今年の誕生日をすぎたときのこと。
「古希だ!」
呟いた。
呟いたが、実感は、まったくなかった。
ところが、昨日のこと。
朝日カルチャーのレッスンを終えて、近藤早利さんと新宿駅まで歩いていた。
ふと、口をついて出た。
脈絡もなく。
「野口先生が亡くなったのが83歳。あと13年なんですよね」
「私も、考えることがありますね」
語尾が少し消えかかっていた。
短い沈黙・・・・・
それから駅までは、話題を変えて、当たり障りなく会話する。
西口交番そばで、持ってくださっていた荷物を受け取ってお別れした。
山手線から出て来た大勢の人の波を避けながら、慎重にホームへと階段を上がった。
人にぶつけてはいけない。
秋のミネラルフェアで手に入れた、ネパールの2キロ以上の重さがある金属製鉢を持っていたから、慎重にならざるを得なかった。
ホームに着くと、ちょうど中央・総武線の三鷹行きが滑り込んで来た。
かなり混み合っていたが、運よく椅子に腰掛けることができた。
電車が新宿駅を出て大久保駅に差しかかったとき、なぜか先ほどの会話を思い出した。
「先生が83歳、父はは80歳。残された時間を10年から13年と見積もって・・・・」
私は、いったい何をするのだろう?
私は、いったい何をしたいのだろう?
私は いったい何をしたほうがいいのだろう?
何々を、絶対にすべき!
とは、決めたくなかった。
「13年すぎた後も、生きているとすれば、それが本当の意味で “余生” だと思いたいー」
かつてある人が言った。
「羽鳥さん、50を過ぎたら余生よ」
その言葉に従えば、すでに余生に違いない。
だが、まだ、余生としてではなく、やっておきたいことがある。
「やっておきたいことがあるって、幸せじゃないの?」
これだな!
あとは野となれ山となれ。
誰かがなんとかしてくれるだろう、と無責任を決め込んだ。
ほどなく電車は高円寺駅に到着した。
わずか6分間のひとりごと。。。。。。