羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

第26回『東京国際ミネラルフェア』

2013年05月30日 04時37分28秒 | Weblog
 今年もミネラルフェアの時期がやってきた。
 6月7日(金)~11日(火)まで、新宿・ハイアットリージェンシー/小田急第一生命ビル1F  スペースセブン会場

 テーマは『サメの歯の化石と進化』。

 野口三千三先生が最初に手にした化石がサメの歯だった。
 今年で26回目のフェア開催だが、それよりも遡ること10年近く前になるだろう。
 当時は芸大を退官する前で、体育の授業にその化石を持参し芸大生に自慢げに見せた、と伺ったことがある。
 サメの歯の化石の色は黒、形は全体の三分の一程度しかない。長さは10センチくらいあっただろうか。
 今にして思うと、東京国際ミネラル協会からおくられた今年のリーフレット1面に掲載されている『「カルカロドン・メガロドン」新第三紀・中新世 約1000万年前 全長:約14センチ』の一部のような気がする。あくまでも気がする、でしかない。いやいや、そうあって欲しいという望みでこのブログを書いている。

 さて、今年のフェアは、特別な思いで開催日を待ち望んでいる方がおられる。
 大病による手術を無事に終えたとはいえ、この日を目標にしながらもまだ治療中だという。
 いつもの年のように楽しんでいただけることを祈っているのは、私だけではない。その方を知る野口体操の仲間たち全員の思いである。嬉しそうに石を抱えて、教室にあらわれる瞬間が待ち遠しい。

 思い返せば、すでに第一回目の年から26年が流れた。
 没後、16年目に入ったというのに、あの会場を嬉々として歩きまわる野口先生を、今でも見つけられるような気がしてならない。
 あの場には、先生と仲間たちと、石を介しての楽しい思い出が、数々残されている。
 
 のこり一週間ほどの辛抱である。
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公開講座「からだとの対話」

2013年05月29日 08時29分56秒 | Weblog
 来年、2014年、野口三千三生誕百年を記念して、朝日カルチャーセンターで企画した講座のお知らせです。
 今年から来年にかけて継続したいと思っています。
 
 8月は演出家の鴻上尚史さんをお招きします。
 鴻上メソッドと野口体操を、モデルさんに体験していただくシーンも考えています。
 
 9月は映画監督の龍村仁さんです。
 セゾンの三分CM「人物映像ドキュメンタリー 野口三千三」1986年以来のご縁です。

 事前に意向を伺うために、事務所に電話を入れました。
「問題は、日程だけです」
 快諾をいただき、それを受けてすぐさまカルチャーの担当者が動いてくれました。
 すでに募集は始まっているようです。

 違う視点から野口体操を見直してみたい思いが叶いそうです。
 ぜひ、ご参加ください。

「からだとの対話ー野口体操を再考する」朝日カルチャーセンター 新宿
 

 

 
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人に会う

2013年05月26日 07時44分14秒 | Weblog
 来年、2014年は、野口三千三先生の生誕100年、没後十七回忌に当たる。
 そこで朝日カルチャーセンターで、記念の講座を企画し、すでに動き始めている。
 
 で、呼応するかのように、以前、野口体操教室に通われていた方々と新しい縁を回復している。
 先週の土曜日は、56年前の芸大生に続いて、37、8年前、私と同じ時期に体操教室に1年半ほど通われた方が朝日カルチャーの講座にトライアルされた。年齢も同じだったこともあり、過ぎた日々の長さを感じた。
 ほかにもバッタリ出会った方もあり、何かの巡り合わせかとも思う。

 初春には臨床心理士となって病院に勤められた西尾さんと佐渡で「鼓童」の制作を担当している根岸さん、つい最近では翻訳家の常田さんが、我が家を訪ねてくださった。
 このような年は、先生の没後としては初めての動きだ。
 
 話し始めると若かりし頃にすっかり引き戻されて、言葉遣いまで変わってしまう。
 同窓生、同級生的な懐かしさの内に、時が過ぎて行く。
 元気なうちに会っておきたい人がいる、と思い浮かぶままに名前を挙げながら指を折っているこのごろ。
 
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56年前の芸大生

2013年05月20日 07時03分09秒 | Weblog
 昨日、朝日カルチャーセンター・日曜日「野口体操講座」のこと。
 昭和32年、東京芸大で野口三千三先生に体操を習った方が参加された。
 話を伺うと、56年前のことである。油絵の学生さんだったそうで、現在、80歳を超えたとおっしゃる。
「からだをぶら下げる体操は、いまでもやってます」
 どうやら「上体のぶら下げ」のことらしい。
「とにかく楽しい授業でした」

 当時は体育は必修の時代だった。有無を言わさず単位を取らなければ卒業できない。
 そうした方が探し求めて来てくださる、ということは素敵なことだ。
「もっとはやくくればよかった!」
 記憶をたどっていただく。
「部屋の中を四つん這いで、ぐるぐる歩き回るのが楽しかったですよ」
 楽しい人ばかりではなさそうだが、さすがに半世紀も過ぎてから、体操をしたいと行動を起こされるだけの感性をお持ちだ。

 2時間の間、嬉々としてからだを動かしておられた。
 わすれていらっしゃるのか、当時はまだなかったのか、初体験です!という動きが多かったご様子。
 40代の野口先生だから、体操の中身も相当に変わっただろう、ということは想像できる。

「一年下に、岡倉さんのお嬢さんがいらしたんです」
 第一声がその言葉だった。きっと美術学部、とりわけ油絵科の学生たちにとっては高嶺の花・憧れの的のお嬢さんだったということがにじみ出ている声の調子だった。
 体操の授業で配布されたテキストを、岡倉天心の甥御さんにあたるお父上に渡されたことが、先生と演出家の岡倉士朗氏を結びつける最初のキッカケとなった。
 新劇界に野口体操が取り入れられてゆく。

 これから折にふれてお話を伺うお約束をして昨日はお別れした。
 いずれにしても、開かれた場で野口体操の講座を継続していることの意味を、これほど感じたことはない。
 ありがたいことです。
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高齢ピアニストの秘密

2013年05月13日 15時05分19秒 | Weblog
 昨日のこと、半世紀以上前からの知人の男性が、母と私を訪ねてくれました。
 まず父に線香をあげてから、小一時間、昔話に花を咲かせました。
 
 で、その方の縁戚に高齢のピアニストがいらっしゃいます。思い起こせば40年以上前に、リストの「愛の夢」などを弾かれたピアノリサイタルの招待券をいただいて、若き日の彼女の演奏を聞いたことがありました。
 すでに知人と同い年で80歳を超えられたそうです。
 驚きの話はここから。
 現在でも、一日にマチネーと夜の二回のコンサートをこなすことができるというのです。
「へ~、そんなに凄いエネルギーは、どこからくるのですか」
「とにかくよく歩くんですよ。ちょっと散歩に行く、といって出て行くとなかなか帰ってこないんです。1キロ2キロ歩くのは当たり前なんです。もしかすると5キロくらいは歩けるんじゃないかな」
「そのお年になってもですか」
「えー、そうなんです」
 演奏会のスタミナ源は、どうやら歩くことでも培われているのかもしれない、と話を聞く途中で、思わず背筋が伸びてしまった。
「こういっちゃ乱暴だけど、ヨーロッパの人間は、とにかくよく歩きますね」
「スエーデンの方でしたよね。以前、無国籍のときあったんでしょ。そういえば、弟さんが一度だけ我が家にいらしたとき、びっくりしました。お顔も髪の色もバリバリの欧州人。なのに言葉は日本語で……下町言葉でしたね」
「そうです。で、NHKで彼女のドキュメンタリーが放送されて、一気に火がついたんです。昨日は京都で、たしか明日は東京でコンサートがあるはずです。今でも、一日、10時間くらいピアノを弾くことがあるんじゃないかな。京都のように、二回のコンサートの時は、リハーサルを入れると6、7時間は弾きますものね」
 彼女の名は、フジコ ヘミング。
 
 その数奇な運命を生き抜いた底力を垣間みるお話でした。
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鞭とハンマー

2013年05月12日 12時33分07秒 | Weblog
 生前、野口三千三先生から、鞭とハンマーをいただいた。
 ハンマーは革工芸で使う木製のもの。持ち手の長さは30センチほど、槌の長さは22センチ。いちばん太い部分の直径は3センチくらいだろうか。
「足の裏を叩くのにもいいみたい」
 健康器具にもなるということだった。

 さて、鞭は私の背丈に合わせて、先生のものよりも小振りに出来ている。
 元は和竿用の竹、続いて足踏みミシンの革丸紐、最後が麻を綯った紐で先に行くにしたがって細くなる。ところどころ結び目があって最後は総状にほぐされている。
 とくに衝撃波によって音を出すたびにほぐされている麻は、どんどん切れて長さが短くなる。そこの部分だけ付け替える必要がある。
 都会育ちで農業をしたことがない者には、縄を綯ったことなど一度もない。今現在、農業を生業としている人は、縄を自分で作る機会をもっているのだろうか。
 で、まだ手がつけられていない麻とスペアとして麻紐、さらに先端につける部分をいただいてあった。
 これで二回目だろうか。先端部分が殆どなくなってしまったために、付け替え作業を終えたところだ。
 結ぶためにセロテープで止めてある部分をはずして、新しいスペアに取り替える。それほど難しいことではないけれど、ドキドキものである。
 ようやく全体がバランスよい長さに揃った。
 竹の部分は58センチ、革の部分は123センチ、麻の部分は150センチである。合計331センチとあいなった。

 試しに階下に下りて蔵前の空間で鞭を鳴らしてみた。
 いい音になった。気持ちよく響いてくれる。

 さて、連休明けの最初の授業で鞭を鳴らした。ところがその時、切れすぎないようにところどころに結び目を作ってある、その丁度結び目だったこともあって、よい音が鳴らなかった。それだけではない。その部屋は多目的ルームで、バスケットボールなどにも使用できる教室で、ものすごく天井が高い。高いだけでなくステージにあるような照明器具を取り付けてあるため、天井板が貼られていない。
 そうした条件では、驚くほどの響きにならずに、拍子抜けしてしまった。私自身がいちばんだったのだが。
 なかなか音響というのは難しい。

 明日の授業では修理した鞭で授業をしたいと思っている。
 どうぞ上手くなってください、と祈りつつ布袋に納めた。

 問題は、これからだ。
 スペアとして綯ってもらった麻紐が、すでにのこり2本となった。
 作り方をだれかに習うしかない。でも先生が作ってくださったように出来そうにない。
 材料はあるのに、困った! 実に困った!
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村上春樹さんの講演記録の中から

2013年05月07日 11時12分23秒 | Weblog
 日経新聞の電子版に掲載されていた講演・インタビュー・参加者との質疑応答記録を読んだ。
 5月6日、京都市左京区「京都大学百年記念ホール」で、公開で行われた。

 深い共感を得た唯一の人として挙げた故・河合隼雄さんについて話された冒頭講演のあと、湯川豊さんのインタビューに答えたなかで、いちばん印象に残った話題。
 かつて村上さんは、「人間は二階建てであり、1階、2階のほかに地下室があってそこの記憶の残骸がある」その上で「本当の物語はそこにはない。もっと深いところに地下2階があって、そこに本当の人間ドラマやストーリーがある」と話された、と湯川さんが語りかけた。
 それに対して、ジャズピアニストの例、モーツアァルとサリエリを引き合いに出しながら、創作について応えた。
『何かを作りたいと思うならば、地下のもっと奥まで行かなければならない。河合先生も理解されていたと思うが、(それを分っている人は)文学の世界では少ない。僕は正気を保ちながら地下の奥深くへ下りていきたいと思っています。』

 正気を保ちながら、という言葉がとても重い!

 
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今年のゴールデンウィーク

2013年05月06日 19時12分05秒 | Weblog
 今日で黄金週間も終わった。
 今年は、カレンダー通りではなく、祭日に授業があった。ほかには40年前野口三千三先生が基調講演をされた「世田谷区保健センター」のワークショップを午前中に行い、午後からは通常の授業をしたり、かと思うとなぜ休みなのかわからない休日があったりした。

 その理由のわからない休日には、お客人を招いて、楽しい時間を過ごさせてもらった。久しぶりに卵とハムのサンドイッチをつくった。お茶は、最近はまっているマリアージュ・フレーレの紅茶「マルコポーロ」。この香りが好きで、大事なもてなしの折にはお出ししている。昨年手に入れた鉄瓶の中がホウロウになっているポット。味と香りがよいのは、鉄瓶の冷めにくい優れた性質による。

 他の日々は、疎かになっているピアノの稽古ができた。
 読書も乱読。こんな見方もあるのだ!と『未完のファシズム』『国の死に方』片山杜秀著 新潮社。
 今頃になって『沈黙の春』レイチェル・カーソン著 青樹簗一訳 新潮社。
 片山杜秀著からの引用があって初めてこの著者を知った『無力 MURIKI』五木寛之著 新潮社。
 こちらも今頃になって読みはじめた『木に学べ 法隆寺・薬師寺の美』西岡常一著 小学館。

 ゆっくり時間を取ることができた。

 そして今朝、父の夢を見たことが無性に気にかかって、母を墓参りに連れ出した。
 毎年、春のお彼岸は、父が丹精していた盆栽の植え替え時期と重なって墓参りを省略している。木を枯らさないことの方が供養になる、と勝手な理屈をつけているのだが。
 思い切って出かけたのは正解だった。なぜって気候がいい。東京の気温は25度近くあったそうだが、それほど暑さを感じることなく、春の彼岸時より気持ちがよい天候だった。墓参りは何時行ってもよしとしよう!

 不思議なもので、帰りのタクシーのなかで、すでに気持ちが落ち着いていた。
 母も出かける前は少し渋っていたが、帰宅してから、ご機嫌で三時をお茶をすすってくれた。
 どんな意味があった夢だったのかは詮索しないことにしよう。

 というわけで、明日から7月まで授業に専念する毎日が戻って来る。
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