墨田区にある「花王」の研究所を訪ねたことがある。
ロビーで待つ間に、石鹸や洗剤、赤ちゃん用品、高齢者用品、化粧品、花王製品とは知らなかったが、見慣れた製品が並べられた展示棚を眺めていた。
その中に紺碧色の地に真っ白な「NIVEA」と書かれた缶に気づいた。
「へー、これも花王だったの? 知らなかった」
15、16年ぶりにあの時の情景が目に浮かんだ。
当時は、それ以上の関心を持たなかったのだ。
さて、今しがた薬局でアルミ缶入り、コンビニではチューブ入り「NIVEA」を買ってきた。
ウラガワを読むと『「ニベア」とは、ラテン語で「雪のように白い」という意味です。』と記載されていた。
そこからさらに視線を下ろすと『Beiersdorf ドイツ バイヤスドルフ社との技術提携品 Made in Japan』とある。
「なるほど!」
最近、調べたばかりだ。
「NIVEA」とは、ラテン語では、niveus/nivea/niveum に由来する。
Beiersdorf社は、1862年(文久2年)日本では家茂と皇女和宮の婚儀が行われた年に設立された。
1911年に、新ブランドとして肌の保湿スキンケア用品として「NIVEA」を売り出した。
ちなみに、1968年に花王が、60:40 の比率で技術提携し、今では町のコンビニでも買うことができる。
そもそもなぜ関心を持ったのか、というと、それは「野口体操」のルーツを探る途上で知ったことだ。
19世紀後半に医学の発達によって衛生学の重要性が説かれ、衛生と健康のために身体の手入れを習慣化しようとする「生活改革運動」の中から生まれてきたものだった。
それがなぜ、野口体操?
産業革命以後、19世紀末は、ヨーロッパの市民社会制度や生活習慣に大きな矛盾が噴出した時期だった。
工業化による大気汚染、人口が集中する都会に蔓延する様々な病癖。
アルコールや薬物中毒、感染症、精神疾患、ストレスによる病によって市民の健康がそれまでとは比較にならないほど脅かされた。
そうした市民生活に変革をもたらす新しい生活改善運動が始まったのである。
土壌・空気・日光・水は、本来人間に対する治癒能力があって、疾病の治療に利用する「自然療法」の発想のもとに、裸体での日光浴、体操、水浴、空気浴等々が実践された。
文化思想として「自然に帰れ」がモットーである。
「ワンダーフォーゲル運動」、子供の頃に読んだ「アルプスの少女ハイジ」に描かれている内容は、都市と自然の乖離に起因する様々な身体的問題を改善する方策として見直された文化であった。
菜食主義もこの運動が始まりである。
体操とダンスは切ってもきれない密接な関係にあった。
衛生学、体操、モダンダンス、ボディビルディング、ダンベル体操、リトミック体操、身体文化と人智学・神秘思想のシュタイナー、それらすべてが一元的な価値として新たな「身体文化運動」となっていった。
かくしてドイツ国家の存亡の危機に瀕すると、健康で美しい身体の規範は、古代ギリシャに求められた。
一方で、ここが一番の問題なのだけれど、健康と美をめぐる運動やイデオロギーはナショナリズムと融合し、一つの思想史を形作っていく。
不幸な戦争へと突き進んでしまった。
そしてドイツも日本も敗戦を迎える。
その流れの一つに、野口三千三が敗戦後に出会った、ノイエ・タンツ江口隆哉の師であるマリーヴィクマンの存在がモダンダンスの開祖として燦然と輝きを見せていたのである。
敗戦後、1960年代から70年代をみよう。
アメリカではヒッピー文化がこの流れを汲み、日本でもホリスティック医学や身体への気づき文化が注目された。
その中に、野口体操も存在を現してくる。
『原初生命体としての人間』が、1972年に初版を出せたことの意味は、大きいと思う。
野口体操の一つのルーツであるドイツ自然体操・江口ノイエタンツとの関わりから、心身一如(心身一元論)、公害問題への体からの問題意識の提起。
ここまでたどり着いて、なんとも言いようがなくなった。
パンドラの箱を開いてしまった、どうしようもなさ。。。。。。
「先週の土曜日は、頭を抱えてしまっていたっけ」
レッスンの中では、やめておけば良いものを、中途半端な話をしてしまった後悔先に立たずであった。
一週間で、動揺はおさまった。
ここから歩き始めるしかない。
今朝、コンビニで買ってきた「NIVEA Creme」を、複雑な思いを重ねながら手や腕に塗ってみた。
何十年ぶりだろう。
懐かしい匂いとともに、音楽とともに生きていた10代から、野口体操に出会った20代半ばからの来し方を、思わず振り返ってしまった。
ロビーで待つ間に、石鹸や洗剤、赤ちゃん用品、高齢者用品、化粧品、花王製品とは知らなかったが、見慣れた製品が並べられた展示棚を眺めていた。
その中に紺碧色の地に真っ白な「NIVEA」と書かれた缶に気づいた。
「へー、これも花王だったの? 知らなかった」
15、16年ぶりにあの時の情景が目に浮かんだ。
当時は、それ以上の関心を持たなかったのだ。
さて、今しがた薬局でアルミ缶入り、コンビニではチューブ入り「NIVEA」を買ってきた。
ウラガワを読むと『「ニベア」とは、ラテン語で「雪のように白い」という意味です。』と記載されていた。
そこからさらに視線を下ろすと『Beiersdorf ドイツ バイヤスドルフ社との技術提携品 Made in Japan』とある。
「なるほど!」
最近、調べたばかりだ。
「NIVEA」とは、ラテン語では、niveus/nivea/niveum に由来する。
Beiersdorf社は、1862年(文久2年)日本では家茂と皇女和宮の婚儀が行われた年に設立された。
1911年に、新ブランドとして肌の保湿スキンケア用品として「NIVEA」を売り出した。
ちなみに、1968年に花王が、60:40 の比率で技術提携し、今では町のコンビニでも買うことができる。
そもそもなぜ関心を持ったのか、というと、それは「野口体操」のルーツを探る途上で知ったことだ。
19世紀後半に医学の発達によって衛生学の重要性が説かれ、衛生と健康のために身体の手入れを習慣化しようとする「生活改革運動」の中から生まれてきたものだった。
それがなぜ、野口体操?
産業革命以後、19世紀末は、ヨーロッパの市民社会制度や生活習慣に大きな矛盾が噴出した時期だった。
工業化による大気汚染、人口が集中する都会に蔓延する様々な病癖。
アルコールや薬物中毒、感染症、精神疾患、ストレスによる病によって市民の健康がそれまでとは比較にならないほど脅かされた。
そうした市民生活に変革をもたらす新しい生活改善運動が始まったのである。
土壌・空気・日光・水は、本来人間に対する治癒能力があって、疾病の治療に利用する「自然療法」の発想のもとに、裸体での日光浴、体操、水浴、空気浴等々が実践された。
文化思想として「自然に帰れ」がモットーである。
「ワンダーフォーゲル運動」、子供の頃に読んだ「アルプスの少女ハイジ」に描かれている内容は、都市と自然の乖離に起因する様々な身体的問題を改善する方策として見直された文化であった。
菜食主義もこの運動が始まりである。
体操とダンスは切ってもきれない密接な関係にあった。
衛生学、体操、モダンダンス、ボディビルディング、ダンベル体操、リトミック体操、身体文化と人智学・神秘思想のシュタイナー、それらすべてが一元的な価値として新たな「身体文化運動」となっていった。
かくしてドイツ国家の存亡の危機に瀕すると、健康で美しい身体の規範は、古代ギリシャに求められた。
一方で、ここが一番の問題なのだけれど、健康と美をめぐる運動やイデオロギーはナショナリズムと融合し、一つの思想史を形作っていく。
不幸な戦争へと突き進んでしまった。
そしてドイツも日本も敗戦を迎える。
その流れの一つに、野口三千三が敗戦後に出会った、ノイエ・タンツ江口隆哉の師であるマリーヴィクマンの存在がモダンダンスの開祖として燦然と輝きを見せていたのである。
敗戦後、1960年代から70年代をみよう。
アメリカではヒッピー文化がこの流れを汲み、日本でもホリスティック医学や身体への気づき文化が注目された。
その中に、野口体操も存在を現してくる。
『原初生命体としての人間』が、1972年に初版を出せたことの意味は、大きいと思う。
野口体操の一つのルーツであるドイツ自然体操・江口ノイエタンツとの関わりから、心身一如(心身一元論)、公害問題への体からの問題意識の提起。
ここまでたどり着いて、なんとも言いようがなくなった。
パンドラの箱を開いてしまった、どうしようもなさ。。。。。。
「先週の土曜日は、頭を抱えてしまっていたっけ」
レッスンの中では、やめておけば良いものを、中途半端な話をしてしまった後悔先に立たずであった。
一週間で、動揺はおさまった。
ここから歩き始めるしかない。
今朝、コンビニで買ってきた「NIVEA Creme」を、複雑な思いを重ねながら手や腕に塗ってみた。
何十年ぶりだろう。
懐かしい匂いとともに、音楽とともに生きていた10代から、野口体操に出会った20代半ばからの来し方を、思わず振り返ってしまった。