羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

平成最後の日・・・

2019年04月30日 19時23分26秒 | Weblog

一日中、ほとんど雨が降っていることもあって、しっとりと静かな日となった。

午前中は先日の総会+早蕨塾の後片付けと、部屋の掃除をした。

午後からは、会報「早蕨」Vol.5 巻頭言の一部を書き直した。

総会と早蕨塾の前までに、慌てて書いていたこともあって、大幅な直しを指摘されていた。

それなのに、なかなか気が進まず、そのまま手付かず状態だった。

それが、部屋が綺麗に片付いたと同時に、気持ちも入れ替わったらしい。

PCの前に座り、全面的に行う書き直しが、苦でななっているではないか。

しばらく書き続けて、時計を見ると4時を回っていた。

階下に降りてお茶をすすり、5時少し前からテレビをつけた。

一連の儀式を見ているうちに、次第に一つの時代が終わるという実感がわいてきた。

昭和が40年、平成が30年、生きたことになると思うと、感慨を深く来し方を振り返っている。

これから30年も、40年も生きられないと思うけれど、新しい時代についていけるのだろうか。

不安というのでもなく、困ったというのでもなく、心が揺れた。

何が起こっても、素直に受け入れよう。

迷惑をかけずに生きようなんて、思わないことにしよう。

多少のご迷惑は、お許しいただこう。いや、許していただける世の中になって欲しいが・・・・

 

何はともあれ、新しい時代が平和であって欲しい。

平穏無事であって欲しい。

ただ それだけを 今日は祈っている。

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「野口体操の会」総会+早蕨塾

2019年04月29日 19時44分31秒 | Weblog

「野口体操の会」は、2017年に会発足して、3年目に入りました。

4月28日(日)田端・劇団文化座の稽古場をお借りして、総会を開きました。

2018年の会計報告、2017年〜18年の活動と2019年度の早蕨塾の予定等を報告しました。

会員は31名のご出席で、総会が終わったところで、文化座の劇団員の方々が20名近く加わりました。

総勢50名に膨れ上がって、劇団文化座代表で舞台女優の佐々木愛さんに、演題「私と野口体操 野口三千三の出会いから」のお話を伺った。

ご自身の日常のことがら、演劇についての深い話まで、身振り手振りを交えて話された。聞く人を終始惹きつけた90分の語りは圧巻でした。

そのあと野口体操を体験していただいた。

野口体操経験者と未経験の団員の方々と素敵な交流ができました。

時間がタイトだったこともあって、「上体のぶら下げ」だけに絞って、没後に開発したマッサージを交えて、体操体験をしていただきました。

 

スタッフの皆様のお気遣いで、今回も非常に充実した早蕨塾を終えることができました。

佐々木愛さん、そして文化座の皆様のご好意に感謝いたします。

普段は入ることがない劇団の稽古場に、皆さん興味津々でした。

スタジオ公演ができる装置が揃っている空間は、野口三千三の演劇との関わりの一端を感じていただけたのではないかと思います。

嬉しい感想もいただいています。これから少しずつ細かい報告をいたします。

今までない新たな息吹が感じられた早蕨塾でした。

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今週の「なつぞら」 スタニスラフスキー

2019年04月26日 08時19分34秒 | Weblog

昭和30年代の学校演劇が描かれている朝ドラ「なつぞら」を見て、イメージが膨らんだ。

というのも、『俳優修業』スタニスラフスキーの本が登場したことで、前のめりになって見続けた。

「野口先生の体操を見て、これだって、わかったんですよ」

そう語ったのは、九州でアマチュア劇団の顧問・演出を担当した貫見忠司さんだった。

昭和30年代、34年?ごろだろうか、日本全国盛んになり始めていた学校演劇に、当時「ぶどうの会」の演出家だった岡倉士朗さんは、指導者として関わっておられた、と聞く。かなり積極的な関わりを持たれた、とも。

長野県駒ヶ根で学校演劇指導者が対象の合宿に、野口先生も講師として招かれていた。

先ほどの貫見さんの言葉は、その時、はじめて体操をみて

「観念的にはわかったつもりであったスタニスラフスキーが、現実に目の前で展開されて、こういうことを言いたかったのだ!」

合点がいったという。

岡倉さんも同様の理由で、野口先生を演劇界に引っ張り出した。

「僕は、スタニスラフスキーなんて、名前も知らないし、何をいっているのかも知らない」

「それならば、もっとこの人はすごい!」

戦後の学校演劇の様子、演じることと・表現すること、そして自分という存在を見つめること。

一つの芝居を作り上げていく過程を、朝ドラが描いていた。(実際は、こんなもんじゃないだろうが)

ドラマを見ながら懐かしさすら感じている、朝の15分である。

何れにしても、農協とメーカー・北海道の開拓酪農の問題を縦糸の、学校演劇に新劇が与えた影響を横糸にして織り上げている一週間は、興味を惹かれた。

朝ドラが描いたこの時代に、戦時中の世界とは真逆な新劇に本気で身を投じた野口先生を思い浮かべている。

そこには演出家・岡倉士朗がいて、その人の思いが全国の学校演劇に与えた影響は大きかったのだ、と認識を新たにした。

キーワードは“スタニスラフスキー”であった。

そして早すぎた演出家の死が、野口先生から演劇界に残る意欲を失わせてしまったことに思いを巡らせている。

 

今、ここまで書いて、私は、思わず頬づえついた。

視線のすぐ先には、このブログを書く前に封筒から取り出してあった写真が一枚。

貫見さんからいただいた駒ヶ根合宿で指導をする野口先生の姿が写っている。

戦時中同様に白い短パン、白いランニングシャツ姿。黒々とした髪。

40代半ばの真剣な眼差しを目にして、私にも込み上げるものがある。

思わず目を閉じた。

目を閉じながら「ふーーーーぅッ」。

こんなに深いため息をつくのは、久しぶりだ。

感慨深い、という言葉が身に沁みる。

私は、10歳前後だったのか・・・・・。

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「韋駄天」

2019年04月16日 09時10分20秒 | Weblog

NHK大河ドラマ「韋駄天」の視聴率が上がらない、と聞く。

確かに、最近こそわかりやすくなってきたものの、話の流れ方と登場人物が複雑に絡まりすぎて、❓印をつけながら見続けていた。

韋駄天も天狗も敗退したオリンピックから帰国してからを描く4月14日の作品は、実は、参考になったことは書いておきたい。

体格も運動能力も西洋人に比べて劣ることに落胆し、それでも立ち向かおうとする日本人たちの涙ぐましい努力が描かれていく。

それがそのまま野口先生の師範学校時代、卒業後の小学校訓導として生きた時代の体育・体操.スポーツの内情につながっていく。

東京高等師範の永井舎監のドッジボール・可児の肋木。

そして女性の体操指導者の二階堂トクヨの登場で、一気に時代が野口先生に近づいた。

14日の回は、嘉納治五郎が、政治的な敗北を期すところで幕を閉じた。

これから戦時体制の中で、体育・体操が、軍隊に乗っ取られる時代をどのように描き出すのか、実に興味深い。

韋駄天を見ながら、野口先生が勤めた高崎佐野小学校の『百年のあゆみ」記念本に、撮影時期は戦時中だと思われるが、肋木にぶら下がる女子児童の壮観な姿の写真を重ねていた。

つくづくあの時代の小学生でなくてよかった。

つくづくあの時代の小学校の教師でなくてよかった。

たとえ野口先生の教え子であったとしても・・・・。

野口先生の同僚であったらなおさらなこと・・・・。

 

韋駄天がこれまで描いていてきた、そしてこれから描いていく時代の体育・体操の訓練のあり方、先生たちの指導の姿勢は、戦後の学校体育に繋がっていることが明確に伝わった。 

私は、ドッジボールで体育が嫌いになり、肋木も鉄棒も一度も触ったことなくスルーした生徒だった。

それなのに、なぜ故に、26歳にもなったとき、野口体操にはハマったのだろう。

出会ってから43年の時が過ぎようとしている今、私の「なぜ」がそのまま、「三千三伝」を書くエネルギーになっている。

「韋駄天」は、私に気づきをもたらしていくれる、グットタイミングな大河ドラマである。

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おかげさまです

2019年04月16日 08時46分59秒 | Weblog

先週末、今季の朝日カルチャー土曜クラスの幕が空いて、授業や定期的なレッスンですべてのメンバーが決まりました。

どのクラスも目一杯の参加状況で、ありがたい限りです。

かつて野口先生に習った方、かつて竹内敏晴さんの活動に参加されていた方、興味あったが場所や時間が合わなかった方、野口体操経験者の2代目の方等々、朝日カルチャーで教室があることを知って、ご参加くださったとのこと。

カルチャーで開講40年超、と一口に言っても、途切れることなく受講してくださる方がいらっしゃることに驚きます。

戦後の野口体操・およそ70年の時間、時代は変わっても求めてくださる方がいらっしゃるということに、気を引き締めている春です。

「知る人ぞ知る野口体操」ということで、これからどのくらい継続できるのかはわかりません。

しかし、周りを見回してみると、野口先生が撒かれた身体哲学の種は、野口体操だけではなく、ほかのボディワークにも影響を及ぼしていることがわかります。

出会った方々、お一人おひとりに、体操を手渡していくことができれば、この上なくありがたいことと思うこの頃です。

いよいよ新学期の始まりまです。

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おかげさまで 4月 はじまり

2019年04月13日 10時05分26秒 | Weblog

4月8日に、一つ年をとりました。

古希です。

FBで、メッセンジャーで、電話で、自宅にお祝いのお花までいただいた誕生日でした。

いよいよ大台に乗った、実感が湧いてきました。

そこで近況報告。

1、

「野口体操の会」会報「早蕨 SAWARABI」Vol.5 私の担当の文章は、2月から初めて昨日までに、なんとか形にできてきました。

「巻頭言」「野口三千三伝」「野口三千三語録」3編で400字詰原稿用紙にして30枚。

ちょっと書きすぎているので、これまでの「早蕨」ページには収まりそうにありません。

ただ、「三千三伝」は、二回に分けるわけには、いかないようです。

というのも戦時中、昭和9年から昭和18年3月までの、一番難しい時代ということもあって、一気に書きたかったわけです。

デザインの佐治さんに交渉して、わがままをお許しいただいた。いつものページ数+4ページであります。

あとは、編集メンバーの方々に校閲をお願いして、最終原稿に仕上げることになります。ここでさらに厳しいチェックが入ります。

まずは、「三千三伝」に掲載する写真を添付ファイルで佐治さんへ。

ここまできて、ようやくホッとした気分。すこーし疲れましたが・・・・・

「三千三伝」は、流石に神経を使いました、ネ。

 

2、

大学の授業は、今週が初回でした。

なんと、1クラス40名で、男女は半々。それが2コマあります。

午前の最後に1コマ、昼食を挟んで午後のはじめに1コマ。

今学期から、1コマ100分授業になりました。

初日は手作り弁当を持参。これがとてもよろしいようで、疲れなく終えました。

  厚焼き玉子サンドイッチ(玉子2個に小スプーン1杯の牛乳、砂糖、塩少々)

  キウイ・ハッサク・トマト・レタス・レモンのサラダ

  紅茶はアールグレー

大学がある場所が「多摩動物公園」の一つ先だからと言って、決して遠足気分ではありません。

体育館から学食は遠く、駅の周辺には何もなく、改札口を出たところにコンビニが一軒あるのみの環境です。

お弁当持参も、止むを得ない事情なんです。

4月10日は真冬日。とっても寒かった!

それでも雨にけぶる山の木々は、新緑に変わり始め、その中に桜の花が可憐な姿をまだ残していました。

しっとりとした空気、ひんやりを通り越していましたが、防寒着に身を包んでいったために、それなりに自然を満喫することができた、というわけです。

八王子の寒さにも慣れてきました。

おかげさまです。

 

3、

これから4月28日の総会+早蕨塾 準備にかかります。

大稽古場いっぱい、大人数の参加になりそうで、うれしい悲鳴をあげています。

 

4、

朝日カルチャー「野口体操講座」は、日曜日から始まっています。

新しい方が増えて、お教室内はいっぱい状態で、怪我ないように注意を何回かさせていただいてます。

皆さん生き生きと動いてくださる。初めて野口体操体験の方の動きの傾向が良くなって、驚きです。

本日から、土曜日クラス、4月はじめです。とても長らくお目にかかっていないような感じがするのは、なぜかな?って思います。

新元号が発表になったからでは、ないと思いますが。

久々に皆さんに会えることが楽しみであります。

 

****

齢70、なんとも充実した一年の始まりを、迎えています。

皆様のお力添えの賜物です。

無事に、一年を、過すことができますように。

3月には鉢植え植物の植え替えも4年ぶりに終えて、花梨、紅葉・・・新芽の緑にホッとするこの頃です。

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元号「令和」と白川静「漢字暦 2019」

2019年04月07日 10時24分23秒 | Weblog

散りはじめた桜を求めて、散歩に出かけた。

折からの風にあおられて、ハラハラとふりそそぐ花びらに、何とも言いようのない哀しみを感じた。

「今年は、誕生日まで、花は持ってくれるだろうか」

明日4月8日が、満70歳の誕生日である。

自然のならいとして、来し方を振り返ってしまう。

戦後、4年しか経っていない時期に生まれた私にとって、「昭和」はあたり前に自分の元号だった。

昭和の時代は、西暦には馴染みが薄かったと思う。

それなのに「平成」に改元された途端に、西暦を使い出した。

特にインターネット時代の到来と重なって急速に西暦に傾いた。

ところが、今年の改元で元号が知らされる前から、「平成」が急に懐かしくなって身近に感じられるではないか。

「私は、昭和 平成 令和 と生きることになるの。でも令和の次はなさそうだ・・・・」

令和が最後の元号になる、と思った途端に、元号が愛おしくなってしまった。

この感覚は、一体どこからくるのか?

はっきりした言葉にはならない。

しかし、これまでとは全く違った、元号への思いだ。

70歳を前に、射程に入ってきた限りある生。そこに想いを馳せたとき、自分の中で崩れるように時間感覚が変化したのだ。

 

というわけで、本日の朝日カルチャーレッスンは、漢字の成り立ちから「霊」と「令」を中心に、野口三千三の「ことばを探り、からだに貞く」をテーマに選んだ。

持参するのは、毎年のこと佐治嘉隆さんにいただいている白川静「漢字暦 2019」カレンダーである。

ここに「令」の字源が記されているから。

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