1月30日(月)、母の呼吸状態が変化した。
それを受けて入所している施設から連絡をもらいみとりが始まった。
徹底したのは感染症対策だった。
コロナ、インフルエンザ、肺炎に罹患すると病院に入院することになる。
点滴その他、管がからだに差し込まれる。
水分が体内に入ると痰がつくられ、吸引の辛さは野口三千三先生の時に経験している。
そこで感染症対策を徹底し、水分と食事を断つことで、母のからだへの負担を少なくする道を選択した。
幸いのことに、自宅から施設までは、徒歩で10数分の距離にあるので、公共交通機関を使わなくて済む。日に何度も自宅に戻ることも容易だった。
また、学齢期の子供と同居していない、といった様々な条件を知っている施設の方の好意で、夜中の急変に備えて泊まる部屋を用意してもらえた。
食事はできる限り自宅で済ませ、母の居室に外からのものを持ち込まないことが可能であったし、部屋からあまり出ることなく母とともに過ごすことができたのだった。
そういった幾つもの好条件が整っていたために、理想のみとりが実現した。
進行中の野口体操の“冊子作り”“動画”、新聞のコラム執筆等々のことは、ひとまず忘れて、母の命にだけに向かい合った6日間だった。
式が終わって、悔いが残らないことのありがたさを身にしみている。

通夜・告別式は、母九十七年の生涯のどこかの時期で、母と親しくしてもらった親族、隣家のご夫婦、たった一人の私の親友の方々だけで見送っていただいた。
しばらくは弔問のお客人、届けられるお花に囲まれて、四十九日の納骨まで母と共に生きる日々を大切にしたい。
でも、事後の整理と校正、レッスンは滞りなく進めて行きたいと思っている。