初窯スケジュール
3月8日頃 空焚き
16日~22日 窯詰め
3月23日(月曜日 )火入れ式
神主さんに来ていただきます。
9時~
お時間ある方、ご参加ください。
初窯 窯焚き開始
23日~25日 焙り焚き
26日、27日 攻焚き 炎もピークです。
28日土曜日 昼頃 火止め
29日 日曜日予備日
24時間交代で窯焚きしております。
見学、お手伝い、差し入れ歓迎、ぜひお越しください。
ただ、早く、窯焚き終了するかもしれません。28日土曜日までかからないかも。
深山の雪
初窯ワークショップ あゆーむ、深山公民館
2015 冬
薪割り
雪囲い
窯の前に土盛り
薪運び 薪運び動画 窯土のせアングル
窯前部完成
またレンガをのせて、窯を厚くしてます。
煙突完成
足場を組んで上へ上へ 2014夏
煙道
煙突部アングル 2013秋 設置
動画でご覧ください。 煙突上部 動画 煙突レンガ積み 動画
ボランティアサークルあさがおの荒砥高校生
再び
動画でご覧ください。 1室アーチ動画
2月13日
1月27日 2室のアーチ積み
側面
1月20日
レンガ仮置き 動画でご覧ください。 レンガ仮置き動画 土間コン完了 養生 生コン打設 生コン 型枠 ランマー動画 ダイサン レンガ掃除
親子三世代で。
深山区長さん
小国町 白い森陶芸サークルの皆さん
窯屋根建て 2013年夏 築窯予定地 豪雨被害 動画
登り窯復活プロジェクト スタート 2013春
2012年 置賜農業高校飯豊分校の生徒の皆さん。レンガ掃除、運搬のボランティア作業。
新聞に掲載
2013年8月4日付 朝日新聞山形版より
登り窯、復活祈るつち音/老朽化と震災で打撃、白鷹町でプロジェクト
東日本大震災で崩壊した陶芸の「登り窯」を復活させるプロジェクトが白鷹町深山地区で進んでいる。5千個のれんがを再利用し、古い窯を復元する計画で、携わる人たちは「窯に再び火を入れ、地域おこしを」と夢をふくらませている。
カンカンカン。山あいののどかな集落に金づちでノミをたたく音が響く。深山和紙で知られる白鷹町深山地区。深山焼の陶芸工房「深山工房つち団子」で7月、ボランティア約10人が、耐火れんがに張り付いたモルタルを一つひとつ丁寧にはがす作業に汗を流していた。
れんがはかつて、工房近くの山の斜面にあった長さ9メートルの登り窯で使われていた。深山焼は江戸時代に上杉鷹山が殖産のために興した成島焼の流れをくむとされる。江戸末期に途絶えたが、戦後になって復活。登り窯も昭和50年代に造られた。
しかし、老朽化が進み、5年ほど前から焚(た)けなくなり、さらに白鷹町で最大震度5弱を記録した一昨年3月の東日本大震災と同4月の余震で崩壊。同年秋に解体された。
「登り窯で焼いた陶器は出来が違う。もう一度、復活させたい」。工房を主宰する金田利之さん(47)が再建を発案。昨年から地元の高校生らも手伝いながら作業を続けてきた。今年度に町の助成を受けられることになり、5月から本格的に再建プロジェクトが始まった。
月に数回、10~40人のボランティアが集まり、これまでに約2800個のれんがをきれいにした。12月までにすべてのれんがを掃除、もとの場所に窯屋根を建て、栃木県の益子焼の窯職人の手で約6メートルの小ぶりな登り窯を復活させる予定だ。
ボランティアに毎回参加している長井市の鈴木泰博さん(60)は「自分たちが関わった窯で、デザインした陶器を焼いてもらえるのが楽しみ。ずっと見守っていきたい」と話す。
初窯は来年度になる予定。残ったれんがでピザ窯造りのワークショップを開催したり、パン窯を造って地元の人に利用してもらったりといった活用法も考えている。「登り窯復活の物語に多くの人に参加してもらい、楽しみながら村おこしにつなげたい」と金田さん。
れんが掃除やまき割りなどをするボランティアを募集している。次回は9月7日。問い合わせは金田さん(090・2955・1939)へ。
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中野 龍三 Ryuzo Nakano
朝日新聞記者
春の訪れを感じる自然現象、
「かた雪わたり」
色んな条件が揃わないとできず、去年はお目にかかれませんでした。
白鳥が来だした2月の今頃だけの現象で日中の気温が上がってできるザラメ雪、
それと
雲が無く星座がハッキリ見える夜空が
、その条件になります。
その翌朝は、放射冷却で気温が下がりザラメ雪同士がくっつき、かた雪になります。
この頃、
気にかけていなければ、かた雪には出会えません。
そして、必ず早起きをする。
(前の晩飲み過ぎない)
かた雪わたりは、農道も用水路も田んぼも土手も小川の上でもどこも自由に歩くことができます。
ただ、太陽の陽があたると、たちまち雪の表面が溶け、ゆっくりしていると、ヌカッテ帰れなくなります。
(果樹の剪定作業を行う時には注意が必要です)
youtube
寒くて、カメラの調子がおかしくなったか、手がかじかんで、そうなったのか。お見苦しくてすみません。
こちらの動画ご覧ください。
かた雪
全てを覆い尽くし、全く何もない真っ白な雪の中。
「僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る」
たしか中学校で習った詩の一節が浮かびました。
「道程」高村光太郎、です。
人は、知らず知らずのうちに、
他人の敷いたレールの上に居るのかもしれないのです。
全く何もない地に、歩み入れる勇気。
いいえ。
そんな考えにも及ばないのです。
調べると
初出のときは、かなり長文な詩でした。
最終的に、最後の一小節を切り取って、作品として残しています。
『道程』 全文
どこかに通じている大道(だいどう)を僕は歩いているのじゃない
僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る
道は僕のふみしだいて来た足あとだ
だから
道の最端にいつでも僕は立っている
何という曲がりくねり
迷い まよった道だろう
自堕落(じだらく)に消え 滅びかけたあの道
絶望に閉じ込められたあの道
幼い苦悩に もみつぶされたあの道
ふり返ってみると
自分の道は 戦慄(せんりつ)に値する
支離滅裂(しりめつれつ)な
また むざんなこの光景を見て
誰がこれを
生命(いのち)の道と信ずるだろう
それだのに
やっぱり これが生命(いのち)に導く道だった
そして僕は ここまで来てしまった
このさんたんたる自分の道を見て
僕は 自然の広大ないつくしみに涙を流すのだ
あのやくざに見えた道の中から
生命(いのち)の意味を はっきりと見せてくれたのは自然だ
僕をひき廻(まわ)しては 目をはじき
もう此処(ここ)と思うところで
さめよ、さめよと叫んだのは自然だ
これこそ厳格な父の愛だ
子供になり切ったありがたさを 僕はしみじみと思った
どんな時にも 自然の手を離さなかった僕は
とうとう自分をつかまえたのだ
丁度そのとき 事態は一変した
にわかに眼前にあるものは 光を放射し
空も地面も 沸く(わく)様に動き出した
そのまに
自然は微笑をのこして 僕の手から
永遠の地平線へ姿をかくした
そしてその気魄(きはく)が 宇宙に充ちみちた
驚いている僕の魂は
いきなり「歩け」という声につらぬかれた
僕は 武者ぶるいをした
僕は 子供の使命を全身に感じた
子供の使命!
僕の肩は重くなった
そして 僕はもう たよる手が無くなった
無意識に たよっていた手が無くなった
ただ この宇宙に充ちている父を信じて
自分の全身をなげうつのだ
僕は はじめ一歩も歩けない事を経験した
かなり長い間
冷たい油の汗を流しながら
一つところに立ちつくして居た
僕は 心を集めて父の胸にふれた
すると
僕の足は ひとりでに動き出した
不思議に僕は ある自憑(じひょう)の境を得た
僕は どう行こうとも思わない
どの道をとろうとも思わない
僕の前には広漠(こうばく)とした 岩疊(いわだたみ)な一面の風景がひろがっている
その間に花が咲き 水が流れている
石があり 絶壁(ぜっぺき)がある
それがみないきいきとしている
僕はただ あの不思議な自憑(じひょう)の督促(とくそく)のままに歩いてゆく
しかし 四方は気味の悪いほど静かだ
恐ろしい世界の果てへ 行ってしまうのかと思うときもある
寂しさは つんぼのように苦しいものだ
僕は その時また父にいのる
父はその風景の間に わずかながら勇ましく同じ方へ歩いてゆく人間を 僕に見せてくれる
同属を喜ぶ人間の性に 僕はふるえ立つ
声をあげて祝福を伝える
そして あの永遠の地平線を前にして 胸のすくほど深い呼吸をするのだ
僕の眼が開けるに従って
四方の風景は その部分を明らかに僕に示す
生育のいい草の陰に 小さい人間のうじゃうじゃ はいまわって居るのもみえる
彼等も僕も
大きな人類というものの一部分だ
しかし人類は 無駄なものを棄て(すて)腐(くさ)らしても惜(お)しまない
人間は 鮭の卵だ
千萬人の中で百人も残れば
人類は永遠に絶えやしない
棄て腐らすのを見越して
自然は人類のため 人間を沢山つくるのだ
腐るものは腐れ
自然に背いたものは みな腐る
僕はいまのところ 彼等にかまっていられない
もっと この風景に養(やしな)われ 育(はぐく)まれて
自分を自分らしく 伸ばさねばならぬ
子供は 父のいつくしみに報いた気を 燃やしているのだ
ああ
人類の道程は遠い
そしてその大道はない
自然の子供等が 全身の力で拓(ひら)いて行かねばならないのだ
歩け、歩け
どんなものが出てきても 乗り越して歩け
この光り輝やく風景の中に 踏み込んでゆけ
僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る
ああ、父よ
僕を一人立ちさせた父よ
僕から目を離さないで守る事をせよ
常に父の気魄を僕に充たせよ
この遠い道程のため
長いよ!
結局今年の雪は、
トップクラスの積雪量となりました。
でも、そろそろ雪もシーズンラスト。
降っても溶ける方が多くなるだろうと、
登り窯まで、道をつける事にしました。これをやる事で、初窯までの1カ月で、かなり雪が消えてくれるハズです。
場所によっては胸くらいの高さがある
堅く締まって重くなった雪を、
除雪機は順調に飛ばします。
何十メートル進んだだろか。
登り窯の入り口は、もう目の前。
その時。トラブル発生!
除雪機が
雪の真ん中で、
前にも後ろにもピクリとも動きません。
一年に一度しか使わない俺なのに・・・ついてない。
そういえば、
朝のテレビの占いで、おひつじ座が最下位だった。
そうだ、
たしかラッキーアイテムがあった。
「ロールキャベツ!」
で、それをどうすればいいの?
トラブル発生で緊迫したシーンを
動画でご覧あれ。
登り窯復活プロジェクト。
深山の若い衆会の皆さんと子供たちで、ラストの初窯ワークショプを開催しました。えぼし窯のふたりにもお手伝いいただきました。
粘土で作ったマンゴー。任天堂DS、はたしてマリオは動きだすのか。
焼きあがりが楽しみ⁉︎
2015年バレンタインデーの夜。
初窯ワークショップ
二日間で5回の陶芸教室、完了いたしました。ご参加いただきました皆さん、ありがとうございました。
実は、めちゃくちゃ疲れました。やはり2日間で5回の陶芸教室は、ハードでしたね~。5回目終了後に道具類を片づける予定でしたが、とっても無理でありました。これでも、ひとりひとりの作品ひとつひとつに気を配っていたのであります。もうしばらく、やりたくありません。ハイ。
左馬の器たち
それでも、
2月3日、道具の片付けしながら
4人のかたが作りました。
青木さん達と、最後に木村さん。