体操をしてからだをほぐし、坐禅を始めた。
吐く息を数回ほど数えるうちに、胸の奥からこみ上げるものがあった。
数えながらも感情をそのままにしていた。
すると涙がポロポロと頬を伝うのを感じた。
思い出すことがあった。
・・・・・昨日、母を連れて施設近くの公園に出かけたときのこと。
公園に入って間もない時に、二人の中高年女性に出会った。
見ず知らずの方だったが、公園では自然に挨拶を交わす習慣ができている。
ひとしきり公園内をまわって、噴水のそばにさし掛かった時、若い女性が母のそばに寄ってきて、ひざまづきなら話しかけてくれた。
話すうちに、帝京平成大学・児童学科・小学校特別支援コースに学んでいる一年生であることがわかった。
「共生社会・・・インクルーシブな社会に、大切な学びを選ばれたのね・・」
「はいッ、頑張りまーす」
嬉しそうに見送ってくれた。
そこからほんの少し車椅子を押すと、最初にあった女性二人が、椅子代わりの石に腰掛けていて、話しかけてくれた。
母は耳が遠くて、私が通訳をする。
「お元気そうですね」
「はい、おかげさまで」
母ははっきり答える。
一人の女性が手を差し伸べて、母と手と手を合わせてくださった。
その瞬間、彼女の目から大粒の涙がこぼれてきた。
「どうしたの」
母が心配そうに言葉をかけた。
とっさに隣に腰掛けていたお友達がいう。
「最近、お母様を亡くされたの。思い出してしまった・・・・」
また、通訳をする。
彼女の感情がより高ぶってきたのを感じた私は、右手をとって、左手も添えて、両手で彼女の心を包み込んだ。
何も言葉はかけられなかった。
だって、私にも覚えがある感情のふくらみだったから。
木々の間を抜ける風すら、気遣ってくれているような吹き方だった。
しばらくしてたかぶった感情が元に戻るのが伝わった。
目と目で、挨拶をしてその場を離れた。・・・・・・・
30分にも満たない公園での時間。
二十歳になるかならないかの若い女性の優しい気持ちにふれ、母を亡くしたばかりの中高年女性の寂しさに触れた。
母は瞬間瞬間に反応するだけで、すぐ忘れてしまう。
それでも、俳句的感情の交流がもたらしてくれた、えも言われぬぬくもりの刻を、共に過ごせたことは忘れ難い出来事だった。
坐りながら、吐く息を数え続けていた。
母はまだ生きている!
「耳は遠くてもいいんです。お元気で生きてらっしゃるじゃない・・・」
彼女の言葉が耳の奥でこだました。
出会った女性の涙の意味をもう一度、私は確かめた。
100回を数え終わっても、やめる気にはならなかった。
吐く息を数えないまま、しばらく坐り続けた。
坐禅 ふたたび 15日目の朝であった。