事もなく、無事100回を数えた。

明日に続けよ!

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坐禅 ふたたび 十九日目

2019年05月28日 09時08分42秒 | Weblog

背中に受ける風を味わいながら、気持ちよく坐っていた。

吐く息を数えて88回目で、はたっ、と気づいた。

鼻からだと吐く息が短くなる、と。

そこで細く長くゆっくり丁寧に、最後は腹筋を少しだけ意識して、つぼめた口から吐くことにして、100回を数え切った。

単純に息を数える行為の中にも、微妙な身体感覚に差異を感じるようになっている。

 

同時に、外の変化にも敏感になってくるようだ。

曇りから薄日になるに従って風が変わった。

その移ろいを味わっていた。

時に強く、時に弱く、時に柔らかく、時に巻き上げるかのように・・・・背中に感じる風に色彩を見ていたような気がしている。

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坐禅 ふたたび 十八日目

2019年05月27日 16時31分14秒 | Weblog

午前中に所用を済ませて、午後の届け物を受け取ってから、体操と坐禅を行った。

本日の収穫は、その日の坐禅でどのような坐り方になるのか、やってみなければ予測はつかないこと。

 

実は、少々の疲れもあって、夕方に近いし、今日は途中でやめたくなのではないか、と思いつつ始めたのだが100回に到達できた。

かなり整った感じで、続けられたのである。

 

坐禅を一応終わりにして、再び「真の動き」を行った。

腰から脚にかけて、それまで圧迫されていた筋肉に、一瞬にして血液が流れ込んだ。

血流に誘発されて、筋肉がぷるぷると、ほぐれるのを感じた。

坐禅をする前も体操は大事なのだが、組んだ脚をほぐしてからの体操も大事だ、と実感が得られた。

「真の動き」を中心に、「やすらぎの動き」「前後開脚」等々、「上体のぶら下げ」をして、「ひかがみ(膕)」を伸ばして終えた。

 

夕方も悪くないねー!

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坐禅 ふたたび 十七日目

2019年05月26日 08時44分44秒 | Weblog

本日は、昨日と打って変わって、気持ちよく坐ることが出来た。

吐く息を数えること100回。

終わってから、「真の動き」仰向けになって、足を膝から曲げて、腰を巻き込んで、足を頭の方へ。つま先がついたら腰から力を抜いて膝を床に委ねる。

丸まった背骨(この言い方でいいのかな?)が足腰の重さで曲線を描くような感じ。野口先生は『野口体操 おもさに貞く』の中で「胎児の動き」と言っていただろうか。

次に「やすらぎの動き」からうつ伏せ状態から背骨をそらせる動きに移った。

その瞬間

「脊椎動物だ!」

初めてそうした実感が得られた。

今、背骨はすっきり立っている。

正座でキーボードを打っているのだが、気持ちがとてもいい。

以上、今日の坐りには、言葉はいらなかったかも?

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坐禅 ふたたび 十六日目

2019年05月25日 09時28分40秒 | Weblog

毎回、体操は「やすらぎの動き」から始める。

床に腰をおろしてゆっくり足を開き、おへその下から向きを変えて、順繰りに上半身を床に委ねていく。

今朝は、驚くほど腿の裏側、内転筋群を中心にして、いい感じであった。

ガチガチに硬過ぎもせず、ゆるゆる緩み過ぎもせず、充実感すら得られた。

これはいける!

しばらく体操をして、ほぐれたところで、いざ、坐る。

30を数える頃までは、よかったのだが、それからがいけない。

意識がからだのあちこちに飛びすぎる。

どこか一点に留まってくれないか、と思うのだが、思うように意識をまとめることが出来ない。

右の二の腕の前側に痛みがある。

いやーな感じだ。

意識をそらそうとすると、これがいけない。

じわー、と芯から痛みが自己主張する。

諦めていると、猛烈な眠気に襲われた。

45、47、50、・・・・・

それでもひたすら吐く息を数え続けた。

71、72、73、・・・・・・

そうするうちに100回。

逃げ出すように足を崩した。

そいて「やすらぎの動き」や「真の動き」など、体操をしているうちに、気持ちが落ち着いてきた。

最初の良さそうな予感は、なんだったのか。

まっ、こんな日もあるさ、と忘れていた書類に名前を書いた。

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坐禅 ふたたび 十五日目

2019年05月24日 09時10分38秒 | Weblog

体操をしてからだをほぐし、坐禅を始めた。

吐く息を数回ほど数えるうちに、胸の奥からこみ上げるものがあった。

数えながらも感情をそのままにしていた。

すると涙がポロポロと頬を伝うのを感じた。

思い出すことがあった。

・・・・・昨日、母を連れて施設近くの公園に出かけたときのこと。

公園に入って間もない時に、二人の中高年女性に出会った。

見ず知らずの方だったが、公園では自然に挨拶を交わす習慣ができている。

ひとしきり公園内をまわって、噴水のそばにさし掛かった時、若い女性が母のそばに寄ってきて、ひざまづきなら話しかけてくれた。

話すうちに、帝京平成大学・児童学科・小学校特別支援コースに学んでいる一年生であることがわかった。

「共生社会・・・インクルーシブな社会に、大切な学びを選ばれたのね・・」

「はいッ、頑張りまーす」

嬉しそうに見送ってくれた。

そこからほんの少し車椅子を押すと、最初にあった女性二人が、椅子代わりの石に腰掛けていて、話しかけてくれた。

母は耳が遠くて、私が通訳をする。

「お元気そうですね」

「はい、おかげさまで」

母ははっきり答える。

一人の女性が手を差し伸べて、母と手と手を合わせてくださった。

その瞬間、彼女の目から大粒の涙がこぼれてきた。

「どうしたの」

母が心配そうに言葉をかけた。

とっさに隣に腰掛けていたお友達がいう。

「最近、お母様を亡くされたの。思い出してしまった・・・・」

また、通訳をする。

彼女の感情がより高ぶってきたのを感じた私は、右手をとって、左手も添えて、両手で彼女の心を包み込んだ。

何も言葉はかけられなかった。

だって、私にも覚えがある感情のふくらみだったから。

木々の間を抜ける風すら、気遣ってくれているような吹き方だった。

しばらくしてたかぶった感情が元に戻るのが伝わった。

目と目で、挨拶をしてその場を離れた。・・・・・・・

 

30分にも満たない公園での時間。

二十歳になるかならないかの若い女性の優しい気持ちにふれ、母を亡くしたばかりの中高年女性の寂しさに触れた。

母は瞬間瞬間に反応するだけで、すぐ忘れてしまう。

それでも、俳句的感情の交流がもたらしてくれた、えも言われぬぬくもりの刻を、共に過ごせたことは忘れ難い出来事だった。

 

坐りながら、吐く息を数え続けていた。

母はまだ生きている!

「耳は遠くてもいいんです。お元気で生きてらっしゃるじゃない・・・」

彼女の言葉が耳の奥でこだました。

出会った女性の涙の意味をもう一度、私は確かめた。

100回を数え終わっても、やめる気にはならなかった。

吐く息を数えないまま、しばらく坐り続けた。

坐禅 ふたたび 15日目の朝であった。

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坐禅 ふたたび 十三日目・十四日目

2019年05月23日 10時06分38秒 | Weblog

昨日は、比較的早い時間に座っていた。

ところが、吐く息が続かなかった。

落ち着かなままとにかく100回を数えて、お粗末な坐り方となった。

 

本日は、打って変わって、実に静かにゆっくり吐くことができるのだ。

30回を数えるころには、おへその真後ろ、野口三千三先生命名の「そへ」への意識が芽生えた。

すると背骨全体が姿を現してくれた。

盆のくぼ・そへ・恥骨の中心、それら3点を同時に感じることができて、さらに背骨のつながりが明確になってくる。

からだへの意識が持てると、なぜか吐く息が定まってくる。

襖を閉め、南側の雨戸も締め切ったまま、東かがわの障子越しからだけ、柔らかな朝の光が入ってくる状態で坐っていた。

明るすぎず、暗すぎず、部屋に溶けけむ自分の存在を感じていたような気がしている。

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坐禅 ふたたび 十二日目

2019年05月21日 09時14分36秒 | Weblog

本日は、前半の50回を数える間は、いい感じの呼吸が続いていた。

落ち着いて、ある一定の心地よいリズムで、息が吐けたのでである。

ところが後半の50回に入った途端に、背骨の伸びが急に変形して行った。

同時に呼吸が崩れるのである。

さらに30回を過ぎるころには、腕の痛みを感じて、そのままの姿勢での中で、腕を少しずつ動かしてしまった。

なんとか最後の50回目を吐ききって、それから数えることはせずに、しばらく坐り続けた。

ゆっくり脚を崩して、このままでいけない、と床に座した姿勢や、仰向け姿勢等々、座禅を始める前に行なっていた体操に戻ってみた。

はて、なぜだろう。

最初に行った時よりもよくほぐれるのである。

よく伸びるのである。

短い時間だったが、気持ちよく体操ができたのだ。

同じ繰り返しだが、これほどまでの違いに、驚いている。

 

座禅の間、「死語」になった言葉について考えていた。

言葉が失われるということは、実態・実体が失われること。

「ひかがみ(膕)」「東亜」「省線」

バラバラな言葉たちだが、土曜日・日曜日のレッスンで、意味を説明し、体操で試し、また「時刻表」を見ていただいて、私の中で深まって行くのを感じている。

特に「ひかがみ(膕)」については、なかなかの発見があった。

この件は、改めて書きます。

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坐禅 ふたたび 十一日目

2019年05月20日 08時57分55秒 | Weblog

途中で気づいた。

今日の坐禅は、吐く息に魂がこもっていない、と。

せめて最後の10回だけでも、万感の思いを込めて(ちょっといいすぎかも)吐く息を数えた。

脚の痺れはほとんど感じない。

ただ、息を吐く。

吸うときは、肋骨の下6対に気持ちを添わせる。ただそれだけ。

本日は、以上。

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鐡道時刻表 

2019年05月19日 09時36分34秒 | Weblog

昨日、朝日カルチャーセンター「野口体操講座」に、「復刻版 鐵道時刻表」を持参した。

大正、昭和一桁、昭和二桁、そして昭和20年7月までの6冊プラス1枚である。

準備している時には、あまりにも重いので、昭和二桁を持て行くだけにしようかと迷った。

しかし、私が受けた驚きを伝えるには、全てをご覧にいれたい、と思い直した。

正解でした!

皆さんの関心は非常に深く、驚きに満ちた声・表情、そしてそれぞれのつぶやきが、実に貴重な実感を持たれたを示していた。

手にとって、ページをめくって、初めてわかることがある。

野口三千三先生は「実感」のないところでは全ての理論は空論となる、というようなことをおっしゃっていたことを思い出した。

実際に見ていただいて、その意義深さを感じたレッスンだった。

明治以降の日本を、戦前・戦中の日本を、鐵道を通して認識を新たにしていただけた。

終戦と同時に連合国軍GHQの占領政策の中で、禁止された様々な事柄を改めて浮き彫りにすることで、戦争の真実をごくわずかでしかないが、垣間見ていただけたような気がしている。

社会のあり様が鐵道時刻表に、ありありと現れているのである。

新宿駅までの道すがら、「よいお買い物をなさいましたね」と言われた。

その言葉が全てを語ってくれて、嬉しく思えた。

本日のレッスンにも持参しようか、と思っている。

これは手に取って見ないことには、伝わらない・・・・・。

久しぶりに驚きの復刻本だ。

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坐禅 ふたたび 十日目

2019年05月19日 08時41分06秒 | Weblog

今朝の空気には、梅雨入り前の貴重な爽快感があった。

坐っている右側が東だけれど、そちらから太陽の光が差してくる。

と思うと、雲がかかるのだろうか。障子をすかす光線が、一気に暗く沈んで途絶える。

その繰り返しの中で、静かに100回、吐く息を数えた。

20回くらいで口の中に唾がジワーと溜まってくる。それをそっと飲み込む。

飲み込む、というほど多くはない。

そとは静かだ。

窓は開け放たれているのだけれど、時に隣家の子供の声が聞こえたりしたが、生活音は全く聞こえてこない。

静かだ。

坐禅を始める前に、いくつかやっておきたいことに気づいていた。

これまでなら、それを終えてからにしようと思って、すぐさま取り掛かっただろう。

本日は違った。

終わってから、ゆっくりすればいいと、急く気持ちは起きなかった。

自分にとって何が大事なのだろう。

ぼーっとだが、それが見え始めたような気がしている。

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坐禅 ふたたび 九日目

2019年05月18日 09時24分50秒 | Weblog

こんなんでいいんだろうか。

今朝は、吐く息を数えながら、野口三千三のことを思っていた。

昭和19年、春、ふるさとを離れた駅は、前橋か それとも高崎か・

そして乗り込んだ汽車の中で、何を考え、何を後悔し、何に希望を見出し、どのような思いで東京の向かったのか。

 

11、12、13、14・・・・・吐く息を数える。

ここから戦後の「野口体操」が始まるのか。

終戦を前に、すでに野口体操の萌芽はこの汽車の中にあったのではなかったか?

 

17、18、19・・・・・25を過ぎる頃に、急に亡くなる一ヶ月前の出来事を思い出した。

真夜中のこと、ベッドの上に急に仁王立になってしまった。

膝を折ることができなくなった。

看護師さんと私が支えながら、座るようにと促すが、意識は宙をさまよっているようだ。

 

27、28、29、30・・・・・あの時、冷凍庫にチョコレートでコーティングされた一口チョコレートが入っていることを思い出したっけ。

37、38、39、40、41、42、43・・・・・・・。

 

私は先生の唇にアイスクリームを当てて、舌に乗せるように誘導した。

50、・・・・1、2、3、4、5・・・・・・50回を数えたら、1に戻ることにしている。

先生はかなりのスピーとでアイスクリームを噛んでくれた。

噛み始めたら、意識が徐々に地上に降り始める。

 

39、40・・・・・・

ようやく膝を折って、崩れるように座ってくれた。

 

42、43、44、45・・・・・・

静かに横になってもらったものの、しばらくすると痙攣が起こった。

 

46、47、48、49・・・・・・

医師が呼ばれて点滴が始まった。

50、これで100回である。

 

私はそこで脚をもどした。

坐禅の間、吐く息を数えながら、上京時へと想像力をめぐらせた。

するとどうした加減か、戦後を一気に飛び越えて、最期の先生を思い続けていた。

 

今、背骨は、坐禅をする前と全く違う。

今、すっきり立っているのである。

現実に戻ろう。

さぁー、朝日カルチャーレッスンのレジュメの印刷に取り掛かろう。。。。。。

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「野口体操の会」と早蕨 報告

2019年05月17日 13時38分44秒 | Weblog

会報「早蕨」Vol.5 は佐治さんの手を離れて、データ入稿が終わった、という知らせを昨日いただいた。

予定通りいけば5月26日には、我が家に届くらしい。

発送準備のために、31日(金)に、数名の方が我が家に集まる約束になっている。

 

これまでの歩みを振り返ってみると、2017年に「野口体操の会」を発足してから、会報「早蕨 SAWARABI」は5冊発行。

会員の学びと親睦を兼ねた「早蕨塾」は、4月28日劇団文化座での佐々木愛さんの「私と野口体操」で、計6回開くことができた。

第一回目から辿ってみると、理学療法士の國廣哲也さん、禅僧の藤田一照さん、2018年度は、体奏家の新井英夫さん、ヨーガの龍村修さん、医師で血液ガン研究者の大屋敷純子さん。そして2019年度は、文化座代表で女優の佐々木愛さん。

これまでに6名の方々に素晴らしいご講演をいただいた。野口先生をご存知の方、話に聞いているだけの方も、野口三千三への尊敬と愛情を持って、早蕨塾に望んでくださった。

受講する会員のみなさまも、毎回、和気藹々と充実した時間を共に過ごし、それぞれに考えるテーマを持っておかえりになっている。

内容:

「Fascia・筋膜」

「野口体操と坐禅とボデイーワーク」

「野口体操と様々なインクルーシブ活動」

「沖ヨガと野口体操」

「がんとともに生きる」

「野口三千三との出会いから・・・日常・舞台に生きる野口体操」

野口体操の可能性が垣間見られるテーマばかりだ。

ありがたいことです。

 

さて、そして 2019年度 秋の「早蕨塾」予定:

09月08日(日)臨床心理士・西尾温文さんによる「グリーフケアと野口体操」について話をしていただく予定。

11月24日(日)野口三千三秘蔵映像+野口体操の予定。

 

2019年度、第3期も無事に幕をあけることができます。

本年度も宜しくお願いします。

 

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坐禅 ふたたび 七日目・八日目

2019年05月17日 09時09分39秒 | Weblog

昨日、七日目は夕方になって、ようやく体操と坐禅の時間がとれた。

今までは朝にやっていたのだが、夕方の空気の中で坐ってみると、ゆったり感が違うことに気づいた。

からだの中の緩み感とでもいうのだろうか、呼吸を数えていても、吐き切ってもこれで1日も終わりに近づくような落ち着きだった。

 

さて、今朝は、二つのことが浮かんできた。

一つは、地唄舞の武原はんのこと。

どこで読んだか忘れてしまったが、晩年の暮らしの話である。

起床して、お稽古場を掃除する。清められた部屋にある神棚に手を合わせ、舞の稽古を行う。それから朝食をいただく、という。

坐っているうちに、そうだ、明日から私もやってみたい、と思った。

起床したら、今朝のように草むしりをして、部屋を付けて、床の間に花でも活けて・・・・、あぁ〜、無理だ!

でも掃除をしてから体操をし、坐ってみるかな!

 

もうひとつ思ったこと。

今日は、息を吐きながら、肛門を真下に向けながら、盆のくぼは斜め上方に軽く引き上げる感じをなんども確かめた。

50回を過ぎるころ、重心が後ろに傾くのを感じて、さらに地球の中心方向へ、お尻の穴を向け、盆のくぼを引き上げるイメージをあらためてみた。すると、左右の肩甲骨の骨端を結んだあたりの内側に詰まっている何かの感じを捉えた。

そこで胸の中心を広げるイメージを持ってみたが、あまり解消されなかった。その時点で少し諦めていたら、ふっと昨年夏に出かけていった高輪・泉岳寺で見た澤木興道老師像が目の奥に浮かんできた。

「あの感じかー」

銅像だから坐相は崩れないんだ、などとくだらないことを思い浮かべながら、そのまま100回、数えて終わろうとした。

しかし、からだは終わりたがらなかったので、しばらくそのままでいた。もう数は数えない。なんでもよくなった。

で、しばらくしてから脚を崩して、仰向けに。そこから「真の動き」に入って、胸の中をほぐし、肩から首に重さを受けながら、深い呼吸を数回してから、ゆっくり起き上がった。

本日、八日目は、なかなかに面白い境地を彷徨ったのであります。

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