羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

大つごもり

2017年12月31日 10時21分42秒 | Weblog
 新井英夫さんが、FBシェアしていた古今亭志ん生の「寝床」を聞き終わって、このブログを書きはじめている。
 酔っぱらった落語もいい。

「寝床」の枕で、「火の用心さっしゃらしょう」
 志ん生の声が夜空に響く声が心地いい。
 それも昔。。。。。

 今年から、わが町の夜回りも、紫檀の拍子木はお蔵入りとなった。
 理由は苦情。
 拍子木の音がうるさいと言われた、と。
 25日から29日の5日間、夜8時だというのに、どんな人がうるさいとおもうのだろうか?
 以前は、9時からと10時過ぎの二回も回ったときがあった。
 それも昔。。。。。。

 しかたがないので、紫檀に較べて響かない2本の拍子木で、回っていた。
 二十数人が二手に分かれる。
 途中からさらに二手に分かれるが、5分ほどでまた合流する。
 拍子が鳴らないと、バラバラで声を合わせようにも、合わせられない。
 そこで両手で腿を「トン  トン トントン」と叩いて、合わせるようにしていた。
 最後の29日は、掌サイズの木魚を託された奥さんが、私にそれを手渡してくれた。
 小さくても一人前の音がでる。
「南無阿弥陀仏?」
「南無妙法蓮華経?」
「それはないよね。もっと苦情がでそう」(笑)
 木魚一つで、声がそろう。
 世の中、窮屈になったねー。
 
 2017年大みそか、朝日新聞「天声人語」に、除夜の鐘が“うるさい”“いつまでついているんだ”と苦情がきて、昼間につき終わってしまうお寺さんがある話があった。
 この話は、何年か前にニュースで知っていたが、それならいっそやめてしまうしかないではないか。

 町から物売りの声が消えて久しい。
 わが町も拍子木も鳴らせず、声も出せず、その前に高齢化の波で担う人がいなくなってしまうかも。
 年末の火の番の声も聞けなくなる日も遠くないかもしれない。

 本日は、大つごもり。
 一葉が描いた明治の世も、はるか昔。。。。。。
 あまりに、遠くなった。
 さて、石之助は何処へ。。。。。

 青空文庫より
 お峰が引出したるは唯二枚、殘りは十八あるべき筈を、いかにしけん束のまゝ見えずとて底をかへして振へども甲斐なし、怪しきは落散おちちりし紙切れにいつ認めしか受取一通。
(引出しの分も拜借致し候  石之助)
 さては放蕩かと人々顏を見合せてお峰が詮議は無かりき、孝の餘徳は我れ知らず石之助の罪に成りしか、いや/\知りて序に冠りし罪かも知れず、さらば石之助はお峰が守り本尊なるべし、後の事しりたや。
(明治二十七年十二月「文學界」 明治二十九年二月「太陽」再掲載)

 全文読めます。
 


 
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今年も押し迫りました

2017年12月28日 09時32分14秒 | Weblog
 年末恒例の行事から。

 日本橋三越で展示即売をしている江戸独楽作家・福島保さんに会ってきました。
 今年は、奥様の看病で、なかなか厳しいなかでの仕事だったと伺っていました。
 お変わりない様子でホッとしました。
 今年の独楽は、「お化けシリーズ独楽」と「干支・戌」でした。

 25日から、年末夜回りに参加。
 残すところ2日となりました。
 きっちり着込んで、出かけます。
 冬の夜空に「火の用心」の声を響かせて、毎晩、発声練習をしていますが、今年は昨年に較べてよく声が出ていると思います。
 母が施設にはいったことで、疲れ具合が変わったのだと実感してます。
 一年間、ご町内のご無沙汰を、年末5日で回復しているような感じです。
 みなさん、あたたかく迎えてくれます。

「野口体操の会」会報 時間をみつけて準備しています。
 お正月に「三千三伝」の草稿をなんとかまとめたいと資料を読んでいます。
 郷土史を読むうちに、面白くなって、小説仕立てで書いてみたくなる始末。
 自分で呆れているようなわけです。

 父の遺言「お母さんをよろしく頼む」、逆縁になった場合のことを考えて、遺言を作成。
 25日に、公証役場に出かけてきました。母へのプレゼントです。

 蛇足:その折、役場の先生と同行者の袖口にちらりと見えたカフスボタンがステキでした。
 最近ではまったにお目にかかることもなく、久しぶりのことで新鮮に見えたのかもしれません。
 野口体操関係は、皆、ラフですからねー。

 そんなわけ?で、本日は、介護施設で、年末コンサートが予定されています。
 これから、半日ほど、母と過ごしたいと思っています。
 
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江戸独楽作家・福島保 展示即売のお知らせ

2017年12月24日 07時42分53秒 | Weblog
 かれこれ40年来のおつきあいをいただいている江戸独楽作家・福島保さんから「催しのお知らせ」が届いた。
 野口先生に連れられて、総武線の小岩だったか、小さな民芸店で江戸独楽にであった。
 とくに「芥子独楽」と呼ばれる独楽は、もの凄く小さい。大人の指ではつまめない。
 どうやってつくるのか、と不思議だが、つくるところを見せてもらったときの衝撃は忘れられない。

 野口没後も、毎年暮れにお目にかかっている。
 今年は、以下の予定。

 2017年12月26日(火)〜31日(日) 日本橋三越本店5階 リビングスペース#5

 2018年01月02日(火)〜04日(木) 日本橋三越本店新館1階 特設会場

 福島さんのサイト

「野口体操の者です」と一言。
 独楽つくりも見せてもらえます。
 
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三千三の故郷 吉岡村以前の旧駒寄村(大久保集落)

2017年12月21日 17時21分06秒 | Weblog
 本日、国会図書館にいくことができた。
 本を検索し、著作権に抵触しない範囲でコピーを持ち帰った。
『駒寄村史』昭和5年(非売品)、群馬縣群馬群駒寄村役場 である。
 全ページがデジタル化されていて、館内コンピューターでの閲覧だった。
 杉並区中央図書館でもWeb閲覧は可能だったが、印刷は出来ないようだった。
 直接、出かけていった甲斐があったというもの。

 最初のページに、野口三千三と父親が生きた時代の雰囲気が如実にあらわれている古い「駒寄村略圖」が掲載されていた。
 明治から開校した小学校の報告のなかに体育運動の状況、教育方針や年中行事等の記録もある。
 村民生活状態の変遷などは、短い文章のなかに、この時代でしか書けない内容が記されている。

 印刷の注文もコンピューター上で出来るシステムになっていて、本に栞を差しこんで頼むより楽にだった。
 最近では、二回目なのだけれど、操作を忘れていて、今回も係の方の世話になった。

 郷土史なしに歴史はわからないことが身にしみる昨今で、『吉岡村史』と『駒寄村史』を合わせ読んで、三千三伝を書くためのイメージを拡げていきたいと思っている。

 大正10年、上越線の高崎ー渋川間が開通した。
 国勢発展の結果、国防上、産業上の必要に迫られて、国営として建設されることが決定したのが大正8年のことだったん、と記載がある。
 高崎ー水上までの全線の予算は1950万円とのこと。清水トンネルの竣工次第で、昭和3年に全通した。

 さて、大正10年といえば三千三7歳、昭和3年は14歳である。
 鉄道の開通は、どれほど喜ばしかったことだろう。
 その数年後に意気揚々と師範学校の門をくぐることになる。

 モノクロ地図を繰り返し眺めていると、昨年に歩いて知った段状の高低差が、身体感覚のうちに甦ってくる。
 地図上の「ブラタモリ」ならぬ「ブラハトリ」。
 当時の生活状態と昭和5年の地図を読み合わせると、三千三が生きていた村の様子がみえてくるような気までしてくる。

 これはほんに、本日の収穫です!
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培養肉の話 まず一報

2017年12月20日 08時52分30秒 | Weblog
 日経新聞12月14日「ポスト平成の未来学」の記事を、朝日カルチャーのレッスンで紹介した。
 殆どの方が、全くご存知ない話だった。

 たとえば鶏肉の場合、《有精卵から肉として育てたい特定の細胞を取り出して培養液で増やし、肉の塊にする》技術だそうだ。
 家庭でも自宅で培養肉をつくり、電子レンジのように3Dプリンターで料理をする日が来るかもしれないと、記事にはあった。
 宇宙滞在する宇宙飛行士に提供される可能性を、米国宇宙局(NASA)がテキサス州の企業に出資して研究開発を進めているそうだ。

 培養肉の利点がいくつかあげらられている。 
 家畜が増えると穀物需要が逼迫する、その解決策になるかも知れない。
 日本は少子化で人口が減っていくが、他方、世界的には人口増がおこり、水と食料の争奪戦がすでに現実味を帯びている。
 無菌状態で製造できる。等々。
 
 実は、今朝のNHKニュースで、イクラの高騰が起こっている理由を報道していた。それを見て培養肉製造も不思議ではないと思えた。
 日本では、イクラの高騰は、鮭の漁獲量が減ったことにある、という。
 のぞみは養殖魚にかかっている。
 リポートではノルウェーを紹介していた。ここでは殆どが機械化されていて、人間は何台ものコンピューター画面で、養魚場内の様子を見ながら、魚の生育具合で餌の量を調節し、水質・温度管理等を調整している。
 水揚げされた?鮭は、コンベアーに乗せられて、同じ重さで箱詰めされ出荷されていく。
 大規模養殖場の映像が流されていた。あたかも魚の工場製品の様相だった。

 翻って、日本で大規模な養殖場が出来ないのは、沿岸地帯に工場が多いことだそうだ。
 陸地での優良養魚場を紹介していたが、ノルウェーに比較して全く歯が立たない極小規模に過ぎない。

 このニュースを見ながら、都心のビルで製造される「培養肉工場」、もはや絵空事ではないような気がしてきた。
 実は、17日・日曜日のクラスが終わって新宿駅までそぞろ歩いてご一緒したM嬢が、ぽつりと言った言葉が耳に残っている。
「培養肉の話を聞いて最初に浮かんだのは、カニ蒲鉾をはじめて食べたときの衝撃だったんです。あれを作っちゃったんだから、培養肉もその延長線上にあるのかなー?????? でも、何か違うようなー」
 それっを受けて男性が呟やいた。
「昆虫食の話があって、そこまでは仕方ないと思うけど、培養された肉はどうもー」

 このあと載せる箇条書きの最後に、家畜の生態系への影響、食物連鎖の崩壊など、未来への課題が大きいことが指摘されていた。
 2013年にはオランダの大学教授が、一個3800万円のハンバーガーの試食会を開いたそうだ。
 よしとなれば、ものすごい勢いでコストダウンがはかられる可能性は高い。

 なにしろ私のイマジネーション能力を超えた課題を突きつけられて、こういう時代に生きているのか、と腕組みして新聞記事を読んだことをお伝えした。
 先ずは、考える参考に、Web検索でであった記事『ヒトがつくる「培養肉」は正義か悪か。SFの世界を現実にする、日本の若き研究者』、少しでも興味を感じた方は、読んでください。
 iPS細胞技術より少し簡単な作業で肉を製造できるところが、倫理観を低くしてしまう要素の一つかと。
 しかし「命への問いかけを行う」野口体操としては、時間をかけて考えていきたい、としか今は言えない。

 正直、逃げの姿勢で、「肉を食べるのに、自然肉か培養肉か」と、問いかける時代には私は生きていないだろうなー。
 ちょっとホッとしたりして、複雑であります。
 思考停止状態に陥らないために、目を開いておきましょう。

 まとめに箇条書きにしたものをここに載せておきたい。

※ 日経新聞2017・12・14『健康イノベーション「畜産」王国に 培養肉は世界を救うか』ポスト平成の未来学
* 2030年東京都心が鶏肉の一大産地?
*  無菌状態空間のビル内、基となる細胞と培養液から、水耕栽培の野菜のように焼き肉やステーキ用の肉が出来る。
* 鶏の肝細胞を培養して「培養フォアグラ」試験映像。
* 女子医科大学先端生命科学研究所と共同研究しているインテグリカルチャー(社長 羽生雄毅32歳)。
* 食肉を得るために動物を殺傷する必要がなくなる。
* 衛生管理も徹底できる。家畜の飼育に較べて地球環境への負荷も低い。
* 宇宙の閉鎖環境で培養肉工場を宇宙船内につくる。宇宙飛行士の食料。
* 3Dプリンターと大差ない仕組みで調理可能。
*  カートリッジに樹脂などの代わりに肉や野菜の食品素材を投入し、ピザや菓子を立体的につくる。
* いつか、自宅で培養肉をつくり、電子レンジのように3Dプリンターで調理をする時代がくるのか?
* 既に牛乳が工場製品だと思う子供、イクラが生の魚卵だと知らずに幼児に食べさせる母親がいる。
* 家畜の生態系への影響、食物連鎖の崩壊。どんな未来が。
  以上
 
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師走の近況……本日のアタフタ

2017年12月19日 18時55分27秒 | Weblog
 12月19日(火)、本日は、私家版「野口三千三伝」の資料を読むために、国会図書館に一日こもる予定だった。
 が、臨時休館日ということを今朝になってホームページで知った。
 なんだか気が抜けてぼーっと過ごした。 
 朝食をすませ片付けし、「エイヤッ」とばかりに気合いをいれて、他の仕事に取りかかった。

 お蔭さまで、2018年度中央大学法学部のシラバスを書き上げることができた。
 これはWeb入稿の方式が、今年から代わったために、昨年の履歴はつかえなくなっていた。
 すべて新しく書き直して、それはそれでよかった!と思った次第。

 それから「印鑑登録証明書」を取りに、駅のコンビニに出かけた。
 マイナンバーカードがないと、これからさまざまな場面で不便になると知って、嫌々だったがつくったばかりだった。
 で、機械に入れてパスワードを入力したが、上手くいかない。
 どうもここでは印鑑登録のカードをしかつかえなかったようだった。
 そんなこと知らなかった。
 なのでマイナンバーカードに、うっかり印鑑登録のパスワードを打ちこんでしまった。
 これが一回目のエラー。

 次に、機械に据え付けてある電話で教えられたように、ローソンに場所を移してパスワードを入力。
 ここでは迷いながらということで、ご丁寧にも二回もエラー。
 結局、合計三回間違えたために、ロックがかかってしまった。

 電話で問い合わせると、区役所に行くしか手はなさそうだった。
 仕方がないので隣町にある区役所まで出向いて、パスワード更新の手続きをとることにした。
 役所では、担当者が一人しかいなくて、待つ人の数は少なかったが、相当に待たされた。
 それでも、今、やっておかないと、次の時にアタフタするのもよろしくない、とばかりに強行軍で手続きをとった。

 来年の8月までは、専用の自動機械では印鑑証明用のカードのみで、マイナンバーカードはつかえないことは知らなかった。
 また、コンビニのコピー機では、カードの表裏の乗せ方向きも、機会によって違うのだそうだ。
 役所の担当者は、現在の混乱を招いて申し訳ない、と低姿勢であったことで救われた。

 杉並区ではとにかく来年8月になると、あらゆる場面でつかえるカードは、マイナンバーカードに統一される。
 それもあって、顔写真つきのカードをしぶしぶ申請したわけだ。

 しかし、使い方をしらないと、おもわぬ結果が待ち受けている。
 家に二回、あとはコンビニと役所をぐるりと回って、数時間もロスしてしまった。
 それでも目的は達成できたので、よしとしている。
 何が便利なのだか。
 それ以上に問題なのは、これからもっと高齢になったら生きていけなくなるような懸念を抱いたことだった。
 これからの生活のためには、日常的なさまざまな手続きを気軽に手伝ってくれる若い人をさがしておかないと、いけませんわ!
 いつの間にか、気づかぬうちに、老いは忍び寄っているんですから。

 そんなこんなで、本日中にやっておかなければならない他の所用をすませた時には、夕方5時を過ぎていた。

 それでも今度の木曜日には、国会図書館にこもって、心置きなく調べものに集中できそうだ。
 なんだかギリギリ感に苛まれそうな師走の一日だった。
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養老孟司『遺言』新潮社

2017年12月08日 13時22分53秒 | Weblog
 世は終活ブームである。
 それに便乗した書名とは口が裂けても申し上げないが、書名は『遺言』である。
 副題:ー言っておきたかった−80歳の叡智がここにー
 御本人にしてみれば「遺言」なのだろう。

 それはそれとして、養老先生はいたってご健在である。
 25年ぶりの書き下ろしということで、読ませていただいた。
 面白かった。
 西行の辞世は、亡くなる直前ではなく、ずっと前、少なくとも10年はくだらない時期に書かれたというから、養老先生『遺言1.0』から順次「遺言」が増えて、最終的にいちばんすばらしい遺言が、最後に「辞世」としてのこるのかもしれない。
 
 さて、最後にかかれていたこと。
《解剖学ほど感覚的な分野は、自然科学の中では少ないであろう。しかし感覚優位では論文は書けない。とはいえひたすら事実に即して、それを記述すれば、論文ではなく、ドキュメントつまり記録になってしまう。中略 科学の基本は感覚から意識へ、俗にいうなら事実から理論へ移行する。中略 事実から理論へ、そんなこと、本当にできるのか》

 ここを読みながら、野口三千三の野口体操は、これだったのだと得心した。
 野口の生き様は、まったくこの言葉に集約されていると読んだ。

 この本は、「感覚」と「意識」についてとことん語っている。
 ごく簡単に言ってしまうと、「感覚は違いを、意識は同じを目指す」ということだ。

「同じのゴールは一神教」とおっしゃる。その図が113頁に見事に描かれている。
 これは逸品だ。一神教にたどり着く道筋がはっきりと示されている。
 
「脳と言葉」右脳・左脳にわかれて、言語を真ん中に音楽と絵画、詩と歌詞にマンガが領域があって、聴覚と視覚の関わりが、これまた明確にあらわされている図を87頁にみることができる。

 とにかく、読んでいて面白い。
 スッキリ感に万歳である。

 極めつけの言葉がこれだ。
 ある高齢女性が医療機関で検査を受け、これといって病気は見つからなかった。
 見つからなかったが、症状はある。
 あっちが痛い、こっちが痛い、しびれ感があって、耳鳴りがひどくて、……と養老先生に話されること一時間。
 先生はおっしゃる。
《この人は感覚が欠如しているのだろうか。外の世界が一切話題にならないからである。耳も目も触覚も、じつは外界を把握するために存在している。でもこの人はそれを完全に無視して、感覚は自分の身体に関することだけに集中している。いうなれば「意識の中にすむ」という、現代人の典型であろう》
 思わず、声をあげて笑ってしまった。
 感覚と意識が表になったり裏になったり、メイビウスの輪の論法である。
 納得! ナットク! 納得! 

 野口体操は健康を言わない、理由がわかったような気がする。
 甲骨文があり、やまとことばの語源があり、地学、鉱物学、貝、いやいやおもちゃと独楽があったりして……、これが「体操か」と怪訝な顔をされるのだが、なぜゆえにこうしたものたちが入り込んできたのか、野口の無意識の領域を、言葉にして読ませてもらった。
 すべてはメイビウスの輪なのである。

 野口三千三の授業を思い出してみる。
 差異・微妙な違い・個を大事にする=ひとことで救い上げれば「感覚こそ力」だという。
 その体操を文字や言葉への関心と言語化を試みる=「意識で動きを捉える」作業も行う。
 二つのバランスが、世界一いい体操の希有な教師だった。

《感覚は違いを、意識は同じを目指す》
 どこまでも違いを追い求める感覚優位は八百万の神・多神教。
 どこまでも同じを繰り返していく意識優位は、一神教。
 ことはそれほど単純ではないから、ぜひ、この本もお読みいただきたい。

 晩年の野口は、遊びながら「感覚」も「意識(化)」も同時に楽しんでおられた。
 この本もまた、まちがいなく野口体操の理解の手助けになる一冊である。

 養老先生の『遺言2.0』、今から楽しみである。
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鴻上尚史『不死身の特攻兵』講談社現代新書2451

2017年12月07日 19時06分45秒 | Weblog
 副題は「軍神はなぜ上官に反抗したか」
 特攻に9回出撃して生きて帰ってきた佐々木友次を中心に、『冷静に「特攻」を考えられる時期が来た』と著者はあとがきに書いている。

 冷静に、というスタンスの取り方が非常に大事なのだ。煽るような書き方は一切ない。
 しかし、決して冷静に読めない激しい怒りと深い悲しみに、幾度も私は苛まれた。
 一滴の涙もこぼれない。
 しかし、血が逆流するのを感じながらページをめくった。
 そして、一気に読んだ。

 若者の命を消耗品として、特攻に向かわせた「命令する側の人間」に憤った。
 訓練も十分にしていない未熟な若いパイロットを、翼が布張りの「羽布張り」と呼ばれる練習機にのせて突っ込ませる愚かさは、狂気の沙汰などという言葉で表現してはならない。
 これは、自国民に対する上官たちがおかした戦争犯罪である。

 戦時中から敗戦直後の野口を重ねながら、この一冊を読み終えたこともあって、これ以上この本について書くことは、今できないそうにない。
 複雑な思いに絡めとられている。

 ぜひ本を手に取って、読んでいただきたい。
 
 この本を道標に戦争(特攻)を考えることは、そのまま現代を考えることになる。
 繰り返します。
 ぜひこの本を手にとって、読んでいただきたい。
 現代を、現代社会を、時代を見誤らないためにも、ぜひ読んでいただきたい。

 因みに、野口三千三の弟豊次は、インド・チンスキア上空(森林にて自爆)。
 帰らぬ人となった。
 1943(昭和18)年12月13日。(朝鮮第百十部隊長報告による)
 享年19歳であった。
 陸軍軍曹 勲七等 なんとも……。
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