東京のターミナル駅のなかでも乗降客数一番の新宿駅。その駅のJRから京王線に抜ける通路には、狭いながらも楽しみがいっぱいある。左右の壁面に日本画・洋画・書道・工芸・仏像・陶磁器・土偶・現代アート、etc、東京にある大小さまざまな美術館や博物館の催し物ポスターが空間を埋め尽くしているからだ。
それらを見るにつけ、東京にいながらにして時空を超えるアートな暮らしが出来る、といつも思う。
しかし、前のブログに書いた森美術館開催の「医学と芸術展」や、昨日出かけた東京大学総合研究博物館の「命の認識」特別展は、そこでは見かけなかった。
一般には公開しにくいものの展示であるが、‘生死の不思議’を感じさせられる貴重な催し物だと言える。
さて、東大構内の端にある博物館、今回の展示は重い。一歩踏みはずすと漆黒の淵へと転落しそうな危うさが漂う。
そこで物として‘死’を見せられる、といった見方をするのか、そうではなくここに命が宿り‘アニマ’が息づくことを賛美するのか。むしろ地球に生を受けたすべての生きものは宇宙の創造の一つを担っている‘時’を体現している、と捉えたい。その時が長いか、短いかは関係がない。
この特別展示は、生を受けることの意味を‘もの’として提示してくれる。
しかし、正直なところ、サジさんのブログ
芭瑠庵の写真を見てから出かけた私の目には、現物よりも写真に命の美しさを感じさせてもらった。それは面白い体験だった、と今朝になって想ったのだ。