『私が「烏川の川原によい砂がある所はないかなあ」というと、子供たちは早速調べてきてくれました。職員会議に図って、組ごとに、全校生徒が川原へ砂を採りに行った。こうして砂をとり換えた砂場は、たちまち子供たちにとって自分の愛する友だちに変わったのです』
野口が短期現役兵のつとめを終えて、本格的に小学校教師として生徒たちと接した時の話だ。
鉄棒を磨く、藁でマットをこさえる、そういった子供たちが直接に道具と向き合った記述が『野口体操 からだに貞く』に書かれている。
本日、午後、何気なく手にとった。
久しぶりである。
最初から読み始めて、26ページ、「烏川」の二文字に、一瞬にして目が点になったところだ。
「体操による人間変革」ー鉄棒がかわいくてたまらないーである。
今年の正月に群馬を訪ねたおり、明治期になって「高崎歩兵十五聨隊」となった場所もあるいてみた。
かつて高崎城があったところだ。
烏川のそばには、本丸と西の丸がつくられていた。
この城は山代ではなく、平城である。
したがって、烏川は敵が攻めてきたときに侵入を防ぐ堀の役目を担っていた。
その様子は、高崎市役所の23階にある360度展望からはっきりと見て取れる。
川は榛名山方向から流れてくる。
今では、護岸整備が進められていて、砂を採りに行ったことなど想像もつかない。
それでも文章の中にこの記述を見つけて、ハッと驚く同時に、懐かしい心持ちになった。
以前、読んだ時にはない心境の変化である。
「烏川」の二文字に全く気づかず、気に留めなかった。
「現地を訪れて見る」ということはこういうことなのだ。
そのときには、川に近づくこともしなかった。なんてこった!後悔先に立たず、である。
実に残念なことをした。
実は、7月になったら、野口ゆかりの川を、実家近くから探しに行こうと思っている。
その折に、高崎に立ち寄って、この川のほとりに立ってみよう。
夏の風に吹かれてみよう。
空を眺めてみよう。
川の蛇行をこの目で見て確かめてみよう。
文章を読む、ということはこういうことなのだ。
私の旅は、終わりそうもない。。。。。
野口が短期現役兵のつとめを終えて、本格的に小学校教師として生徒たちと接した時の話だ。
鉄棒を磨く、藁でマットをこさえる、そういった子供たちが直接に道具と向き合った記述が『野口体操 からだに貞く』に書かれている。
本日、午後、何気なく手にとった。
久しぶりである。
最初から読み始めて、26ページ、「烏川」の二文字に、一瞬にして目が点になったところだ。
「体操による人間変革」ー鉄棒がかわいくてたまらないーである。
今年の正月に群馬を訪ねたおり、明治期になって「高崎歩兵十五聨隊」となった場所もあるいてみた。
かつて高崎城があったところだ。
烏川のそばには、本丸と西の丸がつくられていた。
この城は山代ではなく、平城である。
したがって、烏川は敵が攻めてきたときに侵入を防ぐ堀の役目を担っていた。
その様子は、高崎市役所の23階にある360度展望からはっきりと見て取れる。
川は榛名山方向から流れてくる。
今では、護岸整備が進められていて、砂を採りに行ったことなど想像もつかない。
それでも文章の中にこの記述を見つけて、ハッと驚く同時に、懐かしい心持ちになった。
以前、読んだ時にはない心境の変化である。
「烏川」の二文字に全く気づかず、気に留めなかった。
「現地を訪れて見る」ということはこういうことなのだ。
そのときには、川に近づくこともしなかった。なんてこった!後悔先に立たず、である。
実に残念なことをした。
実は、7月になったら、野口ゆかりの川を、実家近くから探しに行こうと思っている。
その折に、高崎に立ち寄って、この川のほとりに立ってみよう。
夏の風に吹かれてみよう。
空を眺めてみよう。
川の蛇行をこの目で見て確かめてみよう。
文章を読む、ということはこういうことなのだ。
私の旅は、終わりそうもない。。。。。